激戦地から脱出した住民が告白「選別収容所の実態とロシアの蛮行」 | FRIDAYデジタル

激戦地から脱出した住民が告白「選別収容所の実態とロシアの蛮行」

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取材に応じてくれたヴァレンチン氏とアンナ夫人。現在はジョージアで避難生活を送っている(夫妻の提供画像)

「砲弾が中庭で爆発しました。(一緒に地下シェルターに避難していた)若い女性が即死。2人が大ケガを負いました。その2人も数日後に亡くなりましたが……。遺体は庭に埋葬しています。ロケット弾が毎日のように降りそそぎ、街のすべての家が焼けてしまいました」

こう語るのは、ウクライナ南東部マリウポリに夫人のアンナさんと住んでいた建設会社社長ヴァレンチン氏(64)だ。マリウポリは、ロシア軍との最激戦地。ボイチェンコ市長によると2万人以上の民間人が犠牲となり、現在も10万人にのぼる市民がとり残されているという。

以下は、命からがらマリウポリから国外脱出したヴァレンチン夫妻の告白だ。

「2月24日にロシアの侵攻が始まった時、14年に起きた紛争の経験から軍事行動はスグに終わるだろうと思い、マリウポリにとどまっていました。しかし砲撃は止まず、爆弾は間断なく落ちてきます。隣家もミサイル攻撃を受け、消火活動も長期化。住民たちは、地下シェルターでの生活を余儀なくされました。

地下には、電気も水道も暖房もガスもない。明かりは、LEDランプや車のバッテリーを使いしのぐしかありません。12平米ほどの場所(畳7つ分の広さ)に10人がいたため、スペースがなく床や椅子で眠るありさまです。雨水や防火水槽にためた水を使い、料理は中庭で焚き火をして作りました」

戦闘は激化するばかり。砲撃により「退路」も絶たれる。ヴァレンチン夫妻が住んでいた地区と市の中心部を結ぶ橋が破壊され、比較的安全なウクライナ西部への移動が不可能になってしまったのだ。

「空爆で、息子たちの家も車も大破してしまいました。身の危険を感じましたが、橋がなくなったため西部へは行けない。唯一の避難路は、すでにロシア軍に占領されている東部へ向かうことでした」

「選別収容所」での尋問内容

夫妻が撮影したマリウポリ市内の惨状

ヴァレンチン夫妻は子ども3人を含む避難民10人で、荷物運搬用のマイクロバスに乗り東部への移動を開始する。3月下旬のことだ。車窓からは、凄惨な光景が広がっていた。

「私たち夫婦は、貨物室の床に座っていました。道路が破壊されているため、歩道や庭の芝生の上を走ります。道々には、焼け焦げた車や無数の遺体が転がっていました……」

バスは、マリウポリ郊外でロシア軍に止められる。チェチェン共和国から派遣された、カディロフ大統領が率いる部隊「カディロフツィ」だった。

「ロシア兵の態度は傲慢でしたね。書類をチェックし検問所へ誘導。持ち物を細かく調べ、男性は裸にされました」

その後、夫妻は「選別収容所」に送られる。危険分子がいないか、ロシア軍がウクライナの人々を検閲する場所だ。

「私たちは、収容所で7日間すごしました。寝る場所も満足になく夜は車の中で過ごし、寒さから多くの人が病気になった。ロシア兵からは『道路から逸れるな』と、厳しく注意されました。道路脇には地雷を示す看板があったんです。私たちは、自由に動けず車のスグ横で用を足していました。

収容所での尋問は厳しかったですね。指紋を採取され写真を撮られ、ネオナチや政府や祖国に対して挑発的な質問を受けました。ウクライナについて良くない情報を言わないと、不満げな顔をされ『何を言っているんだ!』と罵声を浴びるんです。『戦場に連れて行くぞ』と脅されたこともあります。長くツラい選別が終わると、私たちは知人たちの助けをかり、ようやくジョージア(黒海沿岸の国、旧グルジア)への列車チケットを購入することができました」

長い逃避行の末、ロシア領内を通ってジョージアへ脱出したヴァレンチン夫妻。今は現地で、避難生活を続けている。一方、マリウポリでは守備隊がロシア軍への徹底抗戦を宣言。市民が犠牲となる激しい戦闘は、なおも続いているのだ。ウクライナの人々に平和が訪れるのは、いつの日になるのだろうか。

夫妻が撮影したマリウポリ市内の惨状(画像は加工しています)
夫妻が撮影したマリウポリ市内の惨状
夫妻が撮影したマリウポリ市内の惨状
夫妻が撮影したマリウポリ市内の惨状
  • 写真ヴァレンチン氏夫妻提供

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