ブラインドサッカー前代表監督のトルコ監督就任を奪った戦争の影 | FRIDAYデジタル

ブラインドサッカー前代表監督のトルコ監督就任を奪った戦争の影

「ウクライナ侵攻」「30日間ルール」で日本サッカー界で初めて「指導者として欧州選手権出場」は消滅

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昨年夏に開催された東京五輪パラリンピックで日本代表監督として指揮をとった高田敏志氏。6月にはトルコ代表監督として欧州チャンピオンシップで指揮をとることを望まれていた(写真:アフロ)

昨年夏に開かれた東京五輪パラリンピックで視覚障がい者がプレーするブラインドサッカーで日本代表を指揮した前監督・高田敏志氏が欧州の強豪国、トルコ代表から監督就任のオファーを受けながら、断念していたことがことがわかった。

オファーを受けた当時、国際視覚障がい者サッカー連盟(IBSA)のランキングでトルコが4位に対し、日本は12位で(現在は日本が4位、トルコが9位)世界トップを争う欧州の強豪国から、格下の日本の指導者が請われる異例のオファーだった。就任に前向きだった高田氏が断念した背景に、2月下旬にはじまった「ウクライナ侵攻」に加え、日本特有の“縛り”があった。

「トルコからせっかくいいお話をいただいていましたが、断念しました。誰が悪いわけでもなく、運と縁の問題だと思います。契約の話が大詰めになったときにロシアのウクライナ侵攻がはじまり、トルコで仕事することに命の危険が伴う状況になりましたので、仮に契約できたとしても途中で解除せざるをえなくなったかもしれません。

(交渉が終了した)3月下旬、トルコの連盟トップの方の直筆のサイン入りでトルコ側の事情で契約がうまくすすまなかったことへのおわびや『近い将来また一緒にぜひ仕事をしたい』とレターを送ってきてくれたことが、せめてもの救いです」

高田氏は無念を押し殺しながら振り返った。

昨夏の東京パラリンピックでブラインドサッカー日本代表を監督として率いた高田氏は2013年から5人制サッカーのGKコーチになり、2016年から監督に就任。パラリンピック初出場ながら「メダル獲得」を公言し、2004年のアテネ五輪からはじまったパラリンピックに1度も出場できなかったチームを「勝てる」チームに変えるため、守備的なスタイルから点をとれるチームに大きく変更した。結果は5位に終わったが、予選プールで欧州の強豪のフランス、5-6位決定戦で当時世界ランク3位のスペインを撃破した。

対するトルコ代表は2012年から2大会連続でパラリンピックに出場し、2014年から世界選手権にも出場を続け、近年着実に力をつけていた。トルコ国内にはブラインドサッカーのプロ契約選手がいて、国内リーグに海外選手がいるほどさかんだが、昨年夏に開かれた東京五輪パラリンピックはフランス、スペインに及ばず、3大会連続のパラ出場は逃した。選手個々の個人技は磨かれていても、組織力に結びつかない課題を残し、そこで高田氏にトルコ代表監督就任の白羽の矢が立った。

パラリンピック終了後、日本ブラインドサッカー協会(JBFA)から高田氏に続投要請はなく、昨年9月末で日本代表監督を退任していた同氏のもとに、昨年12月にトルコから最初の接触があったという。

トルコ代表は6月にイタリアで開催予定の欧州チャンピオンシップで3位以内に食い込めば、2024年のパリ五輪パラリンピックの予選を兼ねた世界選手権への出場権を自動的に得られるため、トルコ側はパラリンピック本番までの2年以上の長期契約を求めたが、海外でのチーム作りが簡単ではないことを想定した高田氏は慎重だった。

「6月の欧州チャンピオンシップにのぞむにあたり、私が信頼を寄せるコーチを連れていけるわけではなかったですし、トルコの選手が日本人の言うことを聞くとも限りません。

 ですから、6月の大会までは無給で構わないので私のチーム作り、結果をみてもらった上で、パリ(パラリンピック)までの契約を改めて話し合ったほうが、お互いにとっていいのではないか、という提案をしました。トルコ側にも理解してもらい、理事会(トルコ視覚障がい者スポーツ連盟)でも承認をいただいていました」

1月の段階で高田氏とトルコ側は監督就任の方向で基本合意し、あとは正式契約を交わすだけとなった。その間に日本での承認を得るための手続きを進めた。その過程でネックのひとつになったのは、パラリンピックに出場する競技団体から推薦を受けた指導者が、同委員会との間で交わす「専任コーチングディレクター承諾書」(以下、30日間ルール)という契約書だった。

競技団体での指導任期を終えた後、①選手情報などの機密事項をもらさないこと②外国のコーチ等に関する職務を開始する場合は書面で当該競技団体に通知し、かつ通知後、30日以内は外国での職務を開始できない、という内容のことが交わされている。

プーチンの「ウクライナ侵攻」の決断によって、人生を狂わされた人は大勢いるだろう。高田氏もその一人だ(写真:共同通信)

日本パラリンピック委員会(JPC)が主体となって、2015年よりメダル獲得を目指す選手だけでなく、選手をコーチする指導者に対しても金銭的支援をする助成金事業を開始。この制度を利用できる指導者に対して渡されるお金は国の税金から出ているため、指導期間中に得た情報などをたやすく海外に流出させたくない、という思惑がある。

1年更新のため、高田氏も監督の任期中は毎年サインをしていたが、昨年9月末で契約満了を迎えた後、この制度の適用を辞退する手続きも済ませ、日本ブラインドサッカー協会に提出する文書として求められた、トルコからの契約書を待つだけとなった。

高田氏が1月にトルコの理事会で監督就任を承認された時期は、日本国内で新型コロナウイルスの感染拡大が止まらず、東京都では感染者が1万人を超える日が続いた。当時、トルコ側の契約担当者は来日できなかったが、高田氏はPCR検査で陰性判定が出ればトルコへの入国は可能だった。

トルコの契約担当者からも「一度、こちらに来ないか」と言われたが、現地にすぐに飛んで契約書にサインしたとしても「30日間ルール」があるため、すぐに指導ができるわけではない。そのため、高田氏は日本でトルコから契約書が来るのを待った。その間に、ロシアによるウクライナ侵攻がはじまってしまった。

トルコは、ロシアとウクライナとは黒海を挟んで向き合っており、地理的に近い。3月に初めて行われたロシアとウクライナの外相会談実現のために、トルコの外相が一役買ったと言われている。両国から観光客がトルコにたくさん訪れるなど、ロシア、ウクライナ両国とトルコは友好的な関係にある。したがって現在に至るまで少なからず、戦争の影響を受けているのだ。

ウクライナ侵攻後、トルコ側から高田氏への連絡が急激に途絶え、契約にむけた話は進まなくなり、3月いっぱいで契約交渉を打ち切らざるを得なかった。高田氏が当初、6月に指揮をとることを熱望された「ヨーロッパチャンピオンシップ」は健常者がプレーするサッカーにあてはめれば欧州選手権(EURO)に匹敵する。日本人がトルコ代表監督として指揮をとることを、日本のサッカー界の指導者も注目していたが、歴史的偉業は幻となってしまった。

「今回トルコからいただいたオファーは私だけでなく、共に戦ってくれた日本代表チームの選手やコーチ、スタッフの取り組みが認められた上でのことだと考えています。トルコの話がまとまらなかったことはもちろん残念ですが、今後、私以外にも競技を問わず指導者の方が海外からオファーが来るケースはあると思います。その方々がスムーズに新しいステップを踏めるよう、『30日ルール』の内容、適用についてはもう一度検討してほしい、という思いです」

ウクライナ侵攻、契約書の存在……。高田氏は自分の力だけでコントロールできないものによって、結果的に夢の舞台を奪われた。この無念を味わうのは自分ひとりで終わりにしてほしい、と切に願っている。

4月19日、ウクライナのサッカー強豪クラブ、シャフタール・ドネツクがトルコ・フェネルバチェと親善試合を行った。ロシアによる軍事侵攻により、1か月半にわたる活動停止後、トルコのイスタンブールで活動を再開し、平和を願う世界ツアーをはじめた(写真:共同通信)

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