異色のエース・伊東純也「死の組、俺は楽しみでしかないですね」
KRCヘンク ベルギーリーグ「アシスト王」&「年間最高ゴール」二冠をひっさげ、いざW杯へ シャイで口下手で天然で遅咲き…… コツコツ階段を上ってきた異色エースの矜持
夕方6時を過ぎても、春のヘンク(ベルギー・リンブルフ州)は日が沈まず、市民が広場のオープンテラスでコーヒーを飲みながら談笑していた。日本の都会の雑踏と比べると、かなり静かな風景だ。
そんなヘンクの街角で撮影を始めると、人々の視線が気になるのか、伊東純也(29)は「本当に恥ずかしいんですけれど……」と心底、きまりが悪そうだった。
ワールドカップ・アジア最終予選で1勝2敗という最悪のスタートを切った日本の危機を、4試合連続ゴールの大活躍で救った派手な金髪のヒーローは「あ、伊東だ!」と気付かれるのが嫌いなシャイな男だった。
ゴールを決めると喜びを爆発させていた伊東だったが、いざ、そのときの場面を振り返ってもらうと、
「必死に『勝つしかない』と思ってプレーしてたら、たまたまゴールが決まっただけですね」
と、素っ気ない。一方、予選の大一番だったサウジアラビア戦(2―0で日本の勝利)で南野拓実(27)の先制弾を導いた、右サイドアタックからのクロスに関しては、臨場感たっぷりにこう語った。
「あの1点は大きかったです。『決めてくれー!』って思っていたら、決めてくれたのでとても嬉しかったです。『ナイス!』みたいな感じです」
自身のゴールシーンは控えめに、しかし、アシストのシーンはチームや仲間への思いをあらわにしながら、伊東は話すのだった。
自身のストロングポイントを「やっぱりDFとの一対一で仕掛けるところ。そしてクロスですね」と伊東は言う。韋駄天のドリブラーとしてJリーグで名を馳せた彼は’19年2月、戦いの場をベルギーへ移して長所に磨きをかけた。
この3年半で仕えた6人もの監督はベルギー人、ドイツ人、デンマーク人、オランダ人と多岐にわたり、攻撃的サッカーやカウンターサッカーと戦術も異なっていたが、指揮官たちは常に伊東を試合に使い続けた。そして、伊東は豊富な国際経験という収穫を得た。
「ベルギーに来て大きかったのは、チャンピオンズリーグ(CL)やヨーロッパリーグに出て、自信を持っていろいろな国のチームと試合ができたことです。CLではリバプールとも試合をしました。世界のトップ中のトップと試合をするなんて、ここに来ないとできないですから」
ヘンク移籍1年目にベルギーリーグ優勝、今季はチーム成績こそ8位と振るわなかったが伊東は16アシストを記録し、アシスト王に輝いた。
ベルギーで試合に出続けて自信がついて、日本代表でも結果を出せるようになり、その勢いをヘンクに持ち帰って力を発揮する――。そんな好循環が伊東に生まれた。
日本でプレーしていたころ、”今の伊東”を本人は想像できただろうか?
「こんなにできるとは思わなかったですね」
そんな短い返答に率直な思いがこもっていた。
宇佐美貴史(30)、柴崎岳(30)ら、同年代の選手たちはティーンエージャーのころから「プラチナ世代」と呼ばれたタレント揃いだった。しかし、プロになる前の伊東は「逗葉(ずよう)高時代は、神奈川県でベスト32までしか行けなかった」という無名の選手。「俺は『プラチナ世代』じゃない方」と自虐気味に彼は言う。せっかく国体の県選抜に選ばれても、「友だちがいないから」と人見知りの性格が災いして辞退してしまう始末だった。
転機は神奈川大への進学。それまで高いレベルでサッカーをしたことがなかったため、自身の実力を推(お)し量(はか)れなかった伊東だったが、1年生のときから試合に出ているうちに「自分の力は他校の主力選手と遜色がない」と気付き、「プロになることができる」という感触を得た。
神奈川大の3学年先輩、佐々木翔(32・現広島)を追っていた甲府のスカウトの目に留まる幸運にも恵まれ、伊東は同クラブに入団。そこから名門・柏に移籍し、日本代表に初招集され、ヘンクへの切符をつかんだ。
26歳での欧州移籍は近年のトレンドからすると遅い部類に入る。日本代表の主力に上り詰めたのも、30手前になってからだ。
「自分のキャリアはすべてがつながってます。もしかしたら、ちゃんと強いところに行ってサッカーをしてたら、もっと早くトッププレーヤーになることができたかもしれません。でもそれは”たら・れば”なんで。逆に早く(自身のキャリアが)終わってしまったかもしれませんしね」
小学1年生のときに入団した鴨居SC(横須賀)でサッカーを始めて23年間、常に試合出場の機会をもらい続けて、コツコツと一段ずつ階段を上っていった先にワールドカップ本大会出場があった。
それにしてもタフな男だ。ヘンクでは毎年のようにチーム内出場時間数のトップを競いながら、日本代表の一員として中近東、東アジア、オーストラリアといった長距離移動を繰り返している。
「プロになってから、ほとんど試合を休んでない。なんでだろう? 大きな怪我をしてないのが一番かな。連戦はとても疲れますけれど、なんとかやってます」
イナズマと称賛される俊足は、「自称、俺より速いらしいですよ(笑)」(伊東)という父親譲り。運動神経はソフトボールのピッチャーを務める母親譲りだという。だが、彼のタフさは「天からの授かりもの」だけでは説明がつかない。聞くと、ランニングは好きじゃないという。
「走るのは嫌い。サッカーで走るのはいいけれど、とても素走(すばし)りする気持ちにはなれません」とまで伊東は言う。
執拗にタフさの秘訣を彼に問い続けると、「プロになる前、弟と一緒に家の前の坂道をダッシュしてました」と、やっとヒントを教えてくれてから、「ちょこっとね」という一言を付け加えるのを忘れなかった。
ワールドカップのグループリーグで、日本は欧州屈指の強豪国であるドイツ、スペインと戦うことになった。この組み合わせが決まったとき、日本国内では「死の組だ」という悲鳴があがった。
「俺は楽しみですね。強いところとできるので。ヘンクの監督はドイツ人なんですが『グッドラック』と言われました」
ドイツ、スペインをどう攻略するか?
「やっぱり自分たちが優勢に進める時間も必要ですが、相手の時間が長くなったときにいかに我慢してチャンスを作っていくかというのが基本になると思います。きっと相手の守備の裏にスペースがあるんで、そういうところを狙っていきたい」
日本にはワールドカップベスト8進出という長年の悲願がある。
「強い国と試合をして勝っていかないとベスト8は見えてこない。難しいですけれど、やってやろうと思います」
伊東には忘れられない言葉がある。
「『辛いときこそ頑張れ』という言葉を大事にしているんです。いつ、誰に言われたのか全然覚えていないんですが、その言葉だけは覚えていて、たまにめちゃくちゃキツいときに、思い浮かぶことがあります。親に言われたような、そんな気はしなくもないですが……」
プロになるよりずっと前、誰かに諭(さと)された言葉は今、完全に伊東本人のものになった。苦しくキツい戦いが待ち受けている今秋のワールドカップ。その座右の銘を糧(かて)にして、伊東は大舞台のピッチの上で大暴れすることだろう。






『FRIDAY』2022年6月24日・7月1日号より
取材・文:中田 徹撮影:渡辺航滋