大船渡高校・前監督が明かした「佐々木朗希を育てる苦悩と重圧」 | FRIDAYデジタル

大船渡高校・前監督が明かした「佐々木朗希を育てる苦悩と重圧」

完全試合達成後、恩師が初告白 「3年前に戻ったとしても、私は投げさせません」

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3年前の岩手大会準々決勝。味方の勝ち越しに喜ぶ國保氏(右)と佐々木。佐々木の恩師への信頼は厚かった

佐々木朗希(20・千葉ロッテ)の完全試合達成から1ヵ月以上が経過しても、沈黙を続ける人物がいる。大船渡(おおふなと)高時代の恩師、國保(こくぼ)陽平氏(35)だ。同校野球部前監督で、現在は部長を務める國保氏は、’19年夏の岩手大会決勝・花巻東戦で佐々木をマウンドに送り出さなかった。

いまだ骨格が成長段階にあった佐々木が、投球過多によって故障するリスクを考慮し、登板を回避させたのだ。35年ぶりの甲子園出場よりも、佐々木の将来を選択したことは、英断とも独善とも言われ、賛否両論が渦巻く大論争となった。だがプロ入り3年目を迎え、覚醒した令和の怪物の活躍を見れば、青年監督のあの日の決断を批難する者はもういない。

「完全試合をプロで達成したからといって、あの決断が正しかったのかどうかはわかりません。試合に負けた(2対12)ということは、正解の戦い方ではなかった。結局、朗希が登板しなくても、勝てるようなチーム作りを僕ができなかった。他に打つ手はなかったのか。それはずっと考えてきました。ひとつだけ言えることは、たとえ3年前に時間が戻ったとしても、僕が朗希を花巻東との決勝に起用することはないということです」

國保氏が独占取材に応じたのは、今年4月29日に行われた春季岩手大会沿岸地区予選の1回戦後だった。

國保氏はやや偏屈なところがある野球人だ。多くの報道陣が練習試合や公式戦に詰めかけた3年前の夏が終わってから、取材にはまったく応じず、登録してあった新聞記者の電話番号もすべて着信拒否に設定したほどメディアに警戒心を抱いてきた。岩手の沿岸部に通い続けた私の取材にはいつしか応じてくれるようになったが、携帯の番号を教えてはもらえず、取材は公式戦の日に限定された。

「今ではどなたも岩手までいらっしゃいませんから……(笑)。朗希が高校1年生で147㌔を出した頃、ダルビッシュ有投手や大谷翔平投手と同様に、世界に羽ばたくような選手になると思いました。それ以来、壊しちゃいけないというプレッシャーが僕にはありました」

’19年の岩手大会で、佐々木は4回戦の盛岡四高戦で延長12回までに194球もの球数を投じた。気を遣(つか)いすぎるぐらいに遣って佐々木を起用してきた國保氏といえど、甲子園への第一関門だったシード校との試合で、途中降板を命じることはできなかった。

「9回に追いつかれて延長に入り、球数がどんどん増えていった。降板させるべき球数というのは、投手それぞれ、異なると思うんです。70球かもしれないし、120球かもしれない。同じ一球でも直球とカーブとでは肩やヒジへの負担は異なります。結局は、選手の状態を見て判断するしかない。あの試合はやはり、途中で降ろすべきだったんでしょうね……」

3日後の準決勝一関工戦でも佐々木は129球を投げて完投し、チームも5対0で勝利。序盤から点差以上の力の差がこの試合にはあった。決勝登板を見据え、佐々木を降板させても良かったのではないか。

「ベンチにはベンチの考えがあり、お答えできないチームの事情があった。盛岡四戦は降ろすべきだったと思うけれども、この試合はそうは思っていません。まず勝たないことには次に進めない。矛盾するお答えになるかもしれませんが、トーナメントである以上、一人の投手で勝ち上がることはできない。『1』を背負った投手しか投げさせないとなると他の投手のモチベーションも上がりません。そういったことも含めて、決勝では朗希を登板させなかった。トーナメントを勝ち上がるということは本当に難しいです」

決勝の日、佐々木の歩き方や表情などを見て、國保氏の独断で佐々木を起用しないことを決めた。佐々木のみならず他の選手にも多くは説明しなかった。一言でも相談したら、必ず佐々木の登板を訴えてくる。そうなったら起用せざるを得なくなることを國保氏はわかっていた。

「私が一番恐れたのはヒジの故障です。登板が重なり、かなりの球数を放って疲れた状態の朗希のヒジのじん帯や上腕二頭筋などの筋肉が、160キロ超のボールに耐えられるのか。そこを懸念しました。決勝で投げたとしても、故障はしなかったかもしれない。だけど、故障リスクが最も高い日だったことは間違いありません。だから登板させなかったことは後悔していません」

大敗後、國保氏の采配には疑問符がつき、OB会からは國保氏を解任するような動きもあった。

「母校が負けて喜ぶOBはいません。勝って欲しいから、応援してくださっている。同じ指導者が同じ指導方針で勝てないのなら、指導方法を変えるか、監督を替えるか、どちらかになると思います。それは会社の経営と同じだと思います」

昨夏をもって、國保氏は監督を退任した。だが、自身の退任と3年前の敗戦やOB会の動きは無関係だと國保氏は言う。

「私の自宅が遠くて、毎日、往復6時間をかけて通勤しているんです。それならばグラウンド近くに住んでいる先生が監督をしたほうが選手たちの成長にとっても良いと判断しました」

佐々木の完全試合は、練習後に携帯電話で確認した。

「ふーんという感じ(笑)。ああいう大きいことをやるとも、やらないとも思っていなかったから意外とそんな感想ですよ。もちろん、活躍は嬉しいです。NPBの世界に慣れて、落ち着いて自分のボールを放れている。160キロを投げられたとしても、それを打ち返すのがプロの世界。スピードガンの表示以上に大事な要素が投球にはある。他の投手が投げられないようなボールを追求して欲しいです」

現在の大船渡高には佐々木の弟も在籍し、2年生ながら「1番遊撃手」を任されている。

「足があって、肩も強い。良い選手です」

監督は退いても、教え子の健康と成長を見守る温かい視線は、3年前と何も変わっていない。

アメリカ独立リーグでプレーした経験もある國保氏。昨夏に大船渡高の監督を退き、現在は部長を務めている

『FRIDAY』2022年6月3日号より

  • 取材・文柳川悠二

    ノンフィクションライター

  • PHOTO著者撮影(2枚目)

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