ウクライナ避難民を癒やす「戦場のピアニスト」の美しき音色
「ウクライナ戦争」を取材するノンフィクションライター・水谷竹秀氏の現地ルポ
毎日午後3時ごろになると、国境の街に優しいピアノの音色が響き渡る。その周りを取り囲むように、避難民やボランティアたちが集まり始める。
ポーランドとウクライナの国境近くの街、メディカ。ロシア軍によるウクライナの全面侵攻から1ヵ月以上が経過した3月下旬、避難民たちは続々と国境を越え、ポーランドへ入国してきた。その数は戦争勃発当初より少なくなったとはいえ、高齢者から子供までが今も、長旅で疲れた体をひきずりながらやって来るのだ。
中には車椅子に乗った高齢者や生後間もない赤ん坊、愛犬なども一緒である。各支援団体が設営するテントが両側に並ぶ通路を200メートルほど進むと、避難民を近くの都市まで運ぶバスが待機している。その付近の一角で、ドイツ人男性のダビデ・マルテロさん(40)が、屋外のピアノリサイタルを開いていた。
弾いていたのは、ビートルズの『イエスタデイ』など誰もが知っているような名曲ばかりだが、戦火を逃れてきた避難民、連日の支援活動で疲れているボランティアの人にとっては、癒しのひと時になっている。私も立ち止まり、思わず聞き入ってしまった。ウクライナでは廃墟となった北東部の都市ハルキフで、バッハの曲を演奏するチェリストの動画が世界中で話題を呼んでいるが、ダビデさんが奏でるピアノの音色も美しく、そして優しかった。
ダビデさんがここでピアノを弾き始めたのは2月下旬のこと。ドイツ南部から17時間かけて車を運転し、後部に連結されたトレーラーにピアノを積んで運んできた。旅のお供は生後10ヵ月の子猫だ。ピアノは調律の必要がないよう、電子ピアノを改造して作った「自家製」で、屋根にはピースマークが白く描かれている。ダビデさんが語る。
「ピアノを演奏すると、その空間だけはどういうわけか守られるんです。ピアノを攻撃する人は誰もいないですから」
ダビデさんが戦場でピアノを弾き始めたのは10年前。最初の現場はアフガニスタンだった。
「僕は当時、美容師として働いていました。ピアノは9歳からやっていて、いつか路上ライブで食べていけるようになりたいという夢がありました。たまたま、常連のお客さんとそういう話になり、その彼が軍に人脈があったので、アフガニスタンでピアノを弾くという話が持ち上がりました。最初はやはり怖いかなと思いましたが、とにかくやってみました」
ピアノはドイツ軍の輸送機に、銃弾や手榴弾などと一緒に積んでもらった。滞在は1週間で、外国部隊の基地で鍵盤を叩いた。
「この体験で、将来に向けた芽が育ち始めました。希望や平和を伝えるためにピアノを弾こうと思ったのです」
以来、世界各国で路上ライブを開くことになり、トルコの最大都市イスタンブールで警官隊とデモ隊が衝突した現場では、両者がにらみ合う真ん中で弾いたという。新型コロナウイルスの影響でここ2年ほどは路上ライブから遠ざかっていたが、今回、ロシア軍の全面侵攻によるウクライナの惨状をニュースで見て、再び奮い立った。
「家にじっとしていられなかった。自分の音楽で何かをしたいと思いました。不安定なこの情勢は、次の世界大戦につながるかもしれない。だったら現場に行って平和を推進する活動をすべきだと感じました」
ダビデさんの活動はボランティアだ。ネットを通じて寄せられた寄付金を使い、国境近くのホテルに宿泊し、そこから連日、ここへ通い続けている。
「僕の生活は質素でいいんです。特に有名になりたいという欲もない。ピアニストとして有名になるのではなく、僕の音楽を通じてピースサインを広めたいだけなんです。今回の活動ではウクライナの避難民たちとも交流することができ、ウクライナで流行っている歌も4曲、ピアノで弾けるようになりました」
避難民が集まる国境の街には今日も、ダビデさんの奏でる優しい旋律が流れている。
- 取材・文・写真:ノンフィクションライター・水谷竹秀
’75年、三重県生まれ。『日本を捨てた男たち フィリピンに生きる「困窮邦人」』で第9回開高健ノンフィクション賞を受賞。最新刊は『ルポ 国際ロマンス詐欺』。ウクライナ戦争など世界各地で取材活動を行う