村田諒太独占告白!史上最大の一戦に挑む「覚悟と決意」 | FRIDAYデジタル

村田諒太独占告白!史上最大の一戦に挑む「覚悟と決意」

WBA世界ミドル級スーパー王者 18連続ノックアウトを含む43戦41勝 史上最強ミドル級王者との「世紀の一戦」迫る!

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帝拳ジムで汗を流す村田。取材当日は元世界王者を含む2人の外国人パートナーと計6ラウンドをこなした

「打った後のガード、凄くいいよ!」

コーナーから声が飛ぶ。左ボディアッパーから顔面への左フック、更に得意の右ストレートをヒットさせた後、至近距離で放たれたパートナーのパンチをブロックする。その攻防は、過去に目にしたどの村田諒太(36)よりもキレがあった。

ヘッドギアから覗く眼差しからも、そして表情からも、コンディションの良さが伝わってくる。3ラウンド開始のゴングの直後、村田は3つのジャブを出した。

「その左、いい! 次に繋がるよ!」

トレーナーの声がジムに響いた後、ワンテンポ置き、村田は力を込めた右フックをパートナーの脇腹に叩き込んだ。

村田が4月9日にWBA&IBF統一ミドル級戦で対峙するゲンナジー・ゴロフキン(39)は″超″の付く大物だ。

アテネ五輪(’04年)の銀メダリストとしてプロに転向し、’10年8月にWBAタイトルを奪取。以後、19度の防衛を重ねながら、WBC、IBFのベルトも手にした。’18年にメキシコの人気選手、サウル・″カネロ″・アルバレス(31)に判定負けして王座を手放したが、「ゴロフキンの勝ちだった」と唱える関係者は多い。目下の戦績は、41勝(36KO)1敗1分。GGG(トリプルG)が、愛称だ。

世界タイトルマッチで18連続ノックアウト勝ちを収めるほどの実力者でありながら、カザフスタン人であるゴロフキンはボクシングの本場・米国で″異国のチャンピオン″と扱われてきた現実がある。アルバレスとの第1戦では、チャンピオンであるにもかかわらず、挑戦者の保証額500万ドルより200万ドル低いファイトマネーでの試合を強いられた。村田が彼の存在を知ったのは、アテネ五輪をテレビ観戦した大学1年生の頃だ。

「BSでミドル級の決勝をやっていたんですよ。ロシアのガイダルベコフとやって、逆転負けしました。序盤、スピードがあって強かったのに、ブンブン振り回しているうちに、打ち終わりを狙われて判定で負けていました」

アテネ五輪の前年にインターハイで優勝。高校生ながら大学生や社会人選手に混じって出場した全日本選手権で決勝まで勝ち上がるなど、当時すでに日本有数の実力者であった村田だが、世界の頂点を懸け、かつ日本ボクシング界において過去に無いスケールの興行で、ゴロフキンと雌雄(しゆう)を決する日が訪れようとは、夢にも思わなかった。WBAタイトル7人目の挑戦者としてGGGとグローブを交えた石田順裕(のぶひろ)(46)は言う。

「ゴロフキンの対戦相手は皆が皆、彼のパンチ力を恐れ、足を使って打たれない作戦を立てていました。でも、結局捕まって倒されてしまう。僕は、距離を潰した超接近戦を挑みました。ところが、近付いてやろうと前のめりになったぶん、頭の位置も前になり、ジャブを何発も被弾してしまった。ゴロフキンのジャブはモーションが無くて見えなかった。それに、腕を絡めようとしても直ぐにほどかれる。抱きつこうとしても突き放される。一番感じたのはゴロフキンの身体の強さです」

石田は3ラウンドで力尽きた。

その1年3ヵ月後、ゴロフキンの11度目の防衛戦に向けたトレーニングキャンプに村田は参加を許された。当時の村田はプロ4戦全勝4KO。キャンプでは、チャンピオンとのスパーリングも経験した。ゴロフキンは先日、英国メディアに、当時の村田の印象をこう語った。

「スパーリングらしいスパーリングという程でもなかった。でも、ムラタが非常に真剣に取り組んでいること、そしてボクシングIQが高いことは理解した」

ゴロフキンのコメントを伝えると村田は「『ありがとうございます』って感じですね」と微笑んだ。

「当時、僕はまだペーペーで、『顔面を打って倒すのはスパーじゃない』と、ゴロフキンは腕なんかを打ってきました。ところが、キャンプにはジョージ・グローブス(34・元WBAスーパーミドル級スーパー王者)も来ていて、グローブスはボコボコにしていた。僕には軽くやってくれたんだな、というのがわかりました」

初めて接した折、村田が抱いたゴロフキン像は「紳士」の一言に集約される。

「練習はお互いの為にならなきゃダメだ、と言っていました。僕には撮影クルーがついていたのですが、普通そういう人達って邪魔じゃないですか。でも、彼らの前を通る度に『Excuse me(失礼)』って声を掛けていました。その姿がとても印象的でしたね。これが、強い男なんだ、と心から尊敬しました」

その反面、村田はアルバレス戦にはまったく興味が無い、と話す。アルバレスは現在、客を呼べる選手の筆頭だ。しかし、政治力という後ろ盾がある点も見逃せない。ミドル級のタイトルマッチであるのに、本来の72.5㎏ではなく、70.3㎏の契約で試合を成立させたことがある。また、禁止薬物のクレンブテロールの使用が発覚しながら、僅(わず)か半年の試合停止でリングに復帰した過去も持つ。

「ゴロフキンはクリーンな状態でここまで来ました。そこもリスペクトする理由の一つです。カネだけ持って人気があれば、何でも許される感覚がボクシング界にあるじゃないですか。ドーピングしたって半年で許されてしまう。ファイトマネーが高額な選手に統括団体が歩み寄っていくことが、僕は基本的に好きじゃない。ボクシングの為にもならないですよね。

危険なスポーツだからこそ、ルールを厳しくしなきゃいけない。それを統括団体が緩めてしまっている。己を律したうえでチャンピオンにならなければ、人間的な成長は無いわけですよ。だからこそ、きちんと自分に打ち克(か)っているゴロフキンとやりたいんです」

村田がGGGを意識したのは、自身初の世界タイトルマッチ、’17年5月20日のアッサン・エンダム(38)戦だという。

「それまで世界レベルの選手とは試合をしていなかったので『世界王座に就(つ)く人間って、どんな感じだろう?』『自分はどの位置にいるんだろう?』と思っていました。僕は自分の足で階段をのぼっていかないと、上が見えないタイプ。あの時はエンダムしか見えていませんでしたし、負けましたが『ここまで来たんだ』と思えた。1段か2段かわかりませんが、のぼったことで雲がかかっていたゴロフキンの姿が少し見えた気がしました」

試合は疑惑の判定で敗れたが、5ヵ月後のリターンマッチで世界王座に就く。だが、2度目の防衛戦として迎えたラスベガスのリングで王座陥落。この2敗が村田を大きくした。2敗目の相手、ロブ・ブラント(31)との再戦では、試合開始のゴングから攻めて攻めて攻めまくり、2ラウンドでノックアウトした。

「ベガスでの僕は、悪過ぎました。でも、色々自分を見詰め直せた。負けたことで、自分に合うスタイル、合わないスタイルを精査し、初めてそこで成長できたというか。エンダムとの2戦は、精神的に追い込まれてそれを乗り越えはしましたが、ボクシング自体は良くなかった。ただ、ブラントとの第2戦は違いました。自分と向き合ったことで、きちんとボクシングの内容を変えることができた」

相手を見過ぎていた点を反省し、修正。待たないボクシングをすることで、本来の能力を発揮し、王座奪還となった。

「ボクシングは勝って騒がれることを目的としますが、負けたことで大切なものが見えてくる。敗北から得るものがあり、自分の人生に色が付いていくんです。先日、ふと夜中に目を覚まして、ホテルの窓から東京の夜景を見ました。奈良の田舎から出てきた俺が、東京にいる。ゴロフキンとの試合、日本中が注目してくれる試合をやろうとしている。

ガキの頃、ボクシングを始めた頃のお前、中学時代に修学旅行で東京に来た頃のお前は、こんなこと想像していなかったよな? お前にとってボクシングって何だ? 一番大事な物って何だい? って自分に問いかけたんですね。その答えは、やっぱり家族でした。ここまで大事な試合を前にしないと、本当に大切な物を自分自身に問えなかったと思うんですよ。前を向いてゴロフキンに向かっていく今だから、こういう精神状態になれたのかな。それだけでも僕にとっては大きい」

試合当日まではホテルとジムの往復。家族とは、電話やLINEでやり取りする日々だ。

「娘には『一生懸命やるよ。頑張るよ。でも勝つか負けるかは、神様しか知らないからね。勝つとは約束できないな』と話したのですが、小5の息子の発言が面白かったんですよ。『そうだね。試合って、試し合いって言うもんね』と。この言葉、以前やっていたメンタルトレーニングで耳にしたものと同じなんです。

試合は力や技を試し合うことであって、100回やって100回勝つわけじゃない。だから〝試し合い〟なんですよね。息子の言葉を聞いて勇気付けられたというか、諭されたような感じがしました」

コーナーから村田に声を掛け続けていた田中繊大(せんだい)トレーナーは語った。

「ゴロフキンに負けないナチュラルタイミングやパワーを持っていますし、研究熱心ですから、邪魔をしないように背中を押すくらいの感覚でサポートしてきました。勝てると思います。負けたらトレーナーの責任でしょうね」

現在、日本のボクシング界で最も多くの修羅場を潜(くぐ)り抜けたトレーナーの言葉である。長くメキシコに住み、当地のスーパースターのセコンドを務めた。彼が自信に満ちた発言をすることは珍しい。

前出の石田順裕も言った。

「十分勝機はあります。(’12年ロンドン五輪で)金メダルを獲得した時も、色んな国の強豪にフィジカルで負けなかった人ですから、GGGを過大評価し過ぎないで自信を持ってリングに上がってほしいです」

4月9日、さいたまスーパーアリーナで村田はいかなる戦いを見せるか。リングで何を感じ、学ぶのか。

公開練習では「ゴロフキンより(コロナで)試合ができなくなることのほうが怖い」と報道陣を笑わす余裕を見せた
読書家で知られる村田はリングの中でも外でも、常に学ぼう、知識を増やそうとし、自らそれを判別したうえで取捨選択を繰り返し、日々、人間力を高めようとする姿勢を見せる。一つ一つの発言から、その様が伝わってくる
本誌未掲載カット WBA世界ミドル級スーパー王者・村田諒太 独占インタビュー
本誌未掲載カット WBA世界ミドル級スーパー王者・村田諒太 独占インタビュー
本誌未掲載カット WBA世界ミドル級スーパー王者・村田諒太 独占インタビュー

『FRIDAY』2022年4月15日号より

  • 取材・文林 壮一

    ノンフィクション作家

  • PHOTO鬼怒川 毅

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