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病院を出て行くミスターの車 長嶋茂雄が、人生最後の奇跡を起こす

危篤状態から退院、田園調布の自宅に戻った

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12月13日14時前、病院を出るミスターのセンチュリー。テレビ収録など重要イベントの際に使われる特別車だ

最初に危篤説が流れたのは8月上旬だった。各メディアの巨人担当が田園調布(大田区)の自宅、球団事務所がある大手町(千代田区)、そして病院に集結したものの、ミスタープロ野球―長嶋茂雄(82)がもし本当に亡くなったとしたら何が起きるのか、測りかねていた。スポーツ紙巨人番記者が振り返る。

「とりあえず若い記者を資料室に走らせて古いネガを集めましたが……誰のコメントを取ればいいのか、どのくらいページを割(さ)くのか、判断つかなかったですね」

後に大手通信社の幹部が「長嶋さんの追悼原稿を用意している」と周囲に漏らしたことが憶測を呼び、危篤説に発展したと判明したのだが、その後も「松井秀喜が東京に長期滞在しているのは師匠のミスターが危ないからだ」「原辰徳監督が秋季キャンプ中に緊急帰京したのは球団から呼び出されたから」といった怪情報がメディアの間を駆け巡った。

だが、本誌は10月頭には、球団関係者からこんな証言を得ていた。

「ミスターは着実に回復している。体力が落ちているのでリハビリがしたいそうだ。『外の空気が吸いたい』と散歩を希望しているが娘の三奈さんが反対している」

ミスターは’04年に脳梗塞で倒れて以降、朝7時には家を出て、公園や自宅近くの坂を歩くことを日課としていた。お供は運転手と介護士。よほどの悪天候や病気のとき以外、欠かさず続けてきたのだが、6月30日を最後にストップしていた。胆石で入院したからである。

入院直後は黄疸(おうだん)が出たり、固形物が食べられなくなるなど、予断を許さない状態にあったミスター。年齢もすでに80歳を過ぎている。劇的な回復は難しいのではないか……そう訝(いぶか)りながら入院先を訪ねた本誌が見たのは、朝7時に日参するリハビリの相棒、運転手の姿であった。

「10月半ばには、病院の廊下を歩きまわっていましたよ。月末になると、心を許している介護士を病院に呼ぶようになりました」(前出・球団関係者)

やがて球団広報も病院に来るようになり、ついに「その日」がやってきた。

12月13日―レクサスで病院に通っていた運転手が、ミスターの誕生日「2月20日」から取ったナンバーの高級車・センチュリーで登場。普段より5時間以上も長く滞在した後、病院を後にしたセンチュリーの後部座席―ミスターの指定席には、立派な体軀の男が座っていたのである。以降、運転手と介護士が田園調布のミスターの自宅を毎朝、訪問する日々が戻ってきた。

「本当はツネさん(渡邉恒雄・読売新聞グループ本社代表取締役主筆)と一緒に12月10日の原辰徳さんの殿堂入りを祝うパーティに出席したかったみたいですけど、これも周囲が止めました。主役の原さん以上に目立っちゃいますしね。このまま自宅でのリハビリを続け、しっかり体力を回復させてから、来年2月の春季キャンプで現場復帰―というのが妥当な線じゃないか」(読売新聞関係者)

奇跡の復活ロードが始まった。

こちらは約3年前、自宅近くの坂道を歩くミスター。入院前は鉄の棒をスイングできるまで回復していた
  • 撮影齋藤雅昭(上)、島 颯太(下)

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