死ぬまでスカウトを全うした「日本ハム・今成泰章」を偲ぶ | FRIDAYデジタル

死ぬまでスカウトを全うした「日本ハム・今成泰章」を偲ぶ

大谷翔平やダルビッシュ有を担当した名スカウトとの突然の別れ

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〈北海道日本ハムファイターズチーム統括本部スカウト部でスカウトを務めた今成泰章さんが、劇症型溶血性レンサ球菌感染症のため、3月2日に亡くなった。67歳の早すぎる死を、共に「ネット裏」を30年以上にわたって仕事場としてきた盟友、スポーツライターの安倍昌彦が偲ぶ〉

ネット裏もちょっと「景色」が違うんだ

センバツ高校野球の甲子園球場。

大会第6日目、第1試合で1回戦が終了すると、ネット裏に詰めていたプロ野球各球団のスカウトたちがほぼ一斉に席を立ち、帰り支度を始めた。

この時期からのスカウトたちは忙しい。それぞれ担当する地区でもアマチュア野球の公式戦がどんどん始まるからだ。

九州、四国では高校野球の春の県大会が、センバツと同時進行ですでに始まっており、関西や関東の大学のリーグ戦も目前だ。

センバツばかりを追いかけてばかりいられない。甲子園を後にしたその足で、それぞれの担当地区のお目当ての選手のもとへ飛ぶ。

おつかれさまでした、気をつけて…ねぎらいの言葉をかけ合って別れるスカウトたちの中に、「いつもの顔」が、この春はいない。

ほんとなら、あのギョロっとしたまなざしで周りを見渡すようにして立ち上がり、目が合うと、ちょっとめんどくさそうに手を上げて、それっきりか、そのままノッソリやって来て、

「おまえ、いつまでいんの…?」

答えても、ふーん…とそれだけで行ってしまうだけの「同期」ではあったが、そんな素っ気ないヤツでも、いないとやはり、甲子園のネット裏も「景色」がちょっと違うんだ。

中西、平田、和田、関川……そしてダルビッシュ

阪神と日本ハムで40年以上、プロ野球という世界で「スカウト」だけを勤め続けた男が亡くなった。

日本ハムスカウト・今成泰章。

同じ東京で高校野球をやっていた同い年。共通項はそれだけだったが、お互い、ネット裏を仕事場にしている者同士として、30年も顔を合わせていると、いつの間にか、姿がないと探してみるような、そんな「関係」になっていた。

「オレは駒沢(大学)出てすぐスカウトになって40年。おまえは、スカウトになりたくておんなじぐらい頑張ってるのに、まだなれない。人間の出来が違うのよ」

そんな憎たらしいこと、ズケズケ言って、それでも、最後に必ず、

「待ってっから、頑張れよ」

ぶっきらぼうな励ましを投げてくれた。

阪神の守護神になった中西清起に、野手なら、平田勝男、和田豊、関川浩一…のちに、阪神の監督、コーチとしてプロ野球の指導者になった名選手たちも担当し、後半のおよそ20年は日本ハムスカウトとして、ダルビッシュ有獲得にも携わった。

04年、日本ハムから1巡目指名を受けたダルビッシュ有(宮城・東北高)に、トレイ・ヒルマン監督からのメッセージを手渡す今成泰章(右端)
04年、日本ハムから1巡目指名を受けたダルビッシュ有(宮城・東北高)に、トレイ・ヒルマン監督からのメッセージを手渡す今成泰章(右端)

一方で、阪神の左腕のリリーフとして奮投した田村勤に佐藤秀明に、日本ハムのミラクル左腕・武田勝。

選手としてプロ野球のすごさ、厳しさを体感しているスカウトの方たちの目には、ちょっと非力に映るのではないか…そんな印象がありながら、そのかわり、野球センスがキラリと光る選手がいる。そういう選手を何人も推薦してドラフトで指名。担当スカウトとして、プロ入りに導いてきた。

確か、「最初の一人」は長野・松本工高のサイドハンド・御子柴進投手だったと思う。

180センチあっても70キロにも満たない痩身・無名の高校生投手。しかも、当時130キロちょっとしか出ないサイドハンドを、ドラフト4位に推すというのは、スカウト5年目の若いスカウトには、さぞ勇気の要ったことだったろう。

「バネがあったし、何より、形がよかった。選手は形よ、か・た・ち…」

訊いてもそれしか言わなかったが、逸材がまだ見せていない部分…「潜在能力」というやつをキャッチする鋭い感性があったのだろう。

シダックス・武田勝投手(現日本ハムコーチ)の時がすごかった。

いつもはネット裏の中段ぐらいでグラウンドを見つめていることの多かった彼が、珍しく最前列に座り、背中をかがめて目の位置を低くして、武田投手の投球にじっと視線を合わせる。

「見てみろよ…このピッチャーのボール、全部、ベルトより下だぜ、うん。いや、もっと低いな…。それと、リリースがぜんぜん見えない。せいぜい130キロだけど、こういうのがいいんだよ、うん」

真剣な話になると、語尾に「うん」が付くのがクセだった。

恐ろしい病名、突然の死

2005年の大学・社会人ドラフト4位で日本ハムに入団すると、28歳から始めたプロ野球生活の11年で82勝を挙げ、変幻自在の投球で打者を翻弄する先発投手として、ファンの記憶に残る左腕になった。

2月のキャンプにも行っていたのに、帰ってきてから高熱が続いたようだ。

劇症型溶血性レンサ球菌感染症。

聞いたこともない恐ろしげな病名で、3月2日、おそらく本人も、なにがなんだかわからないうちに、天に召されたのだろう。

23の歳にスカウトになって、ずいぶんと苦労したそうだが、それでも44年間スカウトを務めて、本人の思いの通りに、スカウトのまんま亡くなった。

もっとやりたかったろうが、同じ年月こんなに一生懸命勉強しても、いまだスカウトになれないこっちから見れば、もったいないぐらいの幸せ者だ。

見てごらん、逝去を報せるこの新聞なんて、前の日、オープン戦が4試合もあったのに、1ページ全部使って「今成、死す」だよ。

「いつまでも若いつもりでボール受けてると、そのうち死んじまうぞ」

彼らしく、荒っぽい言葉で心配してくれた本人のほうが、先に死んでしまった。

例えば、1988年、いったいどこの誰だ?(失礼!)っていう埼玉福岡高・星野おさむという選手をドラフト外で獲って、この「どこの誰だ」が、いっときは阪神のユーティリティプレーヤーとして一軍に定着し、結局プロで13年も働いた……なんていう、球場で会って話をするたび聞いてきた、そんな話なんかを、もっと、もっと聞きたかったのに。

合掌

(敬称は略させていただきました)

  • 安倍昌彦

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