世界最悪の独裁者プーチンがこれまで実行した「殺戮の歴史」 | FRIDAYデジタル

世界最悪の独裁者プーチンがこれまで実行した「殺戮の歴史」

プーチンウオッチャー・黒井文太郎レポート

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ウクライナで民間人の虐殺を続けるロシア軍。プーチン大統領はこの20数年で、およそ30万人の命を奪ってきたのだ。プーチンウオッチャーが分析する「非道の記録」 写真:AFP/アフロ

開戦から1ヶ月で、凄まじい数の命が奪われた

4月4日、国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)は、それまでのウクライナの民間人の死者は少なくとも1430人。実際にはさらにはるかに多いだろうと発表した。

4月3日には、ロシア軍が撤退したキーウ北方の町ブチャで多くの惨殺死体が発見された。ブチャ市長はロイター通信に対し「300人以上が殺害された」と証言している。ブチャ以外でも同様の住民殺戮が行われたとの情報もあり、4月5日にはウクライナ当局が「キーウ周辺で410人の民間人遺体を発見」としている。

他方、南部の港湾都市マリウポリはロシア軍に包囲され、連日砲撃を受けてきたが、市当局は3月28日に「死者は約5000人」と発表している。

こうした数字がどれだけ正しいかは不明だが、少なくともウクライナでは数千人の民間人が犠牲になっていることは、間違いない。

また、ロシア軍による犠牲者ということでは、民間人以外にウクライナ軍の犠牲者もいるが、こちらはウクライナ当局が厳重な情報秘匿を徹底しており、何人が死んだか一切不明である。

対するロシア軍の戦死者数も不明だが、3月21日にロシア紙サイトが「約9800人戦死」と報じ「すぐに削除」されたことや、3月24日にNATO当局者が「ロシア軍の戦死者が7000人~15000人」としていたことから、おそらく1万人程度が実態に近いのではないかと推測される。

開戦から1ヶ月で、凄まじい数の戦死者推定だが、ウクライナ軍はそれ以上の戦死者を出している可能性もある。もちろん実態は不明だが、仮にロシア軍と同程度としても1万人規模の戦死者。

以上の「数字」はいずれも、プーチン大統領がこの「恥ずべき侵略」を始めなければ、死なずに済んだ貴い命だ。つまり、すでにプ―チンはウクライナ人を、1万数千人(推定)も殺害しているのだ。

プーチン殺戮の歴史

もっとも、プーチンがこれまでに「殺害してきた人数」はこれだけではない。主な殺人歴を以下に挙げる。

・第2次チェチェン戦争

プーチンは1999年に首相に就任し、すぐにチェチェンへの侵攻を開始した。その攻撃は、一般住民の巻き添えを一顧だにしない残忍なもので、ロシア軍はそれを10年間も続けた。

この第2次チェチェン戦争での民間人の死者数は、統計した団体ごとにさまざまな推定値がある。4万~5万人という推定が多いが、もっとも少ない推定値は中立的立場の国際人権団体「アムネスティ・インターナショナル」の調査で、民間人の死者が約2万5000人、さらにおそらく死亡したであろう行方不明者が5000人いるとされている。つまり、少なくとも3万人以上の民間人が殺害されたとみていいだろう。

それに加え、チェチェン独立派の兵士も計1万数千人が戦死したとみられる。つまり、プーチンが命令した戦争により、少なくとも4万数千人以上が殺害されている。

・モスクワ「自作自演」連続テロ

旧KGBの後継組織である連邦保安庁(FSB)長官だったプーチンは1999年8月9日に首相代行、同月16日に首相に任命されて実権を握るが、そのわずか半月後の8月31日にモスクワ中心部のショッピングモールで爆弾テロが発生。さらに翌9月半ばにかけてモスクワの集合住宅ほかロシア各地で計5回のテロが起き、計295人が殺害された。

後に内外の勇敢な記者たちの調査により、これらのテロはチェチェン侵攻の口実とするためにプーチン政権がFSBに命じてやらせたものとほぼ確認されている。つまり自作自演テロでプーチンはロシア人同胞を含む無関係の民間人295人を殺戮したのである。

・反対派の暗殺

プーチン政権発足以降、反対派の新興財閥、政治家、記者らの殺害・殺害未遂および不審死があとを絶たない。

たとえばプ―チンの戦争犯罪を鋭く追及していた独立系紙「ノーバヤ・ガゼータ」の著名記者アンナ・ポリトコフスカヤは、2006年に自宅アパートのエレベーター内で射殺された。同年には、イギリスに亡命して反プーチン言論活動をしていた元情報機関員のアレクサンドル・リトビネンコも放射性物質により暗殺された。

プ―チンの最大のライバルだった元第1副首相のボリス・ネムツォフは、2015年にモスクワ市内で射殺された。ロシア最大の新興財閥だったボリス・ベレゾフスキーは2001年に身の危険を感じてイギリスに亡命し、反プーチン活動を続けていたが、2013年に自宅で変死を遂げた。

こうしたプーチン批判派で、国内外で殺害された人数は少なくとも30人以上に上る。軍用神経剤「ノビチョク」で暗殺未遂に遭った民主化運動指導者のアレクセイ・ナワリヌイ(2020年)や元情報機関員セルゲイ・スクリパリ(2018年)のように、殺害されないまでも暗殺未遂に遭った人数を含めると、少なくとも50人以上が被害を受けている。

なお、これらの反対派の暗殺・暗殺未遂のうち、ナワリヌイ暗殺未遂はFSBによる工作で、スクリパリ暗殺未遂は軍情報機関「参謀本部情報総局」(GRU)によるものであることが、イギリスの民間調査機関「ベリングキャット」の調査により判明している。その他の暗殺・暗殺未遂事件も、主にFSBの特殊チームによるものと推定される。

膨大な民間人犠牲者を出したシリアの非道

・シリア空爆

2011年に始まったシリア紛争で、プーチン政権は反独裁を叫ぶシリア国民を殺戮するアサド政権に圧力をかける国連安保理決議をことごとく拒否権で潰し、アサド政権への軍事支援を続けた。

また、2015年からは直接、ロシア空軍部隊を派遣し、反体制派エリアへの無差別空爆を開始した。ロシア軍は病院、学校、市場、民家を破壊し、民間人多数を殺害し続けた。それは現在も続いているが、ロシアは一貫して「テロリストのみ攻撃している」と主張している。ウクライナで現在やっていることと同じだ。

ロシア軍がシリアで戮殺した民間人の人数は、NGO「シリア人権監視団」(SOHR)によれば少なくとも8700人(2021年6月時点)、同「暴力記録センター」(VDC)によれば6900人(2022年2月時点)とのことである。ちなみにVDCは戦闘員を含めたロシア軍による殺害総数を7360人と統計している。「テロリストのみ攻撃している」と言いながら、実際には民間人ばかり殺害していることが証明されている。

それだけではない。プーチンは、こうした直接的な殺人だけでなく、間接的な殺人幇助も行っている。前述したようにロシアが国連安保理決議を葬ったことにより、アサド政権は延命し、多くの民間人を虐殺した。その人数は前出SOHRによれば判明しているだけで13万人以上、不明者はさらに数万人規模という。もう一つの有力なNGO「シリア人権ネットワーク」(SNHR)の統計では、20万人以上に及ぶ。

この膨大な数の民間人犠牲者も、プーチンが殺したといって過言ではない。

「軍のダミー」に、暗殺を指示

・GRU指揮下の民間軍事会社「ワグナー」の暗躍

前出のロシア軍情報機関GRUが、ロシア軍が表立って行動できない時に、軍のダミーとして使っている民間軍事会社がある。「ワグナー・グループ」といい、所有者はプーチン側近の政商で、クレムリンと直結している。

このワグナーはシリア、ウクライナだけでなく、リビア、中央アフリカ、南スーダン、モザンビーク、マダガスカル、マリなどに派遣されている。ワグナーは汚れ仕事を請け負うことが多く、それらの国でも独裁的な権力者もしくはいずれかの政治勢力の側に参加し、現地の反対派を弾圧する任務に就くことが一般的だ。その過程でおそらくそれなりの人数の現地住民を殺戮しているが、その活動は秘匿されている。

ちなみに、2018年7月、ワグナーの活動を取材するために中央アフリカに入ったロシア人のジャーナリスト3人が、移動中に銃撃されて殺害されている。

なお、4月5日に国際人権団体「ヒューマンライツ・ウォッチ」が「マリで3月末に約300の民間人が、マリ政府軍と外国人戦闘員に殺害された」との報告書を発表した。この外国人はロシア人だったとの目撃証言があり、おそらくワグナーと思われる。

・ドンバス地方侵略

ロシア軍によるウクライナへの不法な侵略行為は、2014年から継続している。最初はクリミア半島に軍を派遣して占領。その後、ロシアに一方的に併合したと主張している。

さらに、その勢いでウクライナ東部のドンバス地方に非公式に軍および軍情報機関を投入し、地元の親ロシア派を前面に立てて一部を占領した。その後のウクライナ軍との戦いの過程ですでに1万4000人が死亡している。これらの犠牲もすべてプーチンに責任がある。

以上のように、今回のウクライナ侵攻よりずっと以前から、プーチンは数々の殺戮に手を染めている。ざっと計算すると、すでに8万人前後の殺戮に直接の責任がある。事実上プーチンの配下になっているシリアのアサド大統領による殺戮の責任も加えれば、プーチンはなんと30万人近い人々を殺してきた21世紀最悪の大虐殺者といえる。

プーチンは、1999年以来、殺戮を続けている。今回のウクライナ侵攻以前に、すでにヒトラーやスターリン、毛沢東、ポルポトといったカテゴリーの人間だったのである。

 

黒井文太郎:軍事ジャーナリスト。1963年生まれ。モスクワ、シリアなどで取材、プーチンに言動について長年にわたり分析を続けているプーチンウオッチャーとしても唯一無二。

  • 取材・文黒井文太郎写真AFP/アフロ

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