ブチャの住民が語ったロシア軍「大量虐殺」の真実 | FRIDAYデジタル

ブチャの住民が語ったロシア軍「大量虐殺」の真実

キーウ近郊の街 衝撃の現地ルポ 車両に磔にされ、街中を引き回された男性 電気もガスも水道も止まったアパートで身を寄せ合い暮らす家族 約40人を集団埋葬、現場の警官は「ジェノサイドだ」と嘆いた

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ボラディミールさん宅の一番奥の部屋は、窓ガラスが割れ、瓦礫(がれき)で床が埋め尽くされていた。金庫も壊され、中に保管していた銃器類も略奪されていた

その民家に足を踏み入れると、部屋の中には粉々に砕け散ったガラスやコンクリートの破片、木片などが散乱し、踏み締めるたびにバリバリと音を立てた。リビングのテーブルには、果物が食い散らかされたまま。台所のワイン貯蔵庫は空っぽで、床には紙幣や飲み残したウイスキーのボトルが乱雑に散らばっている。大型テレビはごっそり持って行かれていた。

ブチャの路上に横たわっていた女性の遺体。ロシア軍の銃弾を浴びて死亡したと見られ、首から上がなかった

「近所の人から、自宅が3日間ほど、ロシア軍に占拠されたと聞いています」

そう語るジャーナリスト、ボラディミールさん(44)の表情はくたびれていた。

彼の自宅は首都キーウ近郊の街ブチャにある。人口約4万人のこの街ではロシア軍による民間人の虐殺が行われたとされ、400人以上の遺体が見つかった。

ボラディミールさんは戦火が激しくなるに伴い、妻と娘を連れキーウのアパートに移った。4月上旬のロシア軍撤退後に自宅に戻ってきたところ、めちゃくちゃに破壊されていたのだ。

「テレビやプレイステーションは盗まれましたが、私や家族の命までは奪われなかった。殺害された多くの市民のことを思うと、まだマシかもしれません」

ロシア軍の撤退後に明らかになる蛮行の数々――いくら関与を否定しようとも、現場の証拠がすべてを物語っていた。

ボラディミールさんの家で、ロシア軍に監禁されたという近隣住民のアンドレイさん(44)が、重い口を開いた。

「停電で携帯電話が使えなかったため、日付は覚えていないけど、ロシア軍が自宅に侵入して来たのは3月半ばごろです。外へ連れ出され、他の住民たちと一緒に装甲車に磔(はりつけ)にされ、町中を連れ回されました。銃口も向けられました」

アンドレイさんは、ロシア軍から尋問を繰り返された。

「ウクライナ軍と繋がっているのか?」

「ネオナチ勢力か?」

いずれも否定すると、裸にされ、ネオナチを象徴するタトゥーが入っているかどうか「身体検査」を受けた。

アンドレイさんは近くのアパートの一室に連行され、3日後、無事に解放されたという。アパート周辺の並木はロシア軍の装甲車によってなぎ倒されたままだ。

全部で4棟あるアパートの住民は大半が別の場所へ避難したが、一部は今も生活している。電気、ガス、水道は止まっており、ボランティアが食料の配給に来るとはいえ、気温は東京の真冬と同程度。日中でも吐く息は白い。厳しい寒さを凌ぐため、住民たちは倉庫で薪(まき)をくべて暖を取り、水は近くの井戸から汲(く)んでいる。

妻と息子の3人でアパートに暮らすアレキサンドラさん(62)は、こんな生活の知恵を実演してくれた。

「フライパンで炙(あぶ)った塩を布袋に入れると保温できます。それで体を温めます」

アレキサンドラさんの姉は、ブチャから車で避難する最中に銃撃を受けて死亡した。ロシア軍による虐殺と見られる。

「車の中で一緒だった夫は怪我で済みました。その夫を通じて姉の死を知らされた時、体が凍りつきました」

そう肩を落とすアレキサンドラさんの取材を終えた後、ブチャの街中で偶然にも遺体を発見した。仰向けになった女性の遺体で、猫の死骸も一緒だった。側(そば)に停まっていた車のフロントガラスには銃で撃ち抜かれた穴が複数。実況見分をしていた警察官に尋ねると、こう返ってきた。

「この女性は助手席に乗っていたところ、間違いなくロシア軍に撃たれた」

ブチャの教会の裏手は、黒い袋に包まれた民間人の遺体が並ぶ集団墓地だ。4月9日に訪れると、その数は40体だった。現場にいた警察幹部は断言した。

「遺体には銃弾の痕(あと)が残っている。これは民間人を標的にしたロシア軍によるジェノサイドだ」

ロシアはいったい、いつまでシラを切り続けるのだろうか。

銃弾を浴び、穴だらけになった車。ロシア軍の装甲車に追突され、原形をとどめていない車もブチャではたくさん見られた。地面には銃弾も残されている
ブチャの街中に建つアパートと見られる建物。砲撃を受けたのか、黒く焼け焦げていた。ブチャの駅付近にはロシア軍の戦車も焼け焦げたまま残っていた
首都キーウとブチャをつなぐ橋は大破し、一部が崩落していた。ボラディミールさんはこの影響でブチャの自宅に戻れず、キーウで妻や娘としばらく過ごした
ブチャにある教会の裏手に並んだ遺体は、大半が市民だ。雨の中、男性と見られる遺体がクレーンで新たに運び込まれ、警察の検死が進められていた
電気、ガス、水道が止まったアパートで暮らすアレキサンドラさん一家。塩をフライパンで炙り、暖を取っていた。「ロシア軍は早く撤退しろ」と怒りを露に

キーウの地下鉄は、世界で最も深い場所を走っていると言われている。東京の地下鉄駅で最も深いのは都営大江戸線六本木駅の約42mだが、キーウの地下鉄はその倍以上で、100mを超える駅もある。

改札を抜けてエスカレーターに乗ると、一番下の降り口がまったく見えないほどに長く、ホームに辿(たど)り着くまでに1分以上かかる。それだけ深部に位置しているのは、冷戦時代に避難所を想定して建設されたためで、今回のロシア軍の侵攻直後から市民は地下鉄の駅に集まっていた。

その一つ、ルキヤ二ヴスカ駅には4月上旬まで、100人以上の人々が暮らしていた。アーチ状のホームの柱には、マットレスや段ボール、ボストンバッグなどの荷物が整頓され、中にはテントまで持ち込んで寝泊まりしている人もいる。

無精髭を生やしたキーウ在住15年のオレクシーさん(46)は、マットレスの上にあぐらをかき、スマホの動画に視線を落としていた。

「以前住んでいたキーウのアパートを追い出されてしまい、衣類が入ったボストンバッグを持ってやって来ました。日中はヨガをやったり、ボランティアに出かけたりもします。もう1ヵ月ほど暮らしています」

3月半ばには、駅の入り口付近に建つアパートと高層ビルが爆撃され、ホームにもその爆音が轟(とどろ)いたが、「皆、無事だった」(オレクシーさん)という。

ここには非政府組織(NGO)のスタッフが常に出入りし、食事の配給に加えて映画の上映会なども行われ、Wi-Fiも完備している。それでもオレクシーさんは「洗濯はできませんしシャワーも全然浴びられていません」とこぼした。戦争の影響で運送業の仕事もなくなり、所持金はあと50グリブナ(約200円)しか残っていない。

そんな状況に追い討ちを掛けるかのように、彼らは今、駅からの退去を迫られている。NGOスタッフの一人が語る。

「4月11日から地下鉄が徐々に復旧するための措置です。でもまだ19人の行く先が決まっておらず、どうしようか思案しています」

キーウの街には現在も検問所が至る所に設置され、長銃を構えた兵士が目を光らせている。夜間の外出禁止令は継続中で、警報も連日、鳴り響いている。それでも日中は人通りや車の数が多く、少しずつ落ち着きを取り戻しつつあるようだ。地下鉄もこれまでは部分的にしか走っていなかったが、復旧が進めば、こんな懸念も浮かび上がる。

「乗客たちから好奇の目で見られるので、ストレスに感じる生活者もいます」(前述のスタッフ)

行き先を見つけて荷物を片付け、ホームを立ち去る避難民が続出する一方で、オレクシーさんは途方に暮れている。

「前の妻と子供たちとは別居しているので、家族はいません。今の時点で仕事も行くあてもないので、遠方の友達に頼ろうか考えています」

地下鉄の駅が避難民の居場所に。ホームには段ボールや毛布などが並び、4月上旬まで100人超が暮らした

『FRIDAY』2022年4月29日号より

  • 取材・文・撮影水谷竹秀

    ノンフィクションライター

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