大学生になった女子柔道ホープの「強くなりたい」ともうひとつの夢
「お米と炊飯器持参」で臨んだ国際大会で「負けちゃった理由」激白
2月にポーランドで開催された女子柔道ヨーロッパオープン・ワルシャワ大会。日本から出場した選手8人のなかに、ふたりの高校生がいた。
「国際大会は初めてで…楽しかったです!
でも、ほんと、驚きました。今まで戦った人とまったく違う。力の差というか、柔道そのものの違いを実感しました」
こう話してくれたのは、78キロ超級の選手、橋口茉央(まひろ)さん。佐賀商業高校を卒業して、春から東海大学に進む。
「大会では、準決勝で負けちゃいました。フランスの選手と対戦したんですが、体の大きさがぜんぜん違って。しかも、試合のやり方というか、試合以前のことも、ぜんぜん違ってたんです。アップの仕方からして、違う。声を出したり、歌とか歌ってるんですよ。礼の仕方も違う。世界ってこうなんだ、と、勉強になりました」
一方、63キロ級の石岡来望(くるみ)選手は、3回戦で敗退した。
「悔しかったです。泣きました。高校の卒業式も出ないで来たのに、って。情けない、申しわけなくて泣きました」
と、振り返る。減量のため、1ヶ月前から食事を制限して臨んだ大会。成田からヘルシンキ経由でワルシャワに向かう14時間のフライトでも、機内食をとらず、プロテインバーをかじっていた。
「試合前の減量は慣れているから、平気です」
と、言う。けれども
「国際大会は2度目なんですが、とても緊張しました。会場の雰囲気とか、のまれてしまった。柔道って、頭脳戦なんです。力の強さだけではなく、試合を組み立てる。駆け引きをする。それが、できなかったんです。持ってるものを出しきれなかったふがいなさとか…」
ほんとうに悔しそうに、そう分析する。石岡さんも岡山県の創志学園高校を卒業して、環太平洋大学に入学、柔道を続けるという。
「3歳から、柔道を始めました。中学くらいから、柔道は力だけじゃないな、って気づいて。高校で佐野哲朗先生に出会って指導を受けるようになって、現実の激しさもわかりました。動画をみたり、研究して、試合を組み立てることを学んで。今回、それが発揮できなかったことはめっちゃ悔しいんですが、大学からの活動に生かしていきます!」(石岡さん)
今、柔道界、スポーツ界では、幼い頃から競技大会に参加することへの議論がある。指導者、環境への疑問も取り沙汰されている。
「わたしも、3歳から柔道をやっています。ずっと好き?…うーん。どうかな、。高1のときは常に辞めたいとおもってました。キツイな、逃げよう、って。でも日本一になりたかったんです。日本一になって、母に恩返ししたくて。監督に恵まれて、続けられました。井上安弘先生。感謝してます」(橋口さん)
ふたりはそれぞれに「恩師」への感謝を口にする。その言葉にも、ひとつの真実があることは否定できない。
「行きの成田空港で、荷物が多過ぎて、カウンターで荷物の詰め替えをしたんです。向こうで食べるためのお米と、炊飯器と、味噌汁と、ラーメンと、おかずの缶詰とか。手荷物に入れ替えたウイダー6本は、搭乗口で没収されちゃいました」(橋口さん)
「帰りは、予定のフィランド航空が戦争の影響で欠航になって、1日遅れでドバイ経由で帰国しました」(石岡さん)
帰国後は、自主待機で東京のホテルに4泊した。そして、それぞれの地元へ帰っていった。
「帰国して大学の寮に移って、もうずっと練習入ってて、今日、入学式です! 新しいスタート、がんばります!
パリ五輪の次、2028年のロス五輪が目標です。でも、まずは目の前の相手に取り組む。大学で結果を残したいです」(石岡さん)
「柔道を続けます。でも、もうひとつやりたいことがあるんです。…ダンス。文化祭で舞台に立って、すごく楽しかった。柔道を引退したら、ダンスか、歌手になりたいなあ」(橋口さん)
高校生だったふたりにとって、この経験は大きかった。それは、彼女たちの柔道だけでなく、人生にとっても、大きな経験だった。ふたりの表情は、とてもとても明るかった。ふたりが、そしてすべての柔道少女たちが存分にスポーツを続けられることを、その未来が明るいものであること祈りたい。