卑劣な動画拡散に苦しめられたいじめ自殺者と遺族の「悲痛な肉声」 | FRIDAYデジタル

卑劣な動画拡散に苦しめられたいじめ自殺者と遺族の「悲痛な肉声」

ノンフィクション作家・石井光太が日本社会の深層に迫る!

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大津市で亡くなった中学2年生のいじめ事件。学校側が行ったアンケート結果の一部(画像:共同通信社)

私のもとに、1本の動画がある。中学生が無料の編集ソフトをつかって作成した「お葬式ごっこ」動画である。

動画は悲しげなBGMとともに幕を開ける。画面には「鈴木A子(仮名)葬儀」というタイトルがつけられている。祭壇が映し出され、お経が流れる。やがて同級生からのお悔みの言葉がテロップで次々と映し出されていく。その言葉は、目を疑うほど残酷だ。

「天国へ逝けておめでとう。そっちの暮らしは楽しいですか。うちらといるより楽しいと思います~」

「学校はA子がいなくなったおかげですごく明るくなりました。A子が旅に出てくれて嬉しいです」(一部修正)

1つひとつのお悔みの言葉の最後には、クラスメイトの実名が記されている。誰が、このお葬式ごっこに加わっているのかがわかるようになっているのだ。

動画は最後に墓石が映り、Kポップの明るい歌が流れて終わりを迎える――。

「国も学校も本気なのか」

これは、中学生数名が、鈴木A子というクラスメイトに向けてつくったものだ。彼らはA子を学校の内外でいじめていた。それがエスカレートして、ついにはこうした動画まで作成されたのだ。

これまで私は何件ものいじめ自殺の取材をしてきた。昨年会ったご遺族は、次のように述べていた。

「何十年も前から、いじめ自殺は問題になっているのに、なぜ国も学校も本気でなくそうとしないのでしょう。今の子は、簡単に『死ね』とか『消えろ』とか口にしますが、それが人を死に追いやるほどの暴力性を持っていることを、意識していないし、周りの大人も教えない。それが正しい社会のあり方でしょうか」

たしかに何十年も前から学校のいじめは問題になってきたにもかかわらず、それが大幅に改善されたという話はどこにもない。いじめの手口も同じだ。「お葬式ごっこ」は80年代に生まれたとされているが、それから40年近く経つ今も、ネット動画に形を変えただけで同じことがくり返されているのだ。

これまで私が取材したいじめ自殺事件のご遺族の家庭に共通することがある。どの家でも、自殺した子供の部屋は時が止まったようにそのままになっていることだ。ゴミ箱のゴミさえそのままになっていたこともあった。

自殺から5年経とうと、10年経とうと、親からすればわが子が過ごした部屋を片付ける気にはなれない。それは、子供がこの家で生きた痕跡を消すことに他ならないのだ。

いじめ被害者は孤立しがちだ

社会的にいじめ自殺が大きく注目を集めたのは、先の「お葬式ごっこ」が行われた中野富士見中学いじめ自殺事件だ。亡くなったのは中学2年生の男子生徒だった。

同じ中学にはいじめっこのグループがいて、男子生徒は毎日のようにパシリとしてつかわれたり、理由もなく暴力をふるわれたりしていた。お葬式ごっこは、その延長線上で行われた。机の上に「××君へ さようなら」としたためた色紙を置いて、寄せ書きをしたのだ。

〈死んでおめでとう〉

色紙には、そんな文字が多数記されていた。あろうことか、そこには担任の教員の他に3名の教員も参加しており、「かなしいよ」「やすらかに」などと書き添えていた。後に教員は冗談のつもりだったと弁解したが、男子生徒がそう受け取らなかったのは自明だ。そして、男子生徒は学校へ来なくなり、自殺へと追い込まれていく。

3学期になって間もなく、男子生徒は父親の実家のある岩手県へ行く。そしてショッピングセンターのトイレで、首つり自殺をするのである。遺書には次のように記されていた。

〈俺だってまだ死にたくない。だけどこのままじゃ、「生きジゴク」になっちゃうよ。ただ、俺が死んだからって他のヤツが犠牲になったんじゃいみないから。だから、もう君達もバカな事をするのはやめてくれ。最後のお願いだ。〉(一部抜粋)

時代とともに変わる暴力

この事件は社会に衝撃を与え、学校で起きているいじめのリアルをつたえるものとなった。それまでは不良生徒による校内暴力、シンナー遊び、暴走行為といったものが学校の課題とされていたが、いつしかいじめへとシフトしていたのである。

かつて私が『漂流児童』という本を書いた時、東京の児童養護施設のベテラン職員が次のように話していた。

「いつの時代にも、家庭や学校の問題で鬱憤を抱えている子供はいます。80年代くらいまで、そうした子たちは、校内暴力や暴走行為という形でストレスを発散していました。

国はそれを問題視し、警察の力を使って強引に押さえつけました。しかし、生徒たちのストレスがなくなったわけではありません。それで彼らは隠れて攻撃性を他者に向けるようになった。それがいじめの増加を生んだのです」

実際にこの事件が起きてから、全国でいじめで自殺に追い込まれるという事件が多数報告されるようになる。有名なものの一つが、「愛知県西尾市中学生いじめ自殺事件」だろう。亡くなったのは、中学2年の男子生徒だった。彼もまた日常的に暴力を受けていたばかりか、多額の金を恐喝されていた。男子生徒は泣く泣く親から金を取って渡しており、その額は100万円以上に上っていたそうだ。

だが、男子生徒は要求されたお金が見つからなかったことで追い詰められ、自殺を決意する。そして自宅の裏の木で縊死するのである。後に見つかった遺書には次のように記されていた。

〈いつも4人の人(名前が出せれなくてスミマせん。)にお金をとられてしまいました。そして、今日、もっていくお金がどうしてもみつからなかったし、これから生きていても…。だから…。また、みんなといっしょに幸せに、くらしたいです。しくしく!

家族のみんなへ

14年間、本当にありがとうございました。僕は、旅立ちます。まだやりたいことがたくさんあったけれど、・・・・。本当にすみません。〉(一部抜粋)

さらに不幸なことに、この事件から1ヵ月も経たない時期に、同じ県内で別の中学生がいじめによって命を絶つ。

自暴自棄になった子どもたちは……

こうしたことによって、90~00年代にかけて、日本全国でいじめ防止の運動が起こった。国は各学校でいじめ防止教育を行わせただけでなく、ポスターやイベントを次々に開催した。CMでタレントやスポーツ選手に「いじめをなくそう」と呼びかけさせたこともあった。マスメディアはこうしたことを受け、いじめに関する特集やドラマを次々につくっていった

社会に対するいじめ防止の啓発活動が成功し、日本人全体がいじめの有害性を認識するようになった。にもかかわらず、いじめはなくならないばかりか、今度は学校側の別の問題が起きた。学校で横行するいじめに対する隠ぺいである。

大きな話題になったのが、05年に起きた「滝川市小6いじめ自殺事件」だ。北海道に暮らす小学6年生の女子生徒が、同級生からのいじめを苦に縊死した。遺書もきちんと書きつづられていた。

「キモイ」と言われて……

学校の生徒にあてた遺書には次のようにある。

〈私は、この学校や生とのことがとてもいやになりました。それは、3年生のころからです。なぜか私の周りにだけ人がいないんです。5年生になって人から「キモイ」と言われてとてもつらくなりました。6年生になって私がチクリだったのか差べつされるようになりました。それがだんだんエスカレートしました。何度か自殺も考えました。でもこわくてできませんでした。でも今私はけっしんしました。〉(一部抜粋)

だが、学校や市教育委員会はいじめがあったことを認めなかったばかりか、遺書の存在を否定する。あくまで遊びの延長線の行為だったと言い張ったのである。だが、後に遺族が遺書を公開したり、世論の批判が集まったりしたことから、学校や市教育委員会だけでなく、北海道教職員組合までもが事実の隠ぺいにかかわっていたことが明るみに出たのである。

この事件は、学校の隠ぺい体質を浮き彫りにした。だが、それ以降も同じことはいく度もくり返された。有名なのは、11年に起きた「大津市中2いじめ自殺事件」だろう。この事件をきっかけに、国は重い腰を上げて、13年に「いじめ防止対策推進法」を施行することになった。

なぜ、こうした愚かな歴史はくり返されるのか。先の人物は言う。

「子供が抱える本質的な問題を解消しようとしなかったからでしょう。子供はストレスを抱えたままなのに、校内暴力を押さえつけたり、いじめを押さえつけたりするだけでは、モグラたたきをしているのと変わりありません。根源的な問題解決をしていないわけですから。

一方で、いじめ=悪ということを社会や学校で共有すれば、いざ学校でそれが起きた時、先生方は責任逃れのために隠そうとする。だから、隠ぺい体質ができ上ってしまう。国がいくら法律をつくったところで、結局子供が抱えている問題は何も変わっていないんです」

すべての子供は誰もが生まれながらにしていじめをするわけではない。家庭や学校のゆがんだ空気や仕組みが、一部の子供たちをいじめへと走らせるのだ。にもかかわらず、そのゆがみを修正せずに、起きた出来事だけに対処しているから、いつまでも同じようなことが少しずつ形を変えて起こるのだ。

では、近年のいじめは、どのように形が変わったのだろうか。

現在のいじめは少し前より陰湿化し、子供たちのコミュニケーションツールであるSNSをつかって行われるようになっている。子供たちは学校内外で散々「いじめはダメ」「いじめは犯罪」と聞かされていることもあり、あからさまないじめはしない。その代わり、LINEのグループ外し、ネット上でのプライバシーの暴露、匿名のDMによる誹謗中傷などによって悪意を向けるようになった。また、インスタのストーリーズなど一定時間で消去されるツールが使用されることもある。

冒頭に紹介した動画がそれだ。今の子供はYouTubeなどにアップすればいじめと認定されるとわかっている。だから、SNSの期間限定のツールをつかって、お葬式ごっこ動画を流すのだ。アップした時はクスメイトは見るが、翌日には消されているので大人にまでは露見することはない。後で、被害にあった生徒が学校に訴えたくても証拠がないし、教員の方も確認する術がないので十分なフォローができない。

動画ソフトでよりリアルに……

高校の教員は次のように話す。

「今のいじめは教員にとって見えないものになりつつあるんです。SNSというクローズドの空間の中で悪口が飛び交っても、それを発見することはできません。被害者が訴えてきても、削除されていれば注意のしようがない。

また、どこからどこまでをいじめとするかも難しくなっています。たとえば、LINEのグループ外しがあります。被害者は精神的なダメージを受けますが、加害者側は『グループのやりとりが飽きたから止めただけです』と言えますよね。そうなると、教員の側も注意すべきかどうか判断がつかない」

子供たちにとって学校での活動とネットでのコミュニケーションは地続きだ。だが、教員の側はネットの中まで分け入っていくことができない。だからこそ、不登校や自殺といった問題が発生するまで、有効な手を打つことができないのだ。

教員はこうもつづける。

「昔は、葬式ごっこなんて絶対にやってはいけないいじめでした。でも、今は動画ソフトをつかえば、よりリアルに、よりバレないようにできてしまう。巧妙化している分、余計に被害者の生徒も逃げ場がなくなっているのです。

おそらくギガスクールや、メタバースや、オンラインゲームなどの普及にともない、今後はいじめがより見えにくくなっていくと思います。そこに対する根本的な手立ては、まったく示されないままなのです」

いじめ防止を担う民間のIT企業も同じ意見を述べている。

そう考えた時、いじめ対策は、これまでとは異なったフェーズに入っていると言えるのではないか。おそらく表層的なところで抑制しようとしても、どんどん地下に潜っていくだけだ。ならば、そろそろ家庭や学校のゆがみ、そして加害者が抱える問題の解消へと目線を変えていく必要があるのではないか。

いじめ自殺で我が子を失った親は、口をそろえてこう言う。

「同じことが起きないようにするために、私は戦いつづけているのです」

その戦いを後押しするのは、私たち社会の側なのである。

  • 取材・文石井光太

    77年、東京都生まれ。ノンフィクション作家。日本大学芸術学部卒業。国内外の文化、歴史、医療などをテーマに取材、執筆活動を行っている。著書に『「鬼畜」の家ーーわが子を殺す親たち』『43回の殺意 川崎中1男子生徒殺害事件の深層』『レンタルチャイルド』『近親殺人』『格差と分断の社会地図』などがある。

  • 写真共同通信社 西村尚紀/アフロ

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