下着まで調べられ地雷地帯を走破…激戦地マリウポリ住民の決死行 | FRIDAYデジタル

下着まで調べられ地雷地帯を走破…激戦地マリウポリ住民の決死行

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イーゴリさん家族が避難していた病院はロシア軍の砲撃で廃墟に(画像:ウクライナ住民提供)

ウクライナの激戦地マリウポリで、地獄の戦闘を目の当たりにしたイーゴリさん(59)。家族との逃避行実話、その後編をお伝えしたい。

【前編:1歳幼児を抱いて…激戦地マリウポリの地獄】

ロシア軍に連行されたイーゴリさん一行は、避難していた病院を出ることになった。

「4月8日、ロシア兵がシェルターにやってきました。そこにいる人の名簿を作り、15分以内に出る準備をするように命じます。一人ずつバスに乗せられ、ロシアの登録センターと人道支援本部のある場所に連れていかれました。

やせ細り、汚れ、お腹を空かせていた私たちを見たボランティアは、すぐに医者の元へ連れていってくれた。私たちと一緒にいた病院の患者たちは、そのままバスに乗せられ、さらに先にある選別収容所に運ばれました」

ロシア兵が患者や医師たちへ監視の目を光らせている間、イーゴリさんたち家族は集団から離脱する。近くの海辺にあった親戚の別荘で、一晩を過ごすことにしたのだ。

「朝には漁師さんが魚を持って来て、地元の人は野菜や穀物、パンを供給してくれました。孫が太陽を見たのは、1ヵ月半ぶりです。孫は海岸にたたずみ、30分ほど黙って空を眺めていました。戦争の影響でしょうか。ロシアの軍艦がアゾフスタル製鉄所や港を砲撃していましたが、その爆発に反応さえしませんでした。

翌日、ロシア兵がやってきました。身分証を点検し尋問され、『選別収容所に来い』と言う。しかし、選別収容所には絶対行きたくないので自力でウクライナの支配地域を目指すことにしました。安全な避難ルートがわからないまま、4月16日の朝に出発しました」

ロシア軍の検問所を15ヵ所ほど通過し、そのつど書類や携帯電話、持ち物をチェックされた。

ザポリージャへ避難した11歳の息子とペットの愛猫

「私たちは、戦闘のないロシア軍の占領地域に送られました。占領下にもかかわらず、携帯電話の電波がつながります。私たちの安否を心配している親戚と1ヵ月半ぶりに連絡をとり、テレビを見たり、お湯や普通の食事がある住居で休むことができました。何よりありがたかったのが、静寂があり砲撃がなかったことです。

ただ、ロシア軍の占領地域にいつまでもいるわけにいきません。私たちは、ウクライナの統治下にある北部ザポリージャへ避難する計画を立てました。避難には車が必要です。幸運だったのは、モスクワにいる親戚から電話が入ったことです。知り合いがトラックをマリウポリから私たちのいた村まで行かせるので、家族を避難させることができると言うではありませんか」

4月23日の早朝、イーゴリさんたちはザポリージャへ向け出発する。

「検問をいくつか通ると、『カディロフツィ』(ロシア連邦チェチェン共和国の部隊)に遭遇しました。過激な行動で有名な部隊です。彼らは車を横転させ内部を調べたり、子どもや女性の下着まですべてチェック。最後には、『この先に道はない』と告げられました」

イーゴリさん一行は、仕方なく反対方向に車を走らせる。しばらくすると、ウクライナの旗が見えた。イーゴリさんらに気づいたボランティアが近づいて来る。ボランティアは、こう指示してくれた。

「避難経路を記した地図をあげます。このルートで、みんなザポリージャに避難しています」

イーゴリさんは、教えられたルートを進む。

「村や畑、地雷の埋まった野原を通り抜け、多くの検問所がある未舗装の道を走りました。最後のロシアの検問所では、この先はグレーゾーン(危険地帯)なので、できるだけ速く通過するようにと警告されました。しかし道全体に地雷が散在し、その間を縫うようにゆっくり走らなければならなかった。

グレーゾーンは約30kmも続き、道の両側で砲弾が炸裂していました。ウクライナの旗を掲げた検問所が見えた時は、嬉しくてみんなで泣きました。私たちが地獄から生還できたのは、奇跡の連続のおかげです」

ザポリージャでは、国内外の記者たちに迎えられた。数時間の取材が終わると、快適なホテルで一泊。翌朝、東部リヴィウに向かって出発し、4月26日に無事に到着した。決死の逃避行をとげたイーゴリさん家族は、現在ホステルで仮住まいをしている。

  • 画像ウクライナ住民提供

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