友との約束のため…国境の街に残る台湾人ボランティアの決意 | FRIDAYデジタル

友との約束のため…国境の街に残る台湾人ボランティアの決意

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台湾人ボランティアの王さん。留学をきっかけに、7年前からウクライナに住んでいた。ロシア軍の侵攻を受け、ポーランドに避難した

ウクライナとポーランドの国境の街、メディカには世界各国の支援団体が設営したテントがずらりと並ぶ。確認できただけで40以上。テントの前に立ち並ぶボランティアたちは、歩いてやって来る避難民に声を掛け、サンドイッチやスープ、果物などの食べ物を差し出したり、荷物の持ち運びを手伝ったりする。

その大半は欧米人だ。日本人ボランティアも少しは出入りしているようだが、アジア人は圧倒的に少ない。私が聞いた米国人と英国人の若者はいずれも職場で1週間程度の休暇を取って、ウクライナ入りしていた。日本ではそうした休暇の取り方は難しく、仮に取れたとしても、新型コロナウイルスへの懸念が海外渡航への足枷になっているのではないだろうか。

私がポーランドの首都ワルシャワに到着した3月23日時点で、大半のポーランド人はマスクをしていなかった。逆にしているのが恥ずかしくなるほどだ。だから私もほぼ2年ぶりに、マスク着用の生活から解放された日々を送っている。そんな折、メディカの街でボランティア活動を続ける、同じアジア人に出会った。

「何か必要なものはありますか? ここに並んでいるものは無料で持っていって構いません」

歯ブラシなどの日用品が並ぶテントにやって来た避難民に対し、台湾出身の王楠穎(おう・なんえい)さん(40)が流暢なウクライナ語で対応していた。その能力を買われ、支援団体で通訳を務めているのだ。しかもロシア語、英語、そして日本語や韓国語まで話せる。

王さんもウクライナからポーランドへ渡った避難民だ。

「ウクライナから避難した台湾人は皆、台湾に戻りました。でも私だけはウクライナに戻りたいと思っています。ウクライナ人の友達と約束しました。ロシア軍に破壊された家を建て直すと。この国を去って台湾に行くことはできません」

王さんがウクライナに住み始めたのは今から7年前。第二の都市ハリコフの国立航空宇宙大学に留学したのがきっかけだった。そこで修士課程まで終え、中国系の建設会社に入社した。現場は、黒海に面した南部のムィコラーイウ州で、風力発電事業に携わっていた。その日も午前5時に現場へ行き、資材を確認した。ところがロシア軍による侵攻で、銃撃戦のような音が間もなく聞こえた。

「最初の3日間はものすごく怖かったです。次は私が狙われるかもしれないと考えると、食べることも、水を飲むこともできませんでした。台湾に住む母親にも電話を掛け、『僕はもう台湾に戻れないかもしれない』と遺言のようなものを伝えました」

王さんは、同僚のウクライナ人と一緒に避難した。

「タクシーを呼んだのですが、27回目でようやくつかまりました」

途中で台湾政府が用意してくれたバスに乗り、ポーランドの首都ワルシャワに到着した。そこで出会った人の紹介を受け、現在のボランティア活動に至っている。

「2〜3日何も食べていないから、やっと食べ物にありつけたと涙を流す避難民もいました。目の前で自分の家が破壊され、二度と故郷に戻れない人もいます。そんな悲しい物語ばかり聞きます。だから自分の仕事とかお金とか言っている場合じゃない。今は自分の力で、どれだけの人を助けられるのかを考えています」

欧米人が大半を占めるボランティア活動の現場において、ウクライナを第二の故郷のごとく思う王さんの存在は、一際大きく見えた。

ウクライナ語に加え、ロシア語、英語、日本語、韓国語を話せる王さん。支援団体で通訳も務めている
国境の街・メディカには、世界各国の支援団体が設立したテントがずらりと並んでいる
ウクライナからの避難民は高齢者や女性、子供がほとんどだ
  • 取材・写真・文ノンフィクションライター・水谷竹秀

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