元サッカー日本代表が”市議”になっても「変わっていないこと」
44歳・GK 浦和レッズほか 浪人生活で生まれ変わった ゴールキーパーから「街の守護神」へ
ガンバ大阪、浦和レッズ、湘南ベルマーレと渡り歩き、250試合に出場。日本代表でもプレーした都築(つづき)龍太は、’15年からさいたま市議会議員として奮闘している。
「サッカーを引退した後のことは何も考えていませんでした。ところが’11年1月、所属チームがなくなり、ギリギリまで契約してくれるチームを探したのですが見つからず、これからどうしようと思っていたところに出馬のお話をいただきました。
準備期間は約2ヵ月。具体的なことが何もわからないまま出たから、案の定、落選。当時は志もなかったですし、右も左もわからない素人の自分が落ちるのは当然ですよね。いまだから言えますが、1度落ちて4年間浪人したからこそ、自分を百八十度変えることができた。そう思えば、落選も無駄ではなかった」
’00年代中盤の浦和黄金期にはJリーグ、天皇杯、アジア・チャンピオンズリーグ(ACL)など多くのタイトル獲得に貢献した。だが、’09年にドイツ人のフォルカー・フィンケ監督が就任すると、感情を表に出す性格が若手のプレーを委縮させるとメンバーから外された。後方から激しくチームメートに檄(げき)を飛ばし続けたのは「負けたら悔しいから」だった。
「言い方の問題はあったと思いますが、僕がケチョンケチョンに言い続けていたのは真剣な中でのパフォーマンスだったというか。自分のやってきたことに悔いはありません。もし精神的に守りに入っていれば、もっと早くに現役を辞めることになっていたと思いますよ」
初当選から7年が過ぎ、来春には3期目の地方選挙を迎える。
「議員の仕事は、道路の舗装とか、信号機をつけるとか、住民の要望を聞いて解決すること。サッカーと違ってそのこと自体は楽しくはないですが、自分がやろうとしたことが形になったときはやりがいを感じますよね。ただ、現在、さいたま市が進めているスポーツシューレ(大規模な滞在型総合スポーツ施設)という事業に関しては僕自身、納得していないところがある。さいたま市が進めているのはネットワーク型といって、たとえばホテルやグラウンド、体育館が1ヵ所にまとまっていないんです。それでスポーツシューレと言えますかね?」
熱く語る姿が現役時代と重なった。



『FRIDAY』2022年7月8日号より
取材・文:栗原正夫PHOTO:鬼怒川 毅