「綾瀬はるか似」美人レーサーがル・マン出場を狙う「過酷な現実」 | FRIDAYデジタル

「綾瀬はるか似」美人レーサーがル・マン出場を狙う「過酷な現実」

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6月4~5日に行われた『NAPAC 富士SUPER TEC 24時間レース』にて(撮影:加藤博人)

全国各地のサーキットで年間7戦が開催される『NAPAC 富士SUPER TEC 24時間レース』(以下、S耐)』は2018年、50年ぶりに富士スピードウェイで24時間レースが復活し今年で5年目だ。6月4日午後3時にスタートし、ゴールは24時間後の5日午後3時だった。チームは6人で構成され、一人4時間ぶっ通しで走る。このレースに一人の美人レーサーが参戦する……予定だった。

猪爪杏奈さん、27歳。写真で見るよりずっと美しく知的で笑顔が可愛らしい彼女は5日午前9時から出走するはずだったが、その前に発生したエンジントラブルでリタイアを余儀なくされ、レースに出走できなかった。この24時間レースには2018年以降、4年連続で挑戦してきたが、出走できない無念は今回が初めてだった。

10代はピアノとバレーボールに夢中 車に興味はなかった

杏奈さんの父は全日本ジムカーナ選手権で優勝経験もあるレーサーとして活動してきた。しかし、20年前にレースを引退後はサラリーマンをしていた。杏奈さんの中で「サラリーマンの父」という印象が強いという。「小さい頃、なんかうるさい車が家にあったなあ」という記憶がうっすら残っている程度だ。

「女の子が生まれたらピアノ、男の子が生まれたらカートをやらせる!というポリシーのもと育てられたので、幼少時からピアノを続けてきました。コンクールの入賞歴も多数ありました。しかし、元レーサーの父のDNAでしょうか、勝負が好きで活発、負けず嫌いで夢見がちなところを受け継いで、体を思いっきり動かすスポーツが大好きでした」(杏奈さん)

10歳でバレーボールの世界に入り、中学高校と部活でバレーボール一色の青春を送り、その流れで日本女子体育大学運動科学科に進学。教職課程もとっており将来は学校の体育教師になってバレーボール部の顧問になることを漠然と夢見ていたという。

しかし、体育大学に入ったものの体育会のバレーボール選手はみな身長180cm以上。160cm台の杏奈さんはその時点でバレーを続けることに限界を感じていた。

「情熱を注ぐものがなくなり、何をやるにも気力がなくなってしまいました。ケーキ屋さんや塾講師などバイトに明け暮れていましたが、自分が打ち込める対象には出会えていませんでした。不完全燃焼のまま大人になってしまうのかな…って思っていました」(同)

そこで、19歳の時に自動車免許をとることを決意する。しかし車を運転することに興味があったわけではなく、免許証があれば身分証明書代わりになる。そう思ったからだ。

「私が免許を取る話をしていたら、それまで黙っていた父親が『とるならオートマ(AT)限定じゃなくてマニュアルで取れ。教習料金の差額は出してやる』と言ってきたんですよ。差額出してくれるならまあいいか、と思ってマニュアルで取得しました」(同)

父・俊之さんと母・満江さん。俊之さんは杏奈さんのレース本格参戦をきっかけに『日本自動車大学校』のチーム監督を務めることになった(撮影:加藤博人)
猪爪さん提供

父が遊びで参加していたEVレースに初参戦!

免許を取得すると、レースは引退していたが、趣味のような感覚で電気自動車のレースに出場していた父から思いがけない言葉をかけられる。「レースに出てみないか」と誘われたのだ。

「正直、父は熱血漢でめんどくさいというか、あまり好きではなかったんですよ。でもまだ免許を持っていない18歳の頃に、電気自動車レースに出場していた父の手伝いをするようになって話す機会も増えて…。当初はレースには全く興味がわかなかったんですが、父と話す時間が増えてから変わってきて…。初めて日産リーフのレースに誘われた時は、恐いもの見たさなところもあって。『乗れるなら乗ってみようかな』とその程度の気持ちで出ることに決めました」(同)

何と数日後にはレース参加の命を守る装備品が多数、自宅に届いた。お父様も杏奈さんがレースに興味を示してくれて嬉しかったのだろう。そして、草レースとはいえ杏奈さんは人生初のレースに出ることになった。

「ヘルメットもハンス(首を守るための装備)も全部が苦しくて暑くて、窮屈で…体はほとんど動かせないし、またどこを走っていいのやらわからず。まったく面白いとも思わなかったんです。1周もしないうちにクルマ酔いをしてしまって、もう降りたい、苦しい……。でもここで車を降りたら笑われそうだし格好悪い。そう思って歯を食いしばって何とか走行時間めいっぱい走りきりました。クルマを降りた時は気持ち悪くて死にそうでした」(同)

過酷な洗礼を受けながらも、このEVレースで劇的な出会いがあった。Mazdaの女性レーサー育成チームのメンバーが同じEVレースに出場していたのだ。クラスは違うが、毎回顔を合わせる彼女たちは杏奈さんよりもはるかに速く、杏奈さんは歯が立たなかった。周囲からの注目もMazdaの育成チームの方に集まっており、杏奈さんは屈辱感を味わう。

「負けて悔しかったんです。なかなか上手く走れず父に『やる気がないなら帰れ!』と活を入れられてばかりで悔しかったから。その“負けたくない気持ち”と同じくらい私を夢中にさせたのは、普通に生きているだけでは決して感じることのできない五感に与えられる強烈な刺激です。

時速 200 km/h 以上のスピードで駆け抜けるマシン、空気を切り裂くエンジンサウンド、ガソリンの燃える匂い……。何より人の命が関わるから、ドライバーだ けでなくメカニック、チーム全員が常に本気で仕事に取り組んでいる世界です。『私も自分の能力全てを出し切って、この世界で一番のドライバーになりたい』と、気付いたらそう思うようになっていました。
 
そんな思いから、『来年は絶対このチームに入れてもらおう』と思っていました。免許を取ってからレースをはじめた私でも女性レーサーになれるかもしれないと、プロジェクトの可能性を感じたんです。かなり狭き門でしたが、『Mazda Women in Motorsport 2期生』になることができ、公式戦への出場もかないました」

名前を覚えてもらうために必死の自己アピールを続け、父とマニュアル車で猛特訓。メディアお披露目の際には、自分はどっちから撮られた方が綺麗か、鏡で自分の観察をしたりもした。

21歳で本格的にレースデビューを飾ると、その後は数々のレースで輝かしい戦績を収めている。ロードスター・パーティレースⅢ 日本一決定戦 では予選ポールポジションにてコースレコードを樹立。このレコードは2022年現在も破られていない。本格的にレースをはじめて2年目の2017年には、レーサーになるきっかけとなった全日本電気自動車レース(EV-2クラス)でシリーズチャンピオンの座を奪取した。

戦況を見つめる猪爪杏奈さん(撮影:加藤博人)

「猪突猛進、諦めたらそこで試合終了」

2018年からはスーパー耐久(ST-5クラス ロードスター)にもシリーズ参戦しており、2021年には父が監督を務めるチームのシリーズ3位獲得にレギュラードライバーとして貢献。MAZDA FUN ENDURANCE RACEではシリーズチャンピオン獲得、競争女子選手権ではポール・トゥ・ウィン(予選1位から決勝戦優勝をすること)でシリーズ3位、MARCH&NOTE Circuit Trialでは2年連続総合優勝、JAF-F4選手権、TCR・ジャパンシリーズではともにデビュー2戦目で2位表彰台を獲得するなど、メキメキと成長する姿をみせている。

今回、出走できなかったS耐24時間レースは2018年から3度参戦してすべて完走している。これだけ実績を残せば、さぞ、年収もぐっと跳ね上がっているのだろう、と考えてしまうが、杏奈さんを含めた女子レーサーの現実は想像をはるかに超える厳しいものだった。

「純粋にレースだけ(賞金やメーカーとの契約金のみ)で食べていける人はいません。レーサー以外の仕事でアルバイトしている人がほとんどです。スポンサー活動や、ライター業、出演など、レーサーであることでいただけるお仕事を様々掛け持ちしながら、スポンサーさんにも支えていただきなんとか生活しています」

モータースポーツは莫大な費用がかかるにもかかわらず、他のメジャースポーツと比べると露出が極端に少なく、マイナースポーツに位置付けられ、スポンサーがつきづらい。したがって女性レーサーの多くは年収は無く、普通のOLと同等(推定手取り15万円)と見られる。猪爪さんは最近、地上波のバラエティ番組にも出演したり、雑誌に寄稿したり活躍の場を広げているが、新たなファンを獲得したい、という思いはもちろんのこと、そうしなければ余裕をもった生活ができない現実もあったのだ。

現在、親元から離れて一人暮らしをする杏奈さんは6月25-26日のTCR・ジャパンシリーズ第2戦(岡山国際サーキット)、7月30-31日のスーパー耐久第4戦(大分県日田市・オートポリス)での参戦が決定。国内を飛び回っている。

「将来の夢はSUPER GT、世界ツーリングカー選手権、WEC、ル・マン24時間レースに参戦することです」

その先には「女性レーサーの仕事をプロアスリートの道として確立させたい」という思いがある。座右の銘は「猪突猛進、諦めたらそこで試合終了」。美しくて速い、杏奈さんの「試合」はまだはじまったばかりなのだ。

車を運転するときは1人だが、モータースポーツはチームスポーツ。何より人の命が関わる中で生まれる緊張感に魅力を感じている(撮影:加藤博人)
レースの合間に弁当を食べる。この日は出走できなかったため、かえってゆっくり味わいながら食べることができた(撮影:加藤博人)
幼少期のピアノ発表会(提供:猪爪さん)
バレーボールに夢中だった学生時代(提供:猪爪さん)
女性レーサーの仕事だけで食べていける環境を作りたい。戦いの場はレース場の外にもある(撮影:加藤博人)
  • 取材・文加藤久美子撮影加藤博人

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