天皇杯から19年…カレン・ロバートの「驚きのセカンドキャリア」
37歳・FW ジュビロ磐田ほか いまだに「市船のカレン」 最後は英7部リーグ「ジャーニーマン」千葉に還る
「プロ2年目の’05年に31試合で13ゴールを決めて新人王を獲得しました。ただ、13点中11点はワンタッチゴール。当時のジュビロにはまだ名波さん(浩・49)ら黄金期のレジェンドが健在で、僕は一流の先輩方のサポートを受けて最後にフィニッシュしただけ。だから、自信にもならなければ、ハードルだけ上げてしまった感じ。残念ですが、振り返ればあれが僕のピークでした(笑)」
自身のキャリアについて、自虐気味に話すのは、北アイルランド人の父と日本人の母の間に生まれ、ジュビロ磐田やU-23日本代表として北京五輪予選などでプレーしたカレン・ロバートだ。
名門・市立船橋2年時に全国高校サッカー選手権を制覇。3年時には高校生チームながら天皇杯で3回戦に進出し、同年のJリーグ王者・横浜F・マリノスと延長戦までもつれる熱戦を演じたことでも話題を呼んだ。
「高校サッカーと天皇杯のインパクトが強すぎて、いまも元Jリーガーっていうか、市船のカレンみたいな。しかも、『マリノス戦で点決めましたよね?』ってよく言われますが、ゴールは決めてなくアシストだけ。市船で成し遂げたことは僕の誇りですが、世間のJリーガーとしてのカレン・ロバートの認識は限りなく薄いみたいです(笑)」
’11年1月にオランダのVVVフェンロへ移籍すると、その後はタイ、韓国、インドなどのクラブを渡り歩き、’18-’19シーズンにイングランド7部リーグのレザーヘッドFCでのプレーを最後に第一線から退いた。
「父の影響で、最初に憧れたのがイングランドサッカーでした。最後はサッカーの母国で、ビッグクラブとの対戦を夢見ましたが、結果が出ずに潮時かなと。やり切ったし、もしどこか上位リーグのクラブからオファーをもらいながらやめられたら最高だったんですけど、自分のトライには満足しています」
Jリーグで7年プレーしたあとは、海外での生活が長く続き、そこでの経験がいまにつながっていると話す。
「海外に行き、サッカー以外のことにも積極的に触れて視野が広がりました。サラリー面でも恵まれ、貯金ができたことで、セカンドキャリアに進みやすい状況が生まれました。いま千葉県木更津市で将来のJリーグ入りを目指すクラブ『房総ローヴァーズ木更津FC』のオーナーを務めていますが、海外に出ていなければできていなかったと思います」
’19年に、12年以内にローヴァーズのトップチームをJ3へ上げるプロジェクトがスタートした。昨季、J1から数えて7部相当の千葉県1部リーグを初めて制した。今季は悲願の関東リーグ(2部)への昇格をねらう。



『FRIDAY』2022年7月8日号より
取材・文:栗原正夫PHOTO:鬼怒川 毅