ウクライナ戦争取材者が明かす「私はこうして国境を越えた」
ノンフィクションライター・水谷竹秀の「ウクライナ戦争」現地ルポ
西日が駅のホームをぎらぎらと照らしていた
ポーランド南東部のプシェミシル駅に列車が着いたのは、3月29日の夕暮れ時だった。ここはウクライナの国境から西に約10㎞。待機していたタクシー運転手に目的地の住所を渡すと、街の中心部から郊外へ抜け、住宅地のような場所にたどり着いた。目の前には赤茶けた三角屋根の大きな平屋が建っている。宿泊場所というよりは一般の民家のような建物だ。周囲にも同じような民家がポツポツとあり、飲食店やスーパーなどの店は全くない。

ここは一体どこなんだろう。
駅周辺のホテルは全て満室だったため、あらかじめウクライナの知人にお願いし、宿泊先を探してもらっていた。オーナーとみられる人物の携帯番号と住所だけを渡され、それを頼りにやって来たのだ。
有事の際だから仕方がないとはいえ、あまりの殺風景さに、一抹の不安がよぎった。
その平屋のドアを開けると、ブロンドヘアの背の高い女性がすぐそこにいて、「ハロー!」と笑みを浮かべている。ソファには小さな男の子。聞けばウクライナからイタリア人の夫とともに避難して来たという。間もなく、髭モジャの夫が部屋から出てきた。どうやらここが宿泊先で間違いなさそうだ。
「この辺りは売店がないから、買い物があるなら、後で近くのスーパーに車で連れて行ってあげるよ」
その言葉に甘えさせてもらった。というより私は移動手段を持っていないので、彼に頼るほかなかった。
私に用意されたのは、ベッドが1つ置かれただけの簡素な部屋で、清潔感が漂っていた。Wi-Fi環境も整っているし、1泊するだけなら全く問題なさそうだ。部屋は全部で4部屋あり、共同キッチンと共同トイレ・シャワーといった間取りで、ホテルというよりは、臨時で営業している隠れ家のような場所だ。オーナーに電話をしても「後からそちらに行くよ」と言われたまま、一向に現れなかった。その適当さ加減に、私が慣れ親しんできたアジアっぽさを感じた。


しばらくすると、今度は別の髭モジャの外国人男性が帰ってきた。彼もイタリア人で、フリーのカメラマンだった。国境の街、メディカで取材を続けているというので、早速、現場の状況を教えてもらった。
「以前に比べて避難民はかなり少なくなっている」
「ボランティアから支給される食べ物が余っているほどだよ」
同業者同士だから話し始めるとつい長引いてしまい、すっかり仲良くなったので、翌日は彼のレンタカーで国境まで乗せてもらうことにした。メディカまでの行程は約20分。到着すると、広々とした大地が各支援団体のテントで埋め尽くされていた。
ウクライナからやってきた避難民たちは、そこで様々な食料や日用品を支給され、また医療支援も受けられる。バスも次から次へとやってきて、それぞれの目的地へ運んでくれる。
その日は取材をした支援団体のテントで1泊させてもらうことにした。長椅子にマットを敷いただけの場所に横たわっていると、深夜、急に寝床の周辺が騒がしくなった。ボランティアの人が簡易ベットを慌ただしく用意している。その側に、ピンク色のジャンパーを羽織った小さな女の子が立っていた。私の方を無表情に見つめている。疲れているのだろう。時間は午前2時だ。普通の子供ならとっくに寝ているはずの時間に国境を越え、歩いてここまでたどり着いた女の子の澄んだ眼差しに、胸が締め付けられた。
午前7時に目覚めると、その女の子はぬいぐるみを手に、すやすやと眠っていた。
ブロンドヘアの美人審査官が対応
メディカに到着してから気づいたことがある。
ウクライナからポーランドへ渡ってくる避難民がいる一方、逆にウクライナへと戻っていく避難民もちらほらいたことだ。ある支援団体のボランティアはこう説明してくれた。
「数日前からウクライナに戻り始めていますよ。西部のほうは安全だと判断したみたいで、東部から逃れてきた避難民はまだ帰れないですね」
そんな彼らに続いて、私も国境を越えることにした。
テントが並ぶ通路をひたすら進み、「Border control」(出入国管理)と記された看板の方向へ歩くと、ポーランドの出国審査場に着く。中に入ってビデオカメラを回していると、前に並ぶ女性から「ビデオはだめよ」と注意された。話しかけてみると、彼女はウクライナからの避難民だった。ポーランドに1ヵ月、子供たちと滞在していたが、夫の誕生日を祝うために一時的に戻るのだという。
ポーランドの出国審査はすんなりと通過した。そこから鉄柵に挟まれた数百メートルの道のりを歩き、ウクライナの入国審査場へ向かう。
ウクライナ側の審査場は、窓口が2つあった。いずれも中にいるのは、軍服姿の女性審査官だ。左側の窓口で旅券を提示すると、顔写真を確認された。
「ウクライナのどこに行きますか?」
「リヴィウです」
旅券を受け取ると、右側の窓口へ行くよう指示される。そこに待っていたのは、ブロンドヘアを束ね、青い瞳をした若い女性審査官だった。モデルのように整った顔立ちをしている。彼女は私の旅券に視線を落とした。
「あなたはジャーナリストですか?」
一瞬、ドキッとした。何か問題があるのだろうか。「ビジネスマンです」と伝えようかと思ったが、防弾ヘルメットを手にしていたため、すぐにバレるだろう。だから、
「イエス」
と答えると、青い瞳で真っ直ぐ見つめられた。
「入国審査場では写真やビデオ撮影を禁じられています」
そう伝えられただけで、その場を解放された。
審査場を出ると、ポーランドへ向かう反対側の通路には、避難民たちの行列ができていた。その周囲をボランティアたちが取り囲み、ギターの演奏に合わせ、笑顔で手拍子している避難民もいる。長旅を終え、これから安全なポーランドへ行けると思うと、安堵に浸っているのかもしれない。その和やかな光景をしばらく眺めた後、私は1人、ウクライナ西部の都市リヴィウへと向かった。
(ノンフィクショライター・水谷竹秀氏が「ウクライナ現地ルポ」を映像で届けるYouTubeチャンネルはコチラ)




取材・文・写真:ノンフィクションライター・水谷竹秀