30年以上ロシアと文化交流を続ける指揮者が明かす音楽界の苦悩 | FRIDAYデジタル

30年以上ロシアと文化交流を続ける指揮者が明かす音楽界の苦悩

バレエ、音楽、美術などの芸術分野で世界に冠たるロシアが、人間の尊厳を踏みにじる行為に及んだことに、ひどく心を痛めている人がいる。

30年以上にわたりロシアとの文化交流を続ける北海道出身の指揮者、及川光悦さん(72)だ。

「チャイコフスキー、ラフマニノフ、ストラヴィンスキーなど、ロシアは偉大な音楽家を数多く輩出した芸術大国です。私にとっては憧れの国でしたから、今回のウクライナ侵攻にはさまざまな意味でショックを受けています」 

及川さんは30数年にわたり、国際貢献と社会貢献を柱に演奏会を開催。ロシアや東欧から招いた若手音楽家のコンサートに、クラシックを聴きに出かける機会の少ない障がい者らを招待してきた
及川さんは30数年にわたり、国際貢献と社会貢献を柱に演奏会を開催。ロシアや東欧から招いた若手音楽家のコンサートに、クラシックを聴きに出かける機会の少ない障がい者らを招待してきた

ロシアとウクライナは歴史的に仲が悪い

1980年代から海外でも指揮を執ってきた及川さんが、ロシアで初めてステージに立ったのはソ連時代の1990年。その後、モスクワ放送交響楽団(現チャイコフスキー交響楽団)、ロシア・ナショナル管弦楽団などの名門オーケストラでもタクトを振った。

1990年にはウクライナのキーウ(キエフ)でも、ウクライナ国立フィルハーモニーオーケストラを指揮している。ソ連が崩壊するちょうど1年前で、ウクライナはまだソ連の構成共和国のひとつだった。

「ウクライナからも偉大な音楽家が数多く出ています。ピアニストではホロヴィッツ、リヒテル、ギレリス。ヴァイオリニストではオイストラフ、ミルスタイン。 

1990年にロシアで公演した際、私はロシア政府の偉い方に、キエフでも指揮をしたいとお願いしました。すると猛反対されまして。『ウクライナのオーケストラはレベルが低い。わざわざ行くことはない』と言うんです。それでも何とか頼み込んで、キエフでウクライナのオーケストラと一度だけ公演しました。 

オーケストラのレベルは、私にとっては問題ではありません。ウクライナの演奏家は皆さん非常にひたむきで、お互いに好印象を持つことができました」

名門オーケストラのモスクワ・フィルハーモニー交響楽団を指揮した1997年には、ロシアとウクライナの狭間で思いもよらない体験をした。 

「モスクワ・フィルハーモニーとの公演に、ウクライナの優秀な若手ヴァイオリニストをソリストとして招いたんです。ロシア側の関係者から『モスクワでやる演奏会になぜウクライナの奏者なんか呼ぶのか』と反対の声も上がったけれど、素晴らしいヴァイオリニストだからと押し通しました。 

ところが、いざ幕が開いてみるとロシア人の観客がいないんですよ。ロシア側が要人を誰も招待せず、一般客も入れなかった。来てくれたのは、日本大使館の関係者と日本のマスコミだけでした。 

ロシアとウクライナはもともと仲が悪いんです。何が原因なのか、私にはわかりません。歴史的な背景があるんでしょうね。 

オーケストラを見ると、その国の国民性がわかります。ロシア人は非常にプライドが高い。彼らはウクライナの人々を見下しているようなところがあります。ウクライナの人がロシア人に対していい感情を持つはずもないことは、容易に想像できました」 

2001年にサンクトペテルブルク交響楽団(旧レニングラード交響楽団)と共演し、好評を博す
2001年にサンクトペテルブルク交響楽団(旧レニングラード交響楽団)と共演し、好評を博す
1997年にはウクライナの若手ヴァイオリニストをソリストにむかえ、ロシアの名門モスクワ・フィルハーモニー交響楽団を指揮
1997年にはウクライナの若手ヴァイオリニストをソリストにむかえ、ロシアの名門モスクワ・フィルハーモニー交響楽団を指揮

プーチンが始めた戦争のせいでロシアの音楽家が苦境に直面

この出来事があった後も、ロシアに対する憧憬の念が変わることはなかったという。それほど思い入れが強かっただけに、ウクライナ侵攻というプーチン大統領の暴挙には大きな衝撃を受けた。

「プーチン氏は、ロシアが偉大な国であることを世界に認めさせたいんでしょう。ウクライナは小国のくせにどうして言うことを聞かないんだと怒りが頂点に達し、とうとう大義名分を掲げて戦争を始めた。 

そのために、ロシア出身の音楽家たちは西側諸国で活動できなくなっています。プーチンと親しいワレリー・ゲルギエフは、ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者を解任されました。ロシアの芸術家たちは一生懸命、世界に活動の場を築いてきたのに、プーチンのせいで排除されているんです。私はそれが一番悲しい」

及川さんは1988年に「日本音楽文化交流協会」を設立し、30年以上もの間、有能でありながら経済的に恵まれないロシアや東欧の若手音楽家を日本に招き、演奏の機会を提供してきた。その数はすでに120人を超える。だがそうした国際親善活動も、ロシアのウクライナ侵攻によってままならなくなっている。

「私も若い時期にお助けいただきましたから、ロシアの優秀な若い音楽家を日本に呼んで演奏会を開いてきました。渡航費やホテル代を用意し、多少のギャランティもお支払いして。ロシア以外にもポーランドやルーマニア、ブルガリア、ハンガリー、チェコ、スロバキア、セルビアなど東欧諸国の音楽家も招いています。 

残念ながら今の状況下では、ロシアの音楽家もウクライナの音楽家も日本に呼べません。自分が向こうに行きたくても、それもできない。30年以上続けてきたほとんどの活動が妨げられています」 

1993年にロシア・ナショナル管弦楽団を指揮し、ロシアの巨匠ピアニストであるニコライ・ペトロフと共演
1993年にロシア・ナショナル管弦楽団を指揮し、ロシアの巨匠ピアニストであるニコライ・ペトロフと共演

「自分にできることをやるだけ」――ウクライナ人道支援コンサートを開催

ただし、社会貢献として続けてきた演奏会自体は今年も開催する。

及川さんはロシアや東欧の若手音楽家の演奏会に毎回、クラシックに触れる機会の少ない障がい者、母子家庭や養護学校の子どもたちを招いている。これまでに無料招待した人数は、延べ37万人以上に上るという。

今年は「ウクライナ緊急人道支援・ポーランド避難民支援チャリティーコンサート」と銘打ち、6月に北海道4都市でピアノコンサートを開く。

「ロシアや東欧から呼べないので、日本の若手音楽家を紹介することにしました。北海道の北見市を拠点に活動している村田孝樹さんという若いピアニストのコンサートを開き、障がいを持つ方たちを招待します。 

ウクライナへの人道支援とポーランドに避難したウクライナの人たちの支援が目的ですから、会場に募金箱を置いて。来場した皆さんに協力していただいて、集まった支援金を日本赤十字に寄付します」

先月25日にウクライナの外務省がTwitterに、アメリカやイギリスなど31の国名を挙げて各国の支援に感謝する動画を投稿した。その中に日本の国名が入っていなかったことから、自民党議員らが「これはダメだ。ウクライナ外務省に申し入れ中」「甚だ不適切なTwitter」とツイート。ウクライナが日本に感謝を示さないと問題視するこの発信を、社会貢献や国際貢献に長年尽力してきた及川さんはどう感じるだろう。 

「おびただしい数の犠牲者が出て、必死に抵抗している国に対して、支援してやったじゃないかなどと申し入れするのはいかがなものかと思います。情けないね。意識が低いですよ。 

日本へのウクライナ人の受け入れにしても、政府は難民への対処の仕方がわかっていないと感じています。平和な国はどういう支援をするべきなのか、政治家はしっかり考えていただきたい。 

私は、現実を見て自分にできることをやるだけです」

ウクライナの人々は今、得られる限りの援助を必要としている。支援のために「自分にできること」は必ずあるはずだ。

及川光悦(おいかわ・みつよし)指揮者。1949年、北海道生まれ。東京音楽大学と桐朋学園指揮教室で学んだ後、’78年に小澤征爾氏に師事。’83年から東京交響楽団や東京都交響楽団、札幌交響楽団、群馬交響楽団、神奈川フィル、京都市交響楽団などを指揮。’88年から6年間、中国電影楽団と上海電影楽団の常任客演指揮者を務める。’90年よりチェコ、ポーランド、ロシア、ハンガリーなどで公演。2004年から6年間、ブルガリア国立ソフィア交響楽団の常任客演指揮者を務める。’09年にブルガリア文化省より名誉賞、’14年にルーマニア政府より文化功績勲章、’19年にブルガリア外務省より名誉表彰勲章、ポーランド政府より文化功労勲章を受章する。

ウクライナ緊急人道支援・ポーランド避難民支援チャリティーコンサート「村田孝樹ピアノ名曲コンサート」は6/15帯広、6/17旭川、6/20札幌、6/22函館。10月には東京と横浜でも開催の予定
ウクライナ緊急人道支援・ポーランド避難民支援チャリティーコンサート「村田孝樹ピアノ名曲コンサート」は6/15帯広、6/17旭川、6/20札幌、6/22函館。10月には東京と横浜でも開催の予定

 

  • 取材・文斉藤さゆり

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