Jリーグ開幕から30年…元日本代表FW”ドラゴン”久保のいま | FRIDAYデジタル

Jリーグ開幕から30年…元日本代表FW”ドラゴン”久保のいま

スペシャル企画「Jリーグ開幕の熱狂から30年」

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宮崎、大分、能登なども移住先の候補だったが「海と景色と晴れた日の気持ち良さ」(久保)が決め手となり、’18年6月に光市に引っ越し

46歳・FW サンフレッチェ広島ほか
「塩対応」ストライカーが淹れる塩コーヒー

「起床は毎朝5時ごろ。トンビが鳴き出すので『よっしゃ、起きるか』って。夜は酒を飲んで、眠くなったら寝る。だいたい23時には寝ちゃってます」

縁もゆかりもなかった山口県光市の港町、室積(むろづみ)に移り住んで約4年。現役時代は日本人離れした身体能力を武器に規格外のプレーで、〝ドラゴン〟の愛称で知られた元日本代表FW久保竜彦はいま、のんびりとした毎日を過ごしている。

「朝起きて、その辺を歩けばアオリイカが網ですくえます。この前、大工の大将の船に乗せてもらったら、1mくらいのブリが釣れて。近所のおばちゃんに捌(さば)いてもらって食べたら、めっちゃ旨かった」

室積に移住後、久保は近郊の離島で塩作りに励んでいたが、コロナ禍で離島に渡れなくなり、ストップした。豪快なプレーとは裏腹に、選手時代は極端な口ベタでヒーローインタビュー時の″塩対応ぶり″はインタビュアー泣かせとして知られていた。そんな久保は、塩作りができなくなって以降、地元の″ドラゴンカフェ″で塩コーヒーを淹(い)れているという。

「別にコーヒー好きじゃなかったんですが、焙煎マシンがあったから塩で焙煎してみたら『うまいやん!』って。時間があるときは近所のマルシェでも出していますよ。現役のとき塩対応だったのは、サッカー以外のことを考えたくなかったから。質問されると、考えていたことや感覚を忘れてしまいそうで。それに、試合後は腹が減っているし、早く酒を飲みたいじゃないですか(笑)。嫁には、アホやないかって怒られましたけど」

サンフレッチェ広島で頭角を現し、’03年に横浜F・マリノスに移籍すると、一気にブレイク。同年最終節のジュビロ磐田戦の終了間際、逆転での完全優勝を決める高い打点で放った豪快なヘディングシュートはいまも語り草だ。

「GKの下川(健一・52)さんが蹴ったボールをマツ(松田直樹)が競って、大きくバウンドしたところで相手GKが出てきたのが見えた。最初はトラップしようかなと思ったけど、頭で触れば入るかなと。あのゴールが優勝につながったのは(他会場の結果もあって)たまたま」

マラドーナに憧れてサッカーを始めた久保にとってW杯出場は夢だった。ジーコ・ジャパンではエースに指名され、期待に応えたこともあった。しかし、’06年ドイツW杯直前、腰痛でコンディションが万全でないことを理由に最終選考でメンバーから外れることになった。

「W杯は出てみたかったけど、ケガもあってあれが限界でした。まあ、酒も飲んだし、不摂生でしたから。でも、あのときは楽しかったし、酒を飲まなければよかったとか、そういう気持ちはないです。忘れられないのは落選した日にテレビを見たら、メンバー発表の会見をかあちゃんが母校の先生と一緒に見ている姿が映っていたこと。悔しかったというか、子供の頃は何しとんやっていつも怒っていたかあちゃんも泣くんだって、その映像を見て思ったのはハッキリ覚えています」

’08年に古巣の広島に復帰し、’10年からは当時JFLだったツエーゲン金沢でプレーすると、’14年の広島県リーグの廿日市FCでのプレーを最後に38歳で現役生活にピリオドを打った。

「最後は地域リーグで大学生と競り合ったときに肋骨が折れて……こんなんで折れたらもうダメだって(笑)。結局、選手としてショボかったってことですよ」

朝起きて、海を見ながら「なんかおらんかな?」と散歩するのが日課だ。この時期は鰺や鱧(はも)がよく釣れるという
日本代表として国際Aマッチに32試合出場し、11ゴール。ジーコ・ジャパンではエースFWとして期待された
本誌未掲載カット 久保竜彦 往年のJリーグスター選手「驚きのセカンドキャリア」
本誌未掲載カット 久保竜彦 往年のJリーグスター選手「驚きのセカンドキャリア」

『FRIDAY』2022年7月8日号より

  • 取材・文・写真栗原正夫

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