「世界最強の男」と戦った元ボクサーが村田諒太に送るエール | FRIDAYデジタル

「世界最強の男」と戦った元ボクサーが村田諒太に送るエール

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4月9日、さいたまスーパーアリーナで行われるIBFミドル級チャンピオン、ゲンナジー・ゴロフキンvs.WBA同級スーパー王者、村田諒太との統一戦は、日本ボクシング界で過去に無かった規模のメガ・ファイトである。

獲る――その気合が伝わってくる表情だ

日本人が出場しなかったビッグマッチとしては、1988年3月21日に東京ドームで催されたWBA/WBC/IBF統一ヘビー級チャンピオン、マイク・タイソンvs.トニー・タップス、そして、そのタイソンが王座から転落した1990年2月11日のジェイムス・ダグラス戦が挙げられる。

世界のボクシング界から超一流と認められる王者に、日本人が挑む対戦として私が思い起こすのは、1982年7月4日に米国オハイオ州シンシナティ―で開催されたWBAジュニアウエルター(現スーパーライト)級タイトルマッチだ。

30戦全勝28KOで同タイトルを4度防衛中のアーロン・プライアーに、日本ウエルター級史上最強と呼ばれ、指名挑戦者としてリングに上がった亀田昭雄。

17戦全勝14KOの日本人挑戦者は、村田諒太と同じようにインターハイチャンピオンとなっている。高校卒業後の1975年に中央大学に進学し、1年目の8月に全日本選手権、9月のアジアカップと連続優勝を飾る。モントリオール五輪候補選手として前年に開かれたプレ・オリンピック大会で銀メダルを獲得。本大会での活躍が期待されたが、大学ボクシング部の先輩から受けた理不尽な扱われ方にカッとなり、上級生を叩きのめして中退。

亀田は幻のオリンピアンとしてプロに転向すると、7戦目に日本ウエルター級タイトルを奪取する。所属していた協栄ジムの当時の会長、金平正紀は「具志堅用高が100年に一人の天才なら、亀田昭雄は200年に一人の逸材だ」と言って彼を売り出した。同タイトルを8度防衛し、国内で無敵をアピールしながら、1階級下のプライアー戦を迎える。

プライアーもまた、モントリオール五輪を逃していた。国内選考会で不可解な判定に泣いたのだ。7人きょうだいの5番目として生まれたプライアーだが、他のきょうだいと母親は同じでも、父親はそれぞれ別という家庭環境だった。きょうだいのうち3人は、罪を犯して収監された。そんなバックグラウンドのある人間に星条旗を背負わせてはならぬ、と五輪選考会のジャッジたちは彼を負けさせたのである。

アマチュア時代のプライアーは、後にプロ入りしてスーパースターとなるトーマス・ハーンズをワンサイドの判定で下し、五輪候補が集うトレーニングキャンプでも、シュガー・レイ・レナードと200ラウンド以上のスパーリングを重ね、2度ずつダウンを奪い合った。

今日、話題となるパウンド・フォー・パウンド論が当時も存在したなら、間違いなく3本の指に入った強豪だ。プライアーはその強さを恐れられ、レナードにもハーンズにもプロでの対戦を避けられた。

プライアーに敵地で挑んだ亀田昭雄は、ファーストラウンド28秒に左ストレートからワンツーを浴びせ、怪物王者からダウンを奪う。だが、無尽蔵のスタミナを誇るプライアーのテンポの良い連打を浴び、計5回キャンバスに這い、第6ラウンドで力尽きた。

後年、笑顔での再会を果たした亀田氏とアーロン

亀田のプライアー挑戦を、当時のボクシング関係者は「何故、協栄ジムはあんな化け物と戦わせたのか? WBC同級王者のソウル・マンビーや金相賢になら、間違いなく勝てたのに」と訝る。ただ、亀田本人の見解は違う。

「最強の男に挑んだからこそ、僕はその後の人生を歩んで来られた。中途半端な男に負けたんじゃない、あれだけの男と戦ったんだという矜持が、いつも心のどこかにありますよ」

その亀田に、間も無くゴロフキンと拳を交える村田諒太について訊いた。

「村田は実力もあるし、非常に頭の良い選手です。彼の発言を聞いていれば、賢さが分かるでしょう。ただ、それだけに考え過ぎてしまう傾向があるんじゃないかな。これまでに2敗していますよね。初めての世界タイトルマッチのハッサン・エンダム戦も、2度目の防衛戦でのロブ・ブラントとの試合も、村田が負けるような相手じゃなかった。慎重になり過ぎて、手数が減ってしまいましたね。共にリターンマッチでKO勝ちしているってことは、村田の方が強い訳です。メンタルの充実度が彼のリングキャリアの鍵となると、ずっと感じていました。

でも今回は、迷いなく戦うんじゃないですかね。本物の強豪選手って、リング上で考える時間を与えてくれません。プライアーがそうでした。一秒一秒、本能で戦うような状態になります。体が勝手に反応するっていうかね……。ゴロフキンと向かい合った村田は、これまで体に染み込ませたものが自然と出ると思います。『あしたのジョー』じゃないけれど、最高の敵と拳を交えられるボクサーって、世界広しといえども、そう何人もいません。

僕もプライアー戦後は、真っ白に燃え尽きた感があり、爽やかな気分でした。傍から見れば、今の村田はとても幸せですよ。自分の全てを懸けて戦える男との試合を迎えるんですから」

亀田は言い切った。

「僕は村田が勝つと思いますよ。ゴロフキンは確かにミドル級で自分の時代を築いた名チャンピオンです。僕が説明するまでもない。でも、もう40歳です。衰えない筈がない。村田との4つの年齢差は、ボクサーにとって、とても大きいです。これが36歳と32歳なら、それ程ではないかもしれません。しかし、40歳と36歳では瞬発力、回復力、練習での疲れ方など、まったく違うものですよ」

また、亀田は五輪金メダリストの価値を力説した。

「アマチュアというのは、勝ち上がれば勝ち上がるほど、相手が強くなります。ステージが上がるんですから当然ですよね。世界大会はトーナメント戦でしょう。村田は2011年に世界選手権で2位、翌年のロンドン五輪で優勝した男です。プロで世界チャンピオンになるよりも、五輪で金メダルを獲る方が難しい。それだけのモノを持っているからこそ、ロンドンで勝てたんですよ。

プロで世界チャンピオンとなるには、マッチメイクに恵まれる必要があります。力のあるプロモーターに見出されて初めてチャンスがくる。どのタイミングで世界挑戦するかも、明暗を分けますよね。でも、アマチュアは実力の世界だと表現していい。確かに、妙な判定もありますが……。

モハメド・アリ、ジョー・フレージャー、ジョージ・フォアマン、シュガー・レイ・レナード、オスカー・デラホーヤと錚々たる名チャンピオンは元五輪金メダリストでしょう。金メダルを獲れるということは、それだけの資質がある証です。ゴロフキンもアテネ五輪で銀メダルを得ましたが、決勝で勝てた男と負けた人間では、やっぱり違うんですよ」

亀田は40年前を回想しながら呟いた。

「僕は、あのプライアーと戦うのに、1カ月しか準備期間がなかった。悔いが残っているとすれば、そこかな……もっと練習出来ていたら、よりいい試合が出来たように感じています。ただ、プライアーは格が違ったので、勝てたとは思えませんが」

本気で闘いあったからこそ、戦友となった

コロナ禍で、村田の試合は決まりかけては何度も延期となった。とはいえ、海外から複数のパートナーを呼び寄せ、間隔を空けずにスパーリングを続けてきた。亀田がプライアーへの挑戦決定を聞かされた折、彼はジムの移籍問題で揺れ、9カ月も碌に練習が出来ない日々を送っていた。

「金メダリストである村田だからこそ、得られた環境です。昨年末にゴロフキン戦が行われていたら、スパーリングが足りなかった、と本人がコメントしましたよね。満を持して、世界一の男と拳を交える。これ以上の舞台はありません。是非、村田に頑張ってもらいたい。僕も心から応援しています」

さいたまスーパーアリーナにゴングが響くまで、あと8日だ。

亀田昭雄氏は現在、病魔との闘いを強いられている。「頭と口は元気だから」と、私の取材に応じて下さった。一日も早い回復を祈る。あなたなら、きっと乗り越えられる!

亀田氏とアーロン・プライヤーとの一戦とその後の再会を追った林壮一氏の著作

 

  • 取材・文林壮一写真鬼怒川毅(1枚目)林壮一(2、3枚目)

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