リーゼント刑事が明かす 名ポスター「おい、小池!」誕生秘話
見事に後方へ撫でつけられた髪の毛、目には色の入った細いメガネーー。
インタビュールームに入ってきた男性は、明らかに一般人とは醸し出す雰囲気が違っていた。だが強面のイメージを覆すように、男性は柔らかい関西弁で語り始める。
「髪を整えるのに時間がかかるように思われるけど、10分ぐらいでできますよ。ドライヤーでササッとね。永ちゃん(矢沢永吉)の生き様に憧れ15歳の時からこの髪型ですから、スグにセットできるんです」
男性の名前は秋山博康(61)。特徴的な髪型から「リーゼント刑事(でか)」と呼ばれ、徳島県警で42年間務めあげた元警察官だ。リーゼントとともに、秋山氏を全国区の有名人にした著名なポスターがある。徳島県で起きた殺人事件の指名手配犯捜査のため作成された、「おい、小池!」だ。多くの日本人に浸透した名ポスターの誕生秘話を、秋山氏が明かすーー。
01年4月20日。秋山氏は徳島市内の県営住宅で起きた、火災の焼け跡に立っていた。周囲には灯油の臭いが漂い、現場となった部屋の奥には一部が真っ黒に炭化した遺体が横たわっている。首には電気コードが巻かれ、鈍器で殴られた跡が。被害者となった66歳の男性だ。
「ご遺体の表情を見た瞬間、『身近な人間の犯行じゃなかろうか』と思いました。顔に『なんでオマエがワシを殺すんや!』という、強い無念さがにじみ出ていましたから。ワシはご遺体に向かい手を合わせながら、こう誓ったんです。『必ず犯人を逮捕します』と」
県警の犯した大失態
被害者は66歳の男性だけではない。兵庫県・淡路島の別荘造成地の焼け跡からは、38歳の息子が焼死体となって見つかった。捜査線上に浮かんだのが、小池俊一(当時40)だ。
「被害者親子は、近所のパチンコ店に通うのを日課にしていました。小池も頻繁に顔を出し、負けるたびに親子にカネを無心しとったんです。父親は軽度の障害のある息子さんのために、コツコツと預金していました。小池はその4000万円の預金を盗むため親子を殺害し、証拠隠滅のために放火までした。『罪を憎んで人を憎まず』が信条のワシですが、犯人を許すことができませんでした」
だが逮捕状を請求できるほど証拠を集めきれていなかた徳島県警は、失態を犯す。自宅前にいたマスコミの姿を目にし、小池は事件が発覚したと認識。逃亡してしまったのだ。
「結果論になりますが、さっさとガサ入れしとけば良かったんです。スグに小池を全国指名手配にし、長い追跡捜査が始まりました」

事件から約1年半後の02年10月、秋山氏にフジテレビから出演依頼が来る。全国の名物刑事を集めた番組だという。秋山氏は断ろうとしたが、当時の県警捜査一課長はこう言って出演を勧めた。
「秋山、テレビに出ろ。ただし条件がある。全国指名手配犯の小池のことを、テレビでバンバン流してもらうんや。全国から情報を集めるために出演してこい」
リーゼントの一風変わった刑事の出演は、視聴者から注目された。だが、時間の経過とともに小池に関する情報は途絶えるようになる。現状打開のために一課長が秋山氏に命じたのは、「国民が興味を持つようなポスター」を考えることだった。
「『この顔にピンときたら110番』という定型のポスターは全国に貼られていましたが、インパクトは薄かったですからね。部下と頭を悩ませて末にひらめいたのが、こんなキャッチフレーズです。『この男、2人殺して焼いた顔』」
一課長は肩を震わせ、秋山氏を怒鳴った。
「アホか! こんなんダメに決まっとるやろ。やり直せ!」
殺到した苦情の中身
秋山氏が振り返る。
「警察官はご遺体を日常的に見ているので違和感を覚えませんが、エゲつないと思う一般の人の気持ちを考えろということです。確かに配慮が足りなかった。困りはてた末に頼ったのが専門家です。大阪芸術大学でデザインを専門にしていた先生に、キャッチフレーズの考案をお願いしました」
誕生したのが、あの名文句。「おい、小池!」だった。
「見た瞬間『これはエエ』と思いましたね。インパクト十分でしたから。同時に『大丈夫かな』という不安も感じました」
秋山氏の不安は的中する。全国に「おい、小池!」のポスターが貼られた直後から、県警に苦情電話が殺到したのだ。
「こんな苦情です。『ポスターのおかげで、ウチの子どもがイジめられるのよ! どうしてくれるの?』と。全国の小池さんが反発したんです。丁寧に説明して、納得してもらうしかありませんでした」
とはいえ、効果はてきめんだった。1日1本も入らなかった情報が、多い日には100本以上。捜査員は、手がかりをもとに全国を飛び回る。
「小池の地元・北海道に行った時のことです。サウナの休憩スペースにいると、小指のない男性がワシに近づいてきた。因縁をつけられるのかと身構えると、『秋山さん、お疲れ様です。いつもテレビ拝見してます』と携帯電話の待ち受け画面を見せてきます。写っていたのは『おい、小池!』のポスター画像でした。
男性は『若い衆には似ているヤツがいたらスグ知らせろと命じています』と言います。男性は、捜査に協力してくれようとしていた。ワシは『エライすまんのう。ありがとう』と頭を下げました」

事件から丸9年が経過した10年4月。殺人罪の公訴時効が撤廃された。秋山氏は好機と感じ、再び大阪芸術大学の先生に依頼。キャッチコピーを、こう刷新した。
「おい、小池! そろそろだ!」
「リーゼント刑事」としてテレビへの出演が増えた秋山氏は、たびたび画面に向かい訴える。
「おい、出てこい小池!」
秋山氏は「小池、覚悟せいよ」という気持ちで逮捕のXデーを狙っていた。そんな時、当直の捜査員から耳を疑うような一報が入る。
「小池が、死亡して見つかりました!」
0点か100点か
12年10月、岡山県内のアパートのトイレに男性が倒れているのを同居女性が発見。119番通報したが、病院で死亡が確認された。死因は、急性心不全だった。
指紋照合の結果、男性は小池であることが判明したという。小池の外見は、事件当初からまったくの別人になっていた。体重が増え、髪の毛や眉毛を剃っている。部屋には変装用のメガネが20個ほどあった。小池は身分を偽り同居女性の部屋に居座り、潜伏していたのだ。
「小池を生きたまま捕まえることに刑事生命をかけていたので、ショックで全身から力が抜けました。帯状疱疹になるほどです。寝ても覚めても、小池のことばかり考えていましたからね。責任を感じ辞表を提出しましたが、『同じ失敗をしなければエエ』と受理されませんでした。
刑事の仕事は逮捕できれば100点、逃せば0点。50点や80点の努力賞や敢闘賞はないんです。『もう逃げ徳はさせない』と心に誓いました。定年までワシが警察で働けたのも、小池事件での苦い経験があったからです」
思わぬ幕切れとなった小池事件。全国に配布されたポスターは約108万枚、動員された捜査員は延べ2万5000人にのぼった。小池の一件を糧に、その後の秋山氏は数々の凶悪事件を解決。定年退職した今では、講演会やイベントで自身の貴重な体験を語り、今年3月には『リーゼント刑事 42年間の警察人生全記録』を上梓した。秋山氏は「これからもトラブル解決のためのお役にたちたい」と、優しい笑顔を見せる。







撮影:会田 園 秋山氏提供