ダムを破壊しロシア軍阻止…奇策のキーウ近郊住民「苦悩と現実」
ロシアがウクライナへ侵攻開始してから3ヵ月。ロシア軍は予想外の反撃を受け、各地で苦戦を強いられている。
プーチン大統領にとって最大の誤算は、当初数日で制圧できると想定していた首都キーウからの撤退だろう。ロシア軍の進撃を止めた小さい村がある。キーウの北40kmほどの地点にあるデミディウだ。ウクライナ軍はロシア軍を阻止するために、村の近くにあるダムの堤防を決壊させ大量の水を放出するという奇策に出た。周辺の田園地帯は泥沼となり、多くの民家が水没……おかげでロシア軍の戦車や補給部隊の車両は、前進できなくなった。
以下はデミディウに住む男性サーシャさんが語る、住民の苦悩と現実だ。
「この村は、ロシア軍がキーウに向かう最短ルート上に位置しています。我々はわざと堤防を壊し、この村を洪水にすることでキーウをロシア軍から守りました。一方で、被害も大きかった。水位が、最大で2mになった場所もあります。村の民家約750棟中、70棟ほどが洪水の被害を受けました」
橋の手前でズボンをまくり上げ……

ロシア軍の侵攻直後には、キーウへつながる川の橋も破壊した。
「橋は、北部からキーウに通じる唯一の避難ルートでもあります。デミディウには、近隣の村々やチョルノービリから人々がぞくぞくと逃げてきました。キーウに避難しようとする人たちは、壊れた橋の前まで来るとズボンのスソをまくり上げます。
健康な大人は、まだ冷たい雪解け水の中に入って向こう岸に渡る。子どもや身体の不自由な大人には、簡易の担架を作り渡河をみんなで手伝いました。水位が下がっている時には、板を組み合わせ急造の橋を作り避難者が通れるようにしたんです」
水位が高く向こう岸に渡れない時は、村で避難民を保護した。70人以上を、公民館に受け入れたこともあるという。
「毎日、温かい食事や服を提供し、発電機で電気を起こして公民館を暖房しました。避難者は快適に過ごせたと思います。他の場所では食べ物や衣類などの物資が不足していましたが、この村には何でもありました。ベビーフードやおむつも。車に赤い十字のマークを手書きで描いたにもかかわらず、毎日のように激しい砲撃にさらされながら、必死で支援物資を運んでいたんです。おかげで、車はボロボロになってしまいましたが」
人的被害がなかった訳ではない。
「ロシア軍はこの村にもやってきて、数人の死傷者が出ました。物を盗まれたり、砲撃で家が破壊された人もいます。しかし浸水状況がヒドいため、ロシア軍は村に居座るのをスグに諦め近郊のブチャやマカリウに転進しました。村人の大半は無事ですが、ブチャなどには多くの友人や親せきがいます。中には殺された人もいて、とても心が痛みます」
ロシア軍は撤退した。だがサーシャさんら村民には、道路や家の修繕、排水など復興への課題が山積みだ。
「村で5台のモーターポンプを入手しました。燃料代も値上がりしているのでコストはかかりますが、排水作業にとても役立っています。堤防破壊から2ヵ月以上経っても、まだ村は水浸しです。家が浸水し、畑に作づけができなくなってしまったと嘆く住民もいます。しかし、私は神様に感謝している。ロシア軍の侵攻を止め、村の人々が生き延びることができたんですから。本当にありがたいです」






写真:サーシャさん提供