’80~’90年代 誰もが熱狂した「大物ミュージシャンの肖像」 | FRIDAYデジタル

’80~’90年代 誰もが熱狂した「大物ミュージシャンの肖像」

忌野清志郎、渡辺美里、尾崎豊、ドリカムほか…… 音楽カメラマン大川直人氏が撮影秘話を明かす

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忌野清志郎が描いた大川氏(左)のイラストと本人。写真展が6月12日まで開かれていた『神奈川県民ホール』(横浜市)にて
忌野清志郎が描いた大川氏(左)のイラストと本人。写真展が6月12日まで開かれていた『神奈川県民ホール』(横浜市)にて
’98年当時の写真。ソニー・マガジンズが出版していた雑誌の取材で。当時は表紙の撮影に300万円もかけることがあったとか
’98年当時の写真。ソニー・マガジンズが出版していた雑誌の取材で。当時は表紙の撮影に300万円もかけることがあったとか

忌野清志郎(故人)が、イラストの男性に手を伸ばしている。描かれているのは、カメラマンの大川直人氏(64)。ソニー・マガジンズが出版していた雑誌『BREaTH』に掲載された写真だ。大川氏が振り返る(以下、発言は大川氏)。

「’98年に撮った写真です。清志郎さんは絵が上手いから、『なんでもイイから描いてください』とお願いしたんです。すると撮影スタジオのロールペーパーに、アッという間にボクを描いてくれました(2枚目は撮影当時の写真)」

清志郎だけでなく、大川氏は多くの大物アーティストを撮影してきた。還暦を迎えたのを機に、膨大な写真を整理。8月6日から11日まで『成増アートギャラリー』(東京都板橋区)で開かれる写真展では、90枚以上の作品が展示される。

「『EPICソニー』所属のアーティストをメインに撮っていました。思い出深いのは、美里ちゃん(渡辺美里)の写真ですね(3枚目)。彼女のデビューアルバム『eyes』(’85年)のジャケットになった一枚です。

美里ちゃんは、目力が強い。スタジオでヘアメイク中に髪を整えている姿を見ると、鏡に映った眼差しがとても印象的でした。『これだ!』と思い、実際に前髪を切ってもらい撮影したんです」

亡くなる20日前に尾崎と……

上左から98年の松たか子。デビュー前のドリカム。’渡辺美里。下左から 86年の清志郎。97年当時の槇原敬之。亡くなる約20日前に撮影した尾崎豊
上左から98年の松たか子。デビュー前のドリカム。’渡辺美里。下左から 86年の清志郎。97年当時の槇原敬之。亡くなる約20日前に撮影した尾崎豊

美里の下の写真に写っているのは、’92年に亡くなった尾崎豊だ。

「撮影したのは、亡くなる20日ほど前のことです。当時、尾崎さんは新事務所を立ち上げたばかりでヤル気に満ちていました。いただいた名刺に書かれていたのは『代表取締役 尾崎豊』という文字です。撮影は5〜6時間かかりましたが精力的で、まさか直後に亡くなるとは……。今でも信じられません」

尾崎の左上の写真は、『DREAMS COME TRUE』。デビュー1年ほど前の、’88年に撮影されたものだ。

「テスト撮影だったんですが、デビュー前とは思えない素晴らしい動きでした。メンバー3人の息がピッタリで、ストロボが追いつかないほどです。表情が豊かでフォトジェニック。これだけのパフォーマンスをするなら、すぐにメジャーになるだろうと感じました」

当時はCGも写真の加工技術もない。作業はすべてアナログで、撮影セットも自前で制作。大川氏は多忙を極めた。

「朝から撮影して、夜中に事務所へ戻り写真の現像です。休日どころか寝る時間もなく、一日2回点滴を打って仕事をしたこともあります。ただ’80〜’90年代は音楽業界の成長期で、アーティストもスタッフもパワーが漲(みなぎ)っていましたね。

ファンの思い入れの強さも、今とはまったく違います。ネットは普及しておらず、アーティストの情報は雑誌やラジオなどで得るしかなかった。お小遣いを貯めて、CDを買っていたんです。これまで写真展は銀座や横浜でも行いましたが、訪れるお客さんの中には作品の前で30分も涙を流す方もいます。自身の青春を振り返り、万感の思いになるのでしょう」

誰もが大好きなアーティストに熱狂した’80〜’90年代。大川氏の写真は、あの時代の輝きを思い出させてくれる。

『FRIDAY』2022年7月8日号より

  • 撮影大川直人 西﨑進也(1枚名)

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