安倍元総理死去「悲嘆に暮れた」昭恵さんと洋子さんの肉声 | FRIDAYデジタル

安倍元総理死去「悲嘆に暮れた」昭恵さんと洋子さんの肉声

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18年に日米首脳会談のためにアメリカに向かう安倍元総理と昭恵さん
18年に日米首脳会談のためにアメリカに向かう安倍元総理と昭恵さん

7月8日午後5時3分、心臓に達する凶弾によって安倍晋三元総理が亡くなった。死因は、銃撃による失血死だった。

奈良県立医科大学病院に駆けつけた昭恵さんは、それまで気丈夫に振る舞っていたが、変わり果てた夫と対面して緊張の糸が途切れ、ついに泣き崩れた。

「安倍は、もう政治は出来ない」

奈良に向かう直前、昭恵夫人は知人にそう言ったという。その時点で容態について聞いていたのかもしれない。その中で言葉を選びながら、絞り出したのだろう。夫人の声は小さく、震えていたという。

インターネットを駆使して情報発信した最初の総理夫人は昭恵さんだった。安倍後援会をはじめ自民党からは、第一次政権がわずか1年で退陣したことを心配し、昭恵夫人が表立つことを嫌ったのだ。しかし、時代を先取りした昭恵夫人のネット発信を、安倍元総理が諫めることは一度も無かった。

「この政権(第二次安倍政権発足後)で私は言いたいこと、やらなければならない政治を躊躇せずに推し進めていくつもりです。昭恵も、言いたいことを言い、やりたいことをやればいい。私が止めることはありません」

安倍元総理とファーストレディで「家庭内野党」の昭恵夫人は、まさに夫唱婦随で政権を運営してきたのだ。ファーストレディのネット戦略は、その後、安倍元総理にとっても無くてはならない政治戦略の大きなツールとなったのである。

一方、事件が速報された時、高齢者施設にいた安倍元総理の母・洋子さんは昼食の真っ最中に臨時ニュースを観ていたという。

「自分の息子が銃で撃たれたことは、すぐには理解できなかったようです。慌てた付き添いの人がテレビを消そうとすると、それを遮り、ニュースを見続けた。その後、声を出して泣かれていたそうです」(安倍元首相周辺)

洋子さんは1960年、父である岸信介元総理が池田勇人新総裁就任祝賀会場から出てきたところを暴漢に襲われ、このときも、父を心配して泣き叫んだという体験がある。総理大臣に登り詰めた我が息子がまさか凶弾に倒れるなどとは思ってもいなかったに違いない。安倍元総理のご冥福を心より祈りたい。

安倍元総理の母・洋子さん(14年撮影)
安倍元総理の母・洋子さん(14年撮影)
  • 撮影鬼怒川毅(安倍元総理と昭恵さん) 堀田喬(洋子さん)

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