すでに主導権争いが…銃撃事件翌日の「安倍家」で起きていたこと | FRIDAYデジタル

すでに主導権争いが…銃撃事件翌日の「安倍家」で起きていたこと

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7月9日、富ヶ谷の自宅マンションに入る昭恵氏
7月9日、富ヶ谷の自宅マンションに入る昭恵氏

「左胸とクビに弾丸が命中してですね……」

7月9日午後、東京・富ケ谷の高級マンションの3階。西村康稔前経済再生相(59)は、弔問にやってきた国会議員に向けて安倍晋三元総理の最期について、そう語っていた。

前日8日、安倍元総理は奈良で非業の死を遂げた。翌9日午後13時半、御遺体は長年暮らした富ヶ谷の自宅マンションに到着。マンションの2階が安倍元総理と昭恵夫人(60)が暮らした部屋で、3階が安倍氏の母の洋子さん(94)の部屋だ。洋子さんはガンを患い東京大学医学部附属病院に短期入院もしていた。闘病用にリフォームされたその部屋に安倍元総理の遺体が安置された。

14時頃、岸田文雄総理が弔問に訪れると、森喜朗元総理や小泉純一郎元総理など多くの政界関係者が訪れた。この9日は国会議員に限られた弔問となった。

ある弔問客は入室をして違和感を覚えたという。西村氏が昭恵夫人や母の洋子さん、弟の岸信夫氏(63)ら遺族の座る一角に座っていたからだ。清和会(安倍派)会長代理の塩谷立元文科相(72)も一緒にいたが、遺族席ではなく、少し離れた席に座っていたという。弔問客が匿名を条件に語る。

「事件当時、西村氏は地元の兵庫におり、すぐ奈良県立医科大学附属病院に向かった。霊柩車のあとに白のワンボックスカーが追走したが、それが西村氏の車です。事務総長で、他の幹部が参院選で手を離せないこともあり、西村氏が弔問を仕切る役となった。9日の弔問が国会議員に限られたのは西村氏の意向だが、財界からも弔問客が訪れ、岸氏の長男の信千代氏がマンションの前で何度も頭を下げていた」

9日、富ヶ谷のマンションに弔問に訪れた岸田氏
9日、富ヶ谷のマンションに弔問に訪れた岸田氏

この日は参院選の最終日でもあり、安倍派幹部の自民党東京都連会長である萩生田光一経済産業相や下村博文前政調会長は応援演説のために不在にしていた。弔問客が続ける。

「西村氏は安倍元総理の最期の様子の説明役だが、温厚な塩谷氏を差し置き、『安倍派の代表』のような顔をして立ち振る舞っていた。安倍派幹部が選挙で汗を流す中、派閥の先輩を差し置き独善的に振る舞う西村氏の姿に『(長幼の序を重んじる)武田良太前総務相が声を荒げた』という話も流れました」(武田氏は本誌の取材に「御遺族の前で声を荒げるような真似はしません」と否定)

100名近い国会議員を擁する清和会の会長は求心力のある安倍氏であるから維持することができた。安倍氏亡き後、衆目の一致する後継者は不在だ。

「当面、後任の会長を置かずに松野博一官房長官、世耕弘成参院幹事長、萩生田氏、西村氏、下村氏の5人による集団指導生体制で行く方針となりそうだ。塩谷氏は選挙区で敗れ、比例復活のために除かれる見込みだ

『ギュウちゃん』と呼ばれ、若手から支持を集める萩生田氏が一歩リードしている印象だが、故にベテラン組、他の候補が反発し、事態の収拾がつかない恐れがあり、集団指導生体制となった。安倍会長の求心力でまとまっていた派閥なので、混乱は避けられない」(清和会中堅議員)

NHK大河ドラマではないが、鎌倉幕府はカリスマ的な存在の源頼朝亡き後、有力御家人13人よる合議制を導入し、血みどろの権力闘争となった。「安倍殿の5人」による戦いの火蓋は切って落とされた。

  • 取材・文岩崎大輔撮影蓮尾真司

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