「おにぎりひとつ食べて、手術に行った」強制不妊手術被害者の慟哭 | FRIDAYデジタル

「おにぎりひとつ食べて、手術に行った」強制不妊手術被害者の慟哭

「優生保護法」の下で、人生を狂わされた人がいた。今も残る差別から抜け出すために

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国によって「知らないうちに不妊手術をされる」そんな蛮行があった。この日本でなにが行われたのか。「優生保護法」を、知っていますか?

「わたしは、子どものときに知的障害があるといわれて、施設に入れられました。そこから、職親(しょくおや)のところに行かされて。そこでひどい差別を受けました。馬乗りになって叩かれたり、食事は、これ以上食べるとバカになるといわれて、少ししかもらえず、いつもお腹が空いていました。

16歳のとき、職親に連れられて外出して、川べりのベンチでおにぎりをひとつ、食べました。そのあと診療所に連れて行かれ、優生手術をされました。でもそのときは、なにが起きたのか知らなかった」

絞り出すようにこう語るのは、仙台市に住む飯塚淳子さんだ。「優生手術」というのは、1948年から1996年まで存在した「優生保護法」の下で、障害などを理由に行われた不妊手術のこと。被害者は、本人の同意がないまま、まったく説明もなくこういった手術を受けさせられていた。5月10日、この問題を考える集会が参議院議員会館で行われた。今、70代になる飯塚さんはこう続ける。

「その後、縁があって結婚をしました。でも子どもを授かることはなかった。わたしが、知らない間に不妊の手術をされていたからです。それを知った夫は、去っていきました。わたしは、結婚して子どもを育てて暮らしたかった。人生を狂わされたのです」

国の責任を明確に認めた高裁判決

日本社会の「戦後最大の人権侵害」といわれる、この旧優生保護法による不妊手術や人工妊娠中絶手術は、全国で行われていた。国の集計によると、その被害者は全国でおよそ25000人。そのうち、被害者への「一時金支給法」が施行された2019年時点で「存命」と推計されたのは12000人。さらにそのうち、実際に一時金の支給認定がされたのは、わずか947件。被害者全体の4%にも満たない。

「今年2月に大阪高裁で、3月には東京高裁で、優生保護法の違法性と国の責任を認め、強制手術の被害者へ損害賠償の支払いを命じる判決が出ました。東京の原告、北三郎さんの手術から65年。被害者の多くが高齢です。被害の回復には一刻の猶予もありません」(全国優生保護法被害弁護団)

しかし国は、この大阪・東京高裁の判決を不服とし、上告を決めた。北さんは言う。

「3月11日、わたしの判決でした。裁判長が、希望の光をくださいました。涙があふれました。しかし3月24日、国が上告をし、また暗闇に放り出されました。4月、親の墓参りに行きました。子どもができない体にしたのは、親ではなかった、施設ではなかった。国だった。65年間、誤解していたことを謝り、手を合わせました」

「子どもがほしいね」と話していた夫婦がたどった生涯

原告のひとり、札幌市の小島喜久夫さんは怒りを込めてこう語った。

「19歳のときに、警察官に手錠をかけられ、病院に連れて行かれ、あんたは精神分裂症だ!と言われて、子どもができなくなる手術を無理やりされました。その後、結婚しましたが、手術のことを妻にも言えず、申し訳ないと思っていました。私は、国に謝罪してほしい。手術から時間が経ったからもう責任はないというのは、あまりに無責任です。もう二度とこんなことが起きないように国に謝罪してほしいです」

兵庫県明石市に住む小林寶二(たかじ)さんと喜美子さん夫妻は手話を使ってこう訴えた。

「ずっと以前のことです。昭和35年に結婚して、子どもがたくさんほしいねと、夫婦で話していました。妻が妊娠したときはとてもうれしかった」(寶二さん)

「次の日、母が義母から呼び出されて、なにか話しているんです。わたしは耳が聞こえないから、なにを話しているかわからなかった。そして病院に連れて行かれて『赤ちゃんが腐っているから捨てないといけない』といわれ、中絶手術をされてしまいました。その後、妊娠することはありませんでした。知らない間に不妊手術もされていたんです」(喜美子さん)

「耳が聞こえないということで差別を受け、不妊手術をされた。子どもをもてなかったわたしたちは夫婦で生きてきました。わたしは90歳になります。失われたものは大きいです」(寶二さん)

わたしたちは「どんな社会」で生きたいか

被害者を支援する弁護団のひとり、桝井妙子弁護士に聞いた。

「裁判では、実名で原告になられている方もいますが、事案の特性上、名前を明かし、顔を見せて話せる方は、なかなか多くないのが現状です。根深い差別がありますから。けれどもこの問題が広く知られ、被害にあった方が声を上げるきっかけになればと思います」

2018年にひとりの女性が「旧優生保護法」に関して国の責任を求める声を上げた。これは、差別をなくし、障害があってもなくても、人生においてなにをするかは自分で決めるという、ごく当たり前のことを守るための声だ。冒頭の飯塚さんはその後「障害はない」ことがわかった。

「優生保護」という考え方の元にあった差別の意識が、今も私たちの社会を蝕んでいる。障害がある人も、そうでない人も、「どんな社会で生きていきたいのか」が問われている。

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