葛城ユキさん テレビの『人間大砲』で大ケガも克服した不屈の闘志 | FRIDAYデジタル

葛城ユキさん テレビの『人間大砲』で大ケガも克服した不屈の闘志

芸能リポーター・石川敏男の芸能界”あの出来事のウラ側は……”

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今年5月にステージに復帰した際の葛城ユキさん。最後まで舞台に立ち続けた…

《芸能リポーター・石川敏男の芸能界”あの出来事のウラ側は……”》

今から約30年前、『ボヘミアン』などのヒットを飛ばした歌手・葛城ユキさんが、6月27日に亡くなった。73歳だった。

高校時代はバレーボールの選手で、アタッカーとして国体にも2回出場。実業団から声がかかりバレーの強い有名企業に入ったが、身長が低いことでセッターに移動。

当時は“バレーはアタッカー”というのが世の流れ。それが嫌で会社も退社した。

元々歌手になりたかった夢を求めて音楽の道に進むことになった。反対する家族の意見も聞かず、家出のように岡山から大阪に。アルバイトをしながら音楽スクールに通った。

’73年に『ヤマハポピュラーソングコンテスト』に出場し、歌唱賞を受賞。その後『第5回世界歌謡祭』にも入賞。ヤマハの応援でデビューを決める。

そして、デビュー曲は『木曽は山の中』。数曲歌った後に『チャゲ&飛鳥』の飛鳥涼さんと井上大輔さんが提供した『ボヘミアン』の大ヒットに繋がっていく。

この曲は’83年のTBSドラマ『赤い足音』の主題歌になった。島田陽子、宮崎美子、三浦洋一さんらが出演していた。

それまでは、ニューミュージック系の歌を歌っていたが、この曲を境にロック系の曲に代わっていった。そんな彼女に不幸が訪れたのは、テレビのバラエティー番組だった。

’03年10月、『とんねるずのみなさんのおかげでした』(フジテレビ系)のコーナー企画『人間大砲』に出場した時、プールにしき詰められたウレタンのプールに顔から落ちてしまった。胸椎粉砕骨折、胸骨脱臼の重傷を負うことになる。

背中にチタンの支柱を埋め込む大手術を受けることになる。全く体を動かすことが出来ず、引退も覚悟したようだ。

しかし、’04年5月に復帰コンサートを開いている。’18年には、テニスのジャパンオープン決勝、錦織圭さんとダニール・メドベージェフさんとの試合前に国歌を披露するほど、元気になっていた。

料理が好きで、共演者らにお弁当やおかずを届けることも趣味だった。夢グループ主催の「歌合戦」の楽屋では、葛城さんの料理・おかずが大きな話題にもなっていたようで、彼女の“料理“を待っていたスタッフや出演者も大勢いた。

バスで全国を飛び回っていた葛城さんが、原発性腹膜がんのステージ4を公表したのは昨年4月。2回の手術を受けて、今年5月にステージ復帰したが、体調が悪化。葛城さんの意志で、自宅療養を続けてきていた。

最後のステージは6月17日。

「私の人生は感謝、感謝です」

と、ファンや関係者と最後の別れを告げていた。亡くなる3日前には恩師、学生時代の友人などに電話で連絡。「今までありがとう」と感謝を伝えたそうだ。

葛城さんは、

「自宅マンションで亡くなると周囲の方たちに迷惑をかける」

と話していたそうで、最期は病院のベッドだった。関係者に、

「救急車を呼びました。今までありがとうございました」

の連絡をしたのが最後だった。人気お笑いコンビ『阿佐ヶ谷姉妹』の渡辺江里子さんが、

《とある番組で光栄にもご一緒でき、名曲『ボヘミアン』をご本人の前で歌わせてもらった事、ご本人の唯一無二の歌声とロングトーンを間近で聴かせていただけた事、本当に忘れられぬ幸せな経験でした》

と、ツイッターでつぶやいた。歌手の中村あゆみさんも、

《デビューして葛城ユキさんと同じステージに立てた時の感動は私の宝物です》

とコメントを発表している。

後輩歌手たちの目標にもなっていた葛城さん。後輩たちに慕われた、律儀な彼女の『ボヘミアン』は、永遠に歌い継がれていくのだろうな…合掌。

  • 石川敏男(芸能レポーター)

    ‘46年生まれ、東京都出身。松竹宣伝部→女性誌記者→芸能レポーターという異色の経歴の持ち主。『ザ・ワイド』『情報ライブ ミヤネ屋』(ともに日本テレビ系)などで活躍後、現在は『めんたいワイド』(福岡放送)、『す・またん』(読売テレビ)、レインボータウンFMにレギュラー出演中

  • 写真共同通信

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