キーウ近郊の町でウクライナの人々が踏み出した「復興への第一歩」
現地ルポ いまだ空襲警報が鳴り響く中 ブチャ、ボロディアンカ、イルピン ロシア軍の侵攻を受けた 首都キーウ近郊の街の現在
白い砂埃(すなぼこり)が舞っていた。重機が轟音を立てて瓦礫(がれき)の山を掘り起こしていくと、黒い服を着た人の腕が出てきた。
男性の遺体だ。それを取り囲むようにして救援隊が白い袋に包み、近くに停まっているトラックまで運んだ。
ウクライナの首都キーウから北西に約50㎞の街、ボロディアンカ。3月上旬に受けた空爆で、9階建てのアパートが縦に引き裂かれたように倒壊し、真っ黒焦げのまま残っている現場だ。その地下1階で瓦礫の下敷きになった犠牲者を捜索する作業が、4月上旬から続いている。救援隊のディマさん(40)が語る。
「もう10日ほどここで捜索が続けられています。アパートの上階から作業が始まり、ようやく地下まで辿(たど)り着きました。今日だけで見つかった遺体は12体。掘り起こされるたびに、ロシア軍に対する怒りと憎しみが湧いてきます」
現場付近では男性たちが、まだ見つかっていない妻や兄弟の遺体を、今か今かと不安げな表情で待ち続けていた。
アパートの別の棟では、失われた日常を取り戻そうと、住人たちが復興への第一歩を踏みだしていた。
IT技術者のミコラさん(47)は、妻や母と一緒に部屋の補修作業をしていた。ミコラさんは空爆直前に西部のリヴィウに避難したために命は助かったが、爆発の衝撃で玄関のドアが破壊され、窓ガラスが粉々に砕け散り、子供部屋は学校用品が散乱してぐちゃぐちゃになった。
「雨の日に備えて窓の部分の補修にやって来ました。3日間作業をしたら一旦、リヴィウに戻ります。ここに住むのは平和が訪れた時ですね」
銀行員の妻は休職中だが、ミコラさんはリモートで仕事ができるため、生活はなんとか維持できているという。
アパート前の広場には、ロシア軍による戦争犯罪を追及する検察官たちの姿も見られた。そのうちの一人は、「住民たちの証言を集めています。ジャーナリストによる写真や動画も証拠の対象になります」と状況を説明した。
ボロディアンカから車で1時間ほど南下した小さな村では、地雷の撤去作業が進む。立ち並ぶ家のゲートには、黄色いペンキで「・」と「?」の印がついている。村に住む年金生活者、ヴァシルさん(65)の家は「・」だった。
「地雷撤去チームによる調査の結果、問題なければ『・』で、『?』は未確定と聞いています。戦争勃発以降の1ヵ月間は、地下壕に妻と犬、猫と避難していました」
取材の最中、遠くで「ドーン」という鈍い音が鳴った。
「不発弾を処理した時の爆発音ですよ」
「虐殺の街」と呼ばれるブチャでは、ロシア軍の戦車や装甲車が、広大な空き地に廃棄されていた。ブチャに隣接するイルピンでは、電柱の修理作業が進む。
キーウ近郊は徐々に日常を取り戻していくかに思われた。だが、黒海艦隊の旗艦「モスクワ」が4月14日に沈没したことで、再び緊張が高まった。キーウでは連日、警報が鳴り響く。リヴィウでは18日、ミサイルで軍事施設や自動車整備工場が攻撃され、民間人7人が死亡した。復興への道のりは、長く遠い。





『FRIDAY』2022年5月6・13日号より
写真・文:水谷竹秀
ノンフィクションライター