大暴れから一転、猛省 「ノコギリ惨殺老婦」の態度が一変の不可解 | FRIDAYデジタル

大暴れから一転、猛省 「ノコギリ惨殺老婦」の態度が一変の不可解

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丸洋子被告の自宅。長男の証言では「事件前にノコギリで木を切り出した」。夫殺害のために、庭にあるこの木を切っていたのだろうか(撮影:高橋ユキ)

自宅で夫の首をノコギリで切り殺害したとして殺人罪に問われていた妻(逮捕当時76)の控訴審第一回公判が3月16日、東京高裁(三浦透裁判長)で開かれた。

一審の裁判員裁判は横浜地裁(景山太郎裁判長)で昨年行われ、同年9月17日、妻の丸洋子被告には懲役8年の判決が言い渡されていたが(求刑懲役12年)、これを不服として被告側が控訴していた。一審判決によると被告は昨年の3月5日午前、神奈川・茅ヶ崎市の自宅において夫の寿雄さん(83=当時)の首をノコギリで切り付け失血死させた。

「長年の恨みが犯行の根底にあったのは明らか」と横浜地裁の判決で述べられていたように、丸被告は逮捕後、寿雄さんに対して、このように語っていたという。

「夫の寿雄を殺しました。今の気持ちはほっとしたという感じです。力で負ける女の自分は夫を殺せるか分からなかった。殺すことができてほっとしている。
見合い結婚したが、好きだと思ったことは一度もない。暴力振るうところが一番嫌いでした。顔を殴られたことは3回あります。それ以外にも、殴られそうになったり、ものを投げられたことは何度もあります。

他にも嫌いなのは、お金をくれないところです。工場勤めだった寿雄は、結婚3ヶ月後から、給与を渡さなくなり、最初のボーナスもくれませんでした。給与はほとんど酒やパチンコなどの遊びに使っていた。私は働き詰めで家計を支え、子供を育ててきました」(丸被告の調書より)

被告は寿雄さんと1970年に見合い結婚し、長女、長男を出産する。長女が結婚し、独立したのちの1998年に一旦離婚。長男と寿雄さんふたりが自宅を出てアパート住まいをしていたが、2005年に再婚。自宅に戻ってきた長男と寿雄さんと3人で暮らしていた。だが「寿雄さんは当時、ほぼ1日、1階の六畳和室に引きこもる生活」(一審検察側冒頭陳述より)だったという。

さらには「長年風呂に入らず、部屋を出るのはトイレの時だけ、長男や被告人が渡すパンやおにぎりなどの軽食を食べ生活していた」と、長男と被告、寿雄さんの3人暮らしでありながら、寿雄さんだけが完全な引きこもり生活を送っていたことも分かった。

「昼食はコッペパンとアイスクリーム、夕食は買いだめしていたオニギリを渡すだけでした。着替えは、1年に一回、パジャマ着替えてました。『着替えて』って言って渡して、着替える」(一審・証人尋問での長男の証言)

夫婦が離婚していた頃、寿雄さんは酒による栄養失調で入院し、退院後は一時介護が必要な状態になった。オムツを替えるなど元夫の介護を行いながら「長男に介護は無理、娘にもやらせるわけにはいかない」と、復縁を決意したのだという。

「夫の嫌なところは他にもある、それは臭いです。17年以上風呂に入っておらず、結婚後、一度も歯磨きをしていない。食事やトイレで和室の扉を開けた時に耐えられない悪臭がする。マスクをしたり、息を止めていても、夏場の臭いは半端なものではない」(同)

このように一審公判での証拠などによれば事件当時、被告が寿雄さんに嫌悪感を抱いていたことが分かる。ところが当の被告はなぜか、地裁の法廷で幾度も暴れ、証言を拒否し続けた。手で自分の頭を何度も叩き、机を叩いてバンバンと音を立てる。果ては上半身を大きく前後左右に動かし続けて床にひっくり返ったりするなどの奇妙な行為を繰り返してきたのだ。そのため退廷を命じられることもあった。左右の腕を職員に掴まれ、半ば引きずられるようにして法廷を出入りしていた。

横浜地裁での丸被告は、法廷では自分の気持ちを言いたくない、その結果下された判決も受け入れる……そんな気持ちを身体で表現しているかのように見えていた。当時の様子を目の当たりにした者としては、地裁の判決に対して控訴を申し立てたこと自体が、意外ではあった。今度は東京高裁の法廷で暴れてしまうのではないか。もとより控訴審には被告人の出頭義務はない。法廷には現れないのではないか。

そんな心配も抱きながらの控訴審第一回公判。法廷奥のドアから現れた丸被告は、外見こそグレイヘアにゆったりとした着衣で、一審当時と変化はないが、振る舞いが全く異なっていた。しっかりと自分の足で歩き、弁護人の前の長椅子に座ったのである。人定質問でも、聞き取りやすいはっきりとした声で、氏名を名乗り、住所を述べていた。

一審・横浜地裁での、あの大暴れはいったい何だったのだろう。すると弁護人が請求した証拠である「丸被告から聞き取った内容をまとめた書面」が読み上げられた。

「控訴した理由は、うまく説明できないが、懲役8年、間違っているんじゃないかと思う。法廷で自分が何か叩くことやバタバタすることは分かっていた、でもやってしまった。今振り返ってみると、すごく反省している。横浜の裁判官にも話を聞いて欲しい」

我に返り、本来の自分を取り戻したということなのだろうか。続けて寿雄さんへの気持ちも読み上げられたが、それは、逮捕時に述べていた“殺すことができてほっとしている”という内容とは真逆だった。

「主人のことはそんなに嫌いじゃなかった。殺して悪かったと思ってる。部屋をきれいにして、お風呂を入れて、髪の毛をきちんとしてあげればよかった。どうしてそうなったか分からない。今は本当に、あんなことやらなきゃよかったという気持ち」

続けて行われた被告人質問でも、丸被告は自ら、寿雄さんへの今の気持ちを語った。かつてのように、暴れることもなく、声もはっきりと聞き取れる。

弁護人「前の横浜の裁判で、話したこととか、調書とか、違ってたなって思うことはありますか?」

丸被告「ん〜……いい人だったなと思う。だから……反省している。とても、後悔してる」

弁護人「一審では『寿雄殺した、バンザイ』と、そう思ってるか聞かれて『そうかも』って答えていましたが、今思うと?」

丸被告「そのときは思ってたけど、今、時間が経って……だから……やっぱり、人の命はね、大切にしなきゃいけないね」

事件や逮捕当時は、寿雄さんの世話を続けていくことや、自分が死んだ後に長男が寿雄さんの面倒を見れるかなどに不安を感じ追い詰められていた様子があった。しかし生活が一変したこともあるのか、以前より落ち着いて自分の行為を振り返っている様子だ。

弁護人「寿雄さんは、髪の毛が腰まで伸びて、髭は胸の辺りまであった。爪も長く、布団の下にタバコの吸い殻が散らばっていた。そういう方と暮らすのは大変だったんじゃないですか?」

丸被告「……面倒見てあげればよかったなと思う。食事も替えてね。食事がちょっとね。ちゃんとやってあげればよかったね」

弁護人「時間を戻せたらよかったのに、と私に言っていたことがありますが、いまそうできたら、どうしますか?」

丸被告「もうちょっと、料理してあげればよかったね。頻繁に。量が少なかったんじゃないかな」

弁護人「そうすれば、何がどう変わったと思う?」

丸被告「(寿雄さんは)元気になっていたと思います」

逮捕当時に抱いていた恨みの気持ちから、時間を経て、控訴審の法廷では後悔の気持ちへと変化したようだ。「(控訴審の)弁護士さんとお話しできたから」とも打ち明けており、自分の気持ちを率直に語る相手ができたことから、気持ちも落ち着いたように見える。これまでも、逮捕から時間を経た被告人が、自分の置かれていた状況を認識できるようになり、発言や態度に変化が生まれ、後悔を語る例は見てきた。

丸被告は最後にこう言った。

「今は後悔だけです」

控訴審判決は4月に言い渡される予定だ。

  • 取材・文高橋ユキ

    傍聴人。フリーライター。『つけびの村 噂が5人を殺したのか?』(晶文社)、『暴走老人・犯罪劇場』(洋泉社新書)、『木嶋佳苗 危険な愛の奥義』(徳間書店)、『木嶋佳苗劇場』(宝島社)、古くは『霞っ子クラブ 娘たちの裁判傍聴記』(新潮社)など殺人事件の取材や公判傍聴などを元にした著作多数。

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