犯罪心理学者の夫に殺された妻が書き残していた「夫への怒り」 | FRIDAYデジタル

犯罪心理学者の夫に殺された妻が書き残していた「夫への怒り」

法務省で知り合った元文教大学准教授の浅野正被告と妻が、なぜこんな結末を迎えなければいけなかったのか

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3月18日、浦和署から殺人容疑で送検される浅野正容疑者(撮影:蓮尾真司)

2020年にさいたま市の路上で妻(53=当時)を刺殺したとして殺人などの罪で起訴された、元文教大学准教授の浅野正被告(53)に対する裁判員裁判が、さいたま地裁(小池健治裁判長)で開かれている。

被告は同年3月16日、さいたま少年鑑別所に勤める別居中の妻を官舎近くで待ち伏せしていた。自転車に乗り浦和方面に向かう妻を見つけるやいなや、自転車の後部を掴んで自転車ごと倒し、妻の胸を持っていた包丁で刺して殺害したとされる。

逮捕当時は、事件の背景に夫婦間のトラブルがあったとみて捜査がなされているとの報道があった。ところが公判では、被告が事件前に「妄想性障害」を発症していたことが明らかにされた。妄想の影響で、妻と家族に対して一方的な憎悪を抱いていたのだという。

「殺したことは間違いありません。妻と次女は僕を自殺させようとしていました」

浅野被告は5月13日に開かれた初公判の罪状認否でこう述べた。家族が被告を自殺に追い込もうとしていたという話は、被告の妄想だ。これに争いはない。公判で検察側は、被告が当時、妄想性障害の影響で心神耗弱の状態にあったと主張。対する弁護側は、被告が当時、妄想性障害の圧倒的影響下にあり心神喪失の状態だったとして無罪を主張した。

冒頭陳述や証拠によれば、被告はもともと法務省の職員として働いており、同省で法務技官として働いていた妻と知り合って結婚に至った。ふたりには3人の娘がいる。被告はのち退職し、研究の道へ。事件当時は臨床心理学や犯罪心理学を専門とする准教授だった。ところが夫婦は次第に「生活態度や子育てへの姿勢などからお互いに不満を抱き、関係が悪化」(検察側冒頭陳述より)したという。

2019年春、妻の勤務先が変わったことにより、一家はさいたま市内の官舎に転居したが、同年9月、被告と次女だけが、神奈川県内に転居し、夫婦は別居状態となる。当時学生だった次女の通学に便利な場所だったことから決まった転居先だった。

同年10月、不調を感じるようになった被告が精神科を訪れたところ「うつ状態」と診断され、薬を処方された。症状は好転せず「遅くとも2020年1月ごろには精神的不安やストレスにより『妻と次女が自分を追い込み、財産を奪おうとしている』と思い込むようになっていた」(検察側冒頭陳述より)という。

翌月、被告はひとりで埼玉県内に転居し、次女は妻の元に戻ったが、この頃から、妻への殺意を抱くようになる。包丁を購入するなど準備を重ね、3月、犯行に及んだ。

弁護側の冒頭陳述によれば、被告が精神的不調を感じるようになったきっかけは「さいたま市に引っ越した頃から、妻が口をきいてくれなくなった」からだという。

「自分の言動が妻を傷つけたのでは、と何度も手紙を書いたが、全く相手にしてくれない。不安は増していきました。次女と引っ越して、妻と離れていれば、自分の不安も落ち着くんじゃないかと思っていたが、引っ越しても気持ちが休まることはなかった」(弁護側冒頭陳述)

妻が使用していたクレジットカードの引き落としが被告の口座からなされると「自分の財産を取られるのでは」と思い、自宅に忘れて行ったスマホの置き場所が変わっていたことで「次女が自分のスマホを見ているのでは」と疑うようになる。

浅野正容疑者は文教大学のHPの「自己紹介」で、〈被害者支援を中心とした、社会的な実践活動にも力を入れています〉と記していたが…

5月24日の被告人質問でも、浅野被告はこうした“自分の認識”を語った。

「あるとき、私が自殺を試みた次の日に、部屋の扉が開け放たれていた……おそらく次女は、僕が自殺を試みたことを妻に伝えているんだと思いました。それなら扉を開けっぱなしにして、やりなさいと、やりきりなさいと、僕に対して妻が……それに従って次女はそうしていると思った。今までにない恐怖心を感じました」

同居していた次女が、妻の手先となって、被告を追い込んでいるという“妄想”に囚われていた被告は、次女の何気ない、あらゆる言動を「妻と次女からのメッセージ」だと思い恐怖していたのだという。

もちろん次女にはそんなつもりはなかった。同月17日の公判に証人として出廷した次女は「当時は、学校やバイトで、そもそもお父さんの様子を注意してなかったので全然なんとも思ってなかった」と述べている。被告が妄想を抱いていることにも気づいていなければ、自身の言動が被告を疑心暗鬼にさせていたことも全く気づいていなかった様子だ。

次女だけでなく職場も、他の家族も、妄想には気づいていなかった。被告が通っていた精神科の医師すらも「うつ状態」と診断しており、妄想性障害は見過ごされたまま事件は起きた。

そのうえ、被告は今もまだ妄想を抱いており、次女や妻への思いを被告人質問でこう語る。

「次女の証言を聞いて、全体的に、彼女の証言は、彼女に疑いがかからないように話しているのかなと、嘘をついているのかなと思いました。妻のことを庇って、本当じゃないことを言っているんではと。次女への怒りは今もあって、殺したい気持ちが今もある」

被告が精神に不調をきたすきっかけとなったのは「妻がある日から口をきいてくれなくなった」と被告が感じたことによる。妻の当時の思いは、もう聞くことはできないが、唯一、妻の被告に対する思いがうかがわれる証拠があった。妻のスマホの「メモ帳」に残された文章だ。事件の7ヶ月前の真夜中に作成されていた。

「いつも襖を大きな音を立てて閉め、ぶつぶつと文句を言い『家事をしない』と私をさんざん責めた。娘の保育園の送りを私がやらないと怒り、私が家にいると『息が詰まる』と言った。出て行ける立場だったらいつだって出て行く……いつもあなたは『論文を書く時間がない』と言っては寝て、プールに行き、英会話を習い、やりたいことができている。私が住む官舎なのに、未だ、私は自分の部屋を持ったことがない……自分の思い通りにならないと一晩中文句を言う……」(証拠として読み上げられた妻の文章の一部)

次女は尋問で「被告はどんな父親だったか」と検察官に問われ、こう述べている。

「なかなか一言で言うのは難しいですが、強いて言うなら、ちょっと変な人。自分の思い通りにいかないと、全部嫌になっちゃうのかなと。怒ると大声を出したり、ふて寝したりする。人のせいにすることが多かった」

被告は「妻が突然口をきいてくれなくなった」と感じていたが、家族の証言を聞く限り、“突然”だと思っていたのは被告だけだった可能性もうかがえる。読み上げられた妻のメモのことを問われ、被告は、こう述べていた。

「こんなものだったのかと。つまり僕に口をきいてくれない理由、あの程度、っていうと変ですが、ごく当たり前のことしか書いてない。もっと根深い恨みとかあって、口きいてくれないと思ってたので、正直びっくりした」

被告との生活をめぐる妻の怒りを“こんなもの”と断じる被告だったからこそ、妻が口をきいてくれなくなった理由も分からなかったのかもしれない。

次女に対して未だ明確な殺意を持つ被告に対して、検察官は懲役10年を求刑している。判決は追って言い渡される。

  • 取材・文高橋ユキ

    傍聴人。フリーライター。『つけびの村 噂が5人を殺したのか?』(晶文社)、『暴走老人・犯罪劇場』(洋泉社新書)、『木嶋佳苗 危険な愛の奥義』(徳間書店)、『木嶋佳苗劇場』(宝島社)、古くは『霞っ子クラブ 娘たちの裁判傍聴記』(新潮社)など殺人事件の取材や公判傍聴などを元にした著作多数。6月1日に「逃げるが勝ち 脱走犯たちの告白」(小学館)が新たに出版された

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