ブチャ遺族が語る壮絶「夫はウクライナ語を話しただけで殺された」 | FRIDAYデジタル

ブチャ遺族が語る壮絶「夫はウクライナ語を話しただけで殺された」

ノンフィクションライター・水谷竹秀の「ウクライナ戦争」現地ルポ

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夫をロシア軍に殺害されたイリナさん
イリナさんが瓦礫の中から拾った手榴弾の安全ピン。イリナさんの家はロシア軍によって爆破された

ウクライナの首都キーウ近郊の街、ブチャ。その中央に位置するブチャ駅から南に約1キロ下った、ヤブンスカ通りとヴォグザルナ通りの交差点付近は、ロシア軍に虐殺されたとみられる民間人の遺体が多数見つかった場所だ。

アナトリー・フェドルク市長(49)も私の取材に「路上に放置された遺体を20体ほど見た」と証言しており、ウクライナ政府は現在、虐殺に関与したとみられるロシア兵10人の捜査を進めている。

その現場を5月上旬に訪れてみると、交差点はきれいに片付いていたが、角に建つ1軒の民家は焼け焦げて大破したままで、コンクリートの瓦礫が積み上がっていた。

「家に来たのはチェチェンの兵士4人でした。その顔つきとロシア語のアクセントでチェチェン出身と分かりました。彼らからは手榴弾を投げられた上、夫は射殺されました」

その家に住んでいたイリナ・アブラモバさん(48)は、瓦礫の中から拾ったという手榴弾の安全ピンを手に、重い口を開いた。

「1週間前にようやく、自分の身に起きたことが整理できるようになりました」

そう語るイリナさんによると、兵士4人がやって来たのは3月5日。

辺りはすでに戦車や装甲車の数が多く、戦闘が激化し始めていた。危険を感じたイリナさんは、夫のオレグ(40)さんと一緒に、母家から父(72)がいる離れの家に移動した。すると間もなく、母屋が爆発した。父は咳き込みながら消化器で燃え盛る火を消しにかかった。間一髪のところで助かったが、イリナさんは、家の敷地に侵入してきた兵士4人のうちの1人から倉庫のほうへ連れて行かれ、銃口を向けられた。

「ドンバス地方の人が迫害されるのはウクライナの責任だ。ここにナショナリストはいるのか?」

ドンバス地方はウクライナ東部のドネツク、ルハンスク両州から成り、ロシア語話者が多い。ロシアは、同地方におけるロシア語話者がウクライナの民族主義者たちに迫害されていると主張し、それを口実に同地方での戦闘を正当化してきた。

イリナさんは「ナショナリストはいません」と答えると、兵士は続けた。

「ドンバス地方で迫害された人たちと同じ、苦しい思いをさせるためにここに来た」

間もなく、兵士たちは家の敷地から出て行ったが、オレグさんの姿が見当たらない。その行方を探すためにゲートの方へ向かうと、オレグさんのセーターやTシャツが庭に置き去りにされていた。ゲートを出たすぐの路上には、上半身裸のオレグさんが、うつ伏せに倒れていた。地面は血だらけ。イリナさんが兵士から問い詰められている間に、どうやら頭部を撃たれたらしい。変わり果てた夫の姿を見た瞬間、

「私も殺してくれ!」

と近くにいた兵士4人に叫んだが、父親と一緒にその場を離れた。以来、知人の家で避難生活を続けた。

「私はロシア語で彼らと会話をしていましたが、夫はウクライナ語を使ったんです」

ウクライナ語話者は愛国心の強い民族主義者とみなされ、標的にされた可能性がある。

夫のオレグさんとのツーショット。オレグさんはウクライナ語で会話をしたために、ロシア軍からナショナリストとみなされた
庭に置き去りにされたオレグさんのセーターとバイク

イリナさんが再び自宅に戻ったのは、およそ1ヵ月後の3月30日。ロシア軍はすでに撤退を始めていた。オレグさんの遺体はまだ路上に横たわったままで、父親と一緒に袋に入れ、ウクライナの兵士たちに遺体安置所まで運んでもらった。夫以外にも、路上には6〜7体の遺体が転がったままで、顔は「土気色だった」という。イリナさんが回想する。

「避難生活を送っていた1ヵ月間、夫を早く埋葬したいという気持ちで生きてきました。葬儀は4月半ばに行われました。夫があの世へ行った今は、人生の目的がありません。何のために生きているのか分かりません」

イリナさんがオレグさんと出会ったのは’04年10月。ブチャ市内の病院で事務員として働いていた時、病院の屋上の修理に来たのがオレグさんだった。そんな思い出話になると、イリナさんの表情が少し和らいだ。

「私から声を掛けました。背が高くてハンサムで。いつも私の面倒を見てくれ、りんごやオレンジを持って来てくれたのを覚えています」

2人はすぐに仲良くなり、3ヵ月後には同棲を開始。’05年8月に結婚した。

「普段は2人とも家にいるのが好きでした。テレビで好きな番組を観たり、キーウの博物館にも行ったり。去年夫が買ったバイクでも色々なところを訪れました。今年の夏にはたくさんドライブできるように、ヘルメットも2つ買ったんです」

そんなささやかな願いが、叶うことはなかった。

オレグさんとの思い出の写真は、手榴弾で家が爆破されてしまったため、ほとんど焼かれてしまった。オレグさんのスマホもチェチェン兵に奪われた。唯一、バイクだけが無傷だったが、ガソリンは抜き取られていた。

「夫が家の外へ連れ出された時、無理矢理にでも、自分の命を捧げてでも夫を救うべきでした。まさか銃で撃たれるなんて……」

イリナさんは今、強い自責の念に駆られている。

オレグさんが倒れていた場所には、白い花柄のスカーフが敷かれ、黄色い花が添えられていた。

オレグさんが倒れていた場所にはスカーフと花が供えられていた
  • 取材・文・写真ノンフィクションライター・水谷竹秀

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