『私がオバさんになっても』で見せた作詞家・森高千里の天才的筆力 | FRIDAYデジタル

『私がオバさんになっても』で見せた作詞家・森高千里の天才的筆力

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ちょうど30年前のヒット曲をたどる連載、今回は1992年6月25日に発売された森高千里の代表作です。

ただし売上は、22.8万枚(オリコン)で、のちの『気分爽快』(94年、43.8万枚)や『二人は恋人』(95年、44.4万枚)の方が上回ります。

それでも、森高千里と言えば『私がオバさんになっても』となるのは、当時、心に刺さった歌詞の強烈さが、今でも忘れられないからでしょう。

「私がオバさんになっても」何も変わらなかった森高千里(写真:産経ビジュアル)

作詞はもちろん森高千里自身。記録より記憶に残る、作詞家・森高千里の筆力、腕っぷし。

とはいえこの曲、一見、コミックソングの顔付きをしています。カラオケの場でも、女性がこぞって半笑いで歌うことで、「ネタ消費」されていった記憶があります。

しかし、コミックソング的な皮をむくと、中から出てくるのは、切っ先鋭いナイフのような問題提起。

♪私がオバさんになっても 泳ぎに連れてくの?
♪とても心配だわ あなたが 若い子が好きだから

そして「老化で彼氏に見捨てられるかも」という自分の不安だけでなく、相手(彼氏)に向けてもナイフを突き付けるのが、この曲の凄み。

♪私がオバさんになったら あなたはオジさんよ
♪かっこいいことばかりいっても お腹が出てくるのよ

と、実に切っ先鋭いこの曲の中でも、もっとも鋭くキラリと光るのは、このフレーズです。

♪女ざかりは19だと あなたがいったのよ

女性の結婚適齢期のことを「クリスマスケーキ」と表す風潮が、まだ当時ありました。12月25日を過ぎて26日になると値段が一気に安くなるクリスマスケーキにたとえて、女性は25歳までに結婚するべきだと迫る風潮。

柴那典『平成のヒット曲』(新潮新書)によれば、この一節は「あるスタッフが実際に彼女(註:森高千里)の周辺で口にした言葉」なのだそうです。同書からの引用。

<――20代前半の森高にとって、仕事場にいるのは年上の男性がほとんどだったはずだ。「女ざかりは19」というのは何気ない会話の中の一言にすぎなかったのかもしれないが、しかし森高には聞き流せなかった。「女ざかり」とは何か。それを男性が年齢で勝手に決めるとはどういうことか。>

対して森高千里は、1989年発売の『写真集森高千里 りくつじゃない。』(講談社)において、自らの作詞術について、こう語っています。

――「しかも、私は嘘がつけない性分だから、たとえ、自分が書いた詞ではあっても、自分に合っていない詞とか、嘘を歌った詞とかは、ヒトから借りてきたっていう感じで、ノリがイマイチ悪い。悪いだけじゃなくて、顔にも態度にもそれが出てしまう。(中略)だから、やっぱり自分にいちばん近い立場で書いた詞を、自分にいちばん近い感性で歌おうと決めたわけ」

「女ざかりは19」と、森高千里の前でうかつに喋ってしまったスタッフにとって、「自分にいちばん近い立場で書いた詞を、自分にいちばん近い感性で歌」う森高は、少々相手が悪かったようです。

バブル時代のオヤジ社会を斬る作詞家・森高千里

作詞家・森高千里は、他の曲でも、約30年前のオヤジ社会を斬りまくります。

♪いいかロックン・ロールを知らなきゃ もぐりと呼ばれるゼ オレは10回ストーンズ見に行ったゼ
(『臭いものにはフタをしろ!!』1990年)

♪あいつはいつも飛んでる ハエ男 上司には すりすりすり手をすり
(『ハエ男』1993年)

少々話を大きくすると、バブル経済にぬくぬく守られてきたものの、バブル崩壊で突然ぐらぐら揺らぎ出した、マッチョなオヤジ社会の足場を、スッコーンと蹴っ飛ばしたのが、作詞家・森高千里によるこれらの歌詞でした。

肩パット入りのダブルのスーツを背負って、タバコ片手に上から目線で迫ってくるオヤジに対して、ミニスカートと美脚で目眩まししながら、切っ先鋭いナイフのような言葉を突き付ける孤高のヒロイン――作詞家・森高千里。

そんな森高千里の姿は、あの青島幸男に似ているのではないかと、当時指摘されたことがありました。

♪人生で大事な事は タイミングにC調に無責任
(ハナ肇とクレージーキャッツ『無責任一代男』1962年)

ある意味、バブルよりもバブルだった高度経済成長時代を支えていたものを「タイミングにC調に無責任」だと看破した、放送作家にして作詞家の青島幸男。そして、小林信彦が自著『日本の喜劇人』において「だれにも責任がないフシギな国のあり方へのメス」と評した、この曲が主題歌の映画=『ニッポン無責任時代』。

対して「平成の青島幸男」=森高千里は、「だれにも責任がないフシギなバブル時代へのメス」として、『私がオバさんになっても』を書いた。そう言えば、青島幸男も森高千里も、鋭い言葉を紡ぎながらも、決して湿っぽくならず、乾いた明るさを持っているのも共通点――。

作詞家・森高千里の筆力、腕っぷしを、今受け継いでいるのは誰かと考えると、私には、あいみょんの名前が浮かびました。

♪君はロックなんか聴かないと思いながら 少しでも僕に近づいてほしくて
(『君はロックを聴かない』2017年)

しかしこの曲、先の森高千里『臭いものにはフタをしろ!!』と同じく、男性が女性に対して「ロック」を語っているのですが、態度がまったく違う。『臭いものにはフタをしろ!!』のオヤジに対して、『君はロックを聴かない』の「僕」が女性を見る視線は、とろけるほど優しい。

時代は、少しだけかもしれないけれど、優しい方向へと向かっている。そんな変化に対する作詞家・森高千里の貢献は、決して小さくないと思うのです。

  • スージー鈴木

    音楽評論家。1966年大阪府東大阪市生まれ。bayfm『9の音粋』月曜日に出演中。主な著書に『80年代音楽解体新書』(彩流社)、『チェッカーズの音楽とその時代』(ブックマン社)、『イントロの法則80's』(文藝春秋)、『サザンオールスターズ1978-1985』(新潮新書)、『恋するラジオ』(ブックマン社)など。東洋経済オンライン、東京スポーツ、週刊ベースボールなどで連載中。新著に『EPICソニーとその時代』(集英社新書)、6月17日『桑田佳祐論』(新潮新書)が発売される。

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