伝説の現役メイドが明かすアキバ“平成メイドカフェ・ヒストリー”
創業16年の老舗メイドカフェの「まほれ店長」「まゆみ副店長」が語る秘史:草創期、ブーム期、コンセプトカフェ~インバウンド対応まで
平成時代に東京・秋葉原は、電気の街からオタク文化の街へと生まれ変わり、メイドカフェと銘打つ常設店舗が登場した。最盛期には、入店待ちの行列がお店の前の公園を1周し、2005年には「萌え~」が新語・流行語大賞トップテンに輝いた。
ニッポンのポップカルチャーとしてすっかり定着したメイドカフェ。アキバのメイドカフェはどんな歴史をたどり、新元号により幕開けする時代をどう迎えようとしているのか。秋葉原で創業16年の老舗メイドカフェ〔メイリッシュ〕の「まほれ店長」(メイド歴は約14年)と「まゆみ副店長」(メイド歴約15年)にインタビューを行った。伝説として語り継がれる域に突入した今もなお現役のメイドさんとして活躍する2人が語るメイドカフェ草創期、変化、進化からアキバの未来が見えてくる?
テレビで紹介されたメイドを見て、客としてメイドカフェへ
――2人がメイドさんになったキッカケからお願いします。
<まほれ店長>:もともとコスプレが大好きで、コスプレ店員がいるマンガ専門の古書店チェーン「まんだらけ」などコスプレイヤーとして働ける場所で仕事がしたいなと思っていました。2003年にたまたま見た、経済ドキュメンタリー番組「日経スペシャル ガイアの夜明け 時代を生きろ!闘い続ける人たち」(テレビ東京系)で〔メイリッシュ〕のメイドさんが紹介されていて、面白そうだなと思ってお客さんとして行ってみました。当時の〔メイリッシュ〕は、店員さんがコスプレをして接客する時間と、クラシカルなロングドレスを着て接客する時間があり、さらにイベントも色々やっていたので応募しました。2004年のころで、秋葉原は、街としては、電気街が終わる夜8時には真っ暗になっていました。
――イベントはどんなことをやっていたのですか?
<まほれ店長>:〔メイリッシュ〕は、女の子がフリルのついたかわいいロリータ衣装などを着たりするだけでなく、萎(な)え系のイベント(*「萎え」は「萌え」の対義語として使用される用語)、例えば、メイドさんが特攻服を着てリーゼントにするヤンキーデイや、アフロヘアにして仮装をするアフロデイなどをガンガンやっていました。これらは今でもやっています。毎年やっているエイプリルフールネタとしては化石メイド(動物の皮をまとった古代人の仮装)なども。アキバには当時、メイドカフェは10軒あるかないかくらいだったと思いますが、面接のときに、「フリフリとヤンキーを一緒にやってしまうお店が〔メイリッシュ〕だけなので応募しました」と言った記憶があります。
――まゆみさんは、2004年1月に〔メイドカフェぴなふぉあ〕(以下、ぴなふぉあ)に入店し、そこで10年9ヵ月メイドさんをしたあと、〔メイリッシュ〕に移籍し4年2ヵ月になります。〔ぴなふぉあ〕に応募したキッカケは何だったのでしょう?
<まゆみ副店長>:私はプレアイドル(今でいうところの“地下アイドル”)をやっていて、メイドさんになる前は、巫女さんのアルバイトをしていました。当時は、ネットアイドルが大人気だったのですが、プレアイドルの仲間の子から「ネットアイドルの子がメイドカフェで働いている」と聞いたので、〔Lamm〕さんという現在は閉店してしまったメイドカフェに行ってみました。そうしたら、プレアイドルのイベントにいつも来ているお客さんがたくさんいました。メイドさんになれば、プレアイドルのライブの宣伝もできるし、プレアイドルとしてファンを増やすことができるのかなと思って応募しました。
コスプレイヤーがメイドとして働いた草創期
――そこから約15年、今でも現役でメイドさん続けているわけですね。
<まゆみ副店長>:プレアイドルの集客のために始めたメイドさんですが、途中から、メイドさんというポジションが心地よくなりました。というのも、私はアニメヲタクなのですね。メイドさんはもともと、ゲームやアニメにキャラクターとして登場することが多く、私はコスプレイヤーではないのでコスプレには詳しくないのですが、90年代にはコスプレブームもあり、メイドさんが、キャラクターの中のひとつのカテゴリーという枠を超えて、独立して注目されるようになっていったと感じています。
アキバでも90年代の後半に、メイドさんやウェイトレスなどにフォーカスした期間限定の店舗イベントなどがゲームのプロモーションのために開催されていました。メイドカフェをうたった常設店舗という意味では、現存する中では、2001年に〔CURE MAID CAFÉ〕(キュア メイド カフェ)と〔ひよこ家〕が、2002年に〔メイリッシュ〕が、2003年に〔ぴなふぉあ〕が、2004年に〔JAM Akihabara〕と〔@ほぉ~むカフェ〕がオープンしています。
そんな経緯もあって、草創期のメイドカフェは、ゲームやアニメのヲタクが集まる場所という傾向が強かったです。メイドカフェだと、ヲタクのお客さんとたくさんお話をすることができますし、ゲームやアニメの熱烈なファンというヲタクのままで働くことができました。当時の〔ぴなふぉあ〕の制服はサーモンピンクのワンピースにホワイトのピナフォアエプロンというすごくかわいい洋服でした(*「ピナフォアエプロン」は、西洋のエプロンの形式のひとつで、胸当てや袖なしスタイルなどが特徴)。カラフルなメイド服をレギュラーの制服にしたのは〔ぴなふぉあ〕が初めてなのですが、当時は、メイドさんの制服としては「黒」、「紺」、「茶」の3色のうちのどれかであろうという意見もあったそうです。ところが、〔ぴなふぉあ〕がピンクにホワイトの制服をうち出したので、界隈から相当ブーイングをくらったそうです。
――今ではメイドさんの制服もバラエティに富んでいますね。ヲタク自体も一般化、かつグローバル化して、ファミリーレストランでヲタクグッズを広げてヲタクトークに花を咲かせていても不審な目で見られることはほとんどありません。が、当時、ヲタクは、まだまだ“特殊な存在”として見られていたのですか?
<まゆみ副店長>:当時は、ブログが流行り始めた時代で、SNSはまだなかったのですが、ヲタクの女の子にとっては、ヲタク友達と出会う機会がほとんどありませんでした。なので、「メイドさんとヲタク仲間として友達になることができるから」という理由で、ヲタクの女の子がメイドさんに応募してくるケースも多かったです。
お客様は「旦那様」?「ご主人様」??
――そこから、アキバのメイドカフェが話題になり、“メイドカフェブーム”が始まったといわれる2005年には「萌え~」が新語・流行語大賞のトップテンに輝きました。お店の様子はどうだったのでしょう。
<まほれ店長>:コスプレイヤーだった私から見ると、草創期のメイドカフェは、コスプレイヤーたちがメイドさんとして働いていて、コスプレイヤーのファンの方たちがお客さんとして来ている様子が印象的でした。そこから、本格的なクラシカル路線のメイドカフェや、萌え系のメイドカフェへと分岐していったのかなと感じています。老舗のメイドカフェの中には、従業員の女の子たちのキャラクターを前に出さないお店もありますが、〔メイリッシュ〕は、アキバのメイドカフェでは初めて、女の子の顔をホームページにずらっと並べて、メイドさんのグッズの販売も始めました。「ガイアの夜明け」で紹介されたこともあり、そこから色々と変わっていきました。
ただ、〔メイリッシュ〕は、お客様は「旦那様」(男性)、「お嬢様」(女性)と呼び、「ご主人様」とは呼ばないのです。「ご主人様」と呼んでしまうと、主従関係が生まれてしまいますので。初期のころは、〔メイリッシュ〕に限らず、どこも「お帰りなさいませ」は言わず、普通に「いらっしゃいませ」だったと記憶していますが、こちらは要望に応えるかたちで、〔メイリッシュ〕でも、「お帰りなさいませ、お嬢様」と言うようにしました。
〔メイリッシュ〕はお店が2階にあるのですが、ブームのころは、お店に来るまでの階段には必ず入店待ちのお客様が並んでいました。「コードギアス 反逆のルルーシュ」、「ローゼンメイデン」、「STEINS;GATE」(シュタインズ・ゲート)などのアニメとコラボをしたのですが、コラボイベントをした中で一番すごいときは、入店待ちの長蛇の列の最後尾が、階段を下りた先の通りをずっと進んでさらにそこから左に折れ曲がった場所にある公園のところまで伸びていました。だいたい50メートルくらいでしょうか。
「電車男」のロケ地になって空前のブーム!
――〔ぴなふぉあ〕は、テレビドラマ「電車男」(2005年7月~放送。出演:伊藤淳史、伊東美咲)のロケ地にもなりましたね。
<まゆみ副店長>:ブームの前から、〔ぴなふぉあ〕が紹介されたブログ記事を見て来てくれるお客様が増え始めていましたが、「電車男」のころは、入店待ちのお客様の列が、多いときには、お店の前にある公園をぐるっと1周していました。〔ぴなふぉあ〕はガラス張りになっていたため店内が見えたのですが、入店待ちのお客様がみんなメイドさんを眺めていて、水族館状態でした(笑)
どこまでをメイドカフェと呼ぶのかという定義にもよりますが、いわゆる喫茶店として営業していたメイドカフェは、ブームのころは、15から20くらいはあったのではと思います。ただ、秋葉原がオフィス街として大きな街であるいっぽう、メイドカフェを含めた飲食店の数自体が少なかったです。ブームのときは毎月のようにメイドカフェを紹介する企画本が出版されていましたが、ごはんを食べられるお店の数が少ないうえに、メディアであれだけ取り上げられれば、入店待ちの行列ができることは当たり前ではありました。
――ブームが去ったあとはどうなのでしょう?
<まほれ店長>:かつてはアニメ好きの人が集まる場所だったのですが、ブームでアニメ好きの人以外の方もメイドカフェに来るようになりました。さらに、クールジャパン政策の目玉として「ジャパニメーション」が脚光を浴び始めたころから、メイドカフェにはさらに一般化しています。お店によっては、2020年の東京オリンピック・パラリンピックを見据えて、海外の方をターゲットに接客に力を入れているところもあります。お店は生き物なので変化はしますが、ブームが終わったあとに閉店してしまったメイドカフェもあります。〔メイリッシュ〕は、いつでも帰ってくることができる憩いの場所として、ずっと残していきたいです。
<まゆみ副店長>:ブームという点では、今は、メイドカフェというよりは、コンセプトカフェに流れてきています。その中でも、ガールズバー的なお店のほうが今は流行っているように感じています。ただ、メイドカフェがガールズバーになってしまうと、客層が限定され、ファミリーで来ることができなくなります。メイドカフェは、ファミリーが安心して楽しめる場所であってほしいです。
東京オリンピック・パラリンピックという点で言えば、2020年に「メイドカフェに行ってみようか!」とノリで来た外国人の方が、また何年後かに日本に来たときに、本当に「お帰りなさいませ」とお迎えできる場所であってほしいです。
メイドカフェで受験勉強? “おいしくなるおまじない”の起源!?
――メイリッシュのようなメイドカフェは「従来型」などと呼ばれるのですか?
<まゆみ副店長>:う~ん、どうでしょう。でも、「喫茶店型」と呼ばれることはあります。「喫茶店型」もなにも、そもそも、喫茶店なのですが(笑) メイリッシュはチャージ代も発生しませんし、“お通し”もありません。たまに、「メイリッシュに行ったら受験勉強している人がいたんだよ、おかしくね?」と言われたりします。「いや、おかしくないですよ。そもそも喫茶店なので」という感じです(笑) メイドカフェと銘打つところでも、色々なタイプのお店があるので、事前に調べてから行かないと、求めるお店にたどり着けないことはあると思います。
――メイドカフェの歴史についても教えてください。メイドカフェといえば、メイリッシュのメニューにも載っている「お絵かきオムライス」を思い浮かべる人が多いですね。
<まゆみ副店長>:「お絵かきオムライス」は、秋葉原の隣の湯島にあった「Anise seed」(アニスシード)が発祥です。2003年くらいではと思いますが、「2,000円のオムライスが始まったらしいぞ!」とメイドカフェ界隈で話題になりました。アニスシードのレシピがJAM Akihabaraに受け継がれていますので、秋葉原では、JAM Akihabaraが“元祖”です。
――ドリンクやフードなどにメイドさんが「おいしくな~れ、萌え、萌え、きゅん」とおまじないをかけてくれる“おいしくなるおまじない”も有名です。“おいしくなるおまじない”は@ほぉ~むカフェのメイドさんのhitomiさんが考案したもので、“おいしくなるおまじない”を具現化する直接のキッカケは、hitomiさんの著書「たった7坪のテーマパーク」の中で、ドリンクに投げキッスをしたら評判がよかったからと紹介されています。「萌え、萌え、きゅん」を初めて見たときはどう感じました?
<まゆみ副店長>:hitomiちゃんの“おいしくなるおまじない”が生まれるまでのエピソードを、ぜひ、知っておいてほしいです。hitomiちゃんは、どこかに出かけたときに、おばあちゃんから「愛情をいっぱい込めといたからね、ポン、ポン!」と言ってもらったことが嬉しくて、自分も愛情を届けられるようになりたいと思い、苦労に苦労を重ねて試行錯誤した結果、「おいしくな~れ、萌え、萌え、きゅん」という“おいしくなるおまじない”が誕生しました。そのエピソードを知るまでは、「何やってんだ、これ?」と思っていましたが(笑) 大切なのは、“愛を込めたい”、“愛を届けたい”という、パフォーマンスの中に流れている心なのだなと思いました。なので、テキトーなノリでやっている方を見ると、違うんだけどなと……。
階級意識の強い国ではメイドカフェは成り立たない
――アキバでは、メイドさんどうしの交流もあるようですね。
<まほれ店長>:店長という立場もあり、私は他店さんと連絡を取り合う機会が多いです。今は、メイドカフェブームも落ち着き、昔と違って、制服交換をしたり、コラボイベントをしたりなど、お店どうしの交流を積極的に持つ流れになっています。ブームのときは、「他店はライバル」という意識が強かったですし、何より、どこも自分たちのお店を回すだけで精いっぱいで、お店どうしでコラボをする余裕などありませんでした。
<まゆみ副店長>:メイドカフェが好きで、お客さんとして巡っています。アキバには、キャリアが10年を超えるメイドさんがけっこういて、そういう人と話すとだいたい昔話になるのですが、「今だから言うけど、〔メイリッシュ〕さんみたいに、女の子の顔写真をホームページに載せて、女の子を前面に押し出すやり方は、メイドカフェとしてどうなのだろうと思ってた」とか言われることもあります(笑)
――そんなお話もされているのですね。お客さんの立場なら、10年後に来ても同じメイドさんが迎えてくれるのは嬉しいでしょうね。
<まほれ店長>:そうですね。ここ数年、秋葉原では、創業10年を迎えたメイドカフェが増えてきました。同時に、10年がひとつの節目になるのでしょうか、このところ10年のキャリアを持つメイドさんの卒業が多いです。
<まゆみ副店長>:私の夢はアキバでメイドカフェが30年続いて、お客さんに親子3代に渡ってメイドカフェに来てもらうことです。お客さんの立場で考えると、長く働いていたメイドさんが卒業してしまうことは寂しいので、今は、「だったら、私が長くいる存在になろう!」と思っています。
また、日本は平和だからメイドカフェが成り立つのだと思います。外国に目を向けると、階級意識の根強い国では、メイドは、使用人として、主従関係や支配構造の中で辛い思いをしています。その事実を見たときに衝撃を受けました。「メイドカフェが本物のメイドに貢献できる日が来たらいいな」と思っています。いつか、何かをすることができればと思っています。
――貴重なお話をありがとうございました。最後に、メイドカフェを楽しむ秘けつを教えてください。
<まゆみ副店長>:たまに「メイドさんとお話しすることができなかった」と言われることがあります。メイドカフェは喫茶店なので、本を読んだり、受験勉強をしたりなど自分のやりたいことに集中するために来ている人もいます。なので、メイド側には、「話しかけたらいけないのかな」という遠慮があります。メイドさんと話してみたい方は、メイドさんが近くに来たら、やさしく手を振ってくれるといいなと思います。例えば、巫女さんを“ガン見”したら怪しまれますが、メイドさんならいくらでも見ることができます。経験上、ゴリゴリに自分から話しかけるよりは、笑顔で優しく手を振ってくれた方が、メイドさんから話しかけてもらえることが多いような気がしています。
<まほれ店長>:ブームのときに比べたら、お給仕をする人数にも限りがありますので、長時間、お客様とお話することができないケースもあると思います。10年以上前に発行されたメイドカフェを紹介する本もメイリッシュの本棚にはたくさんありますし、電源もありますし、Wifiもありますので、お仕事でも、勉強でも、自分のやりたいことを見つけて楽しんでいただけたらと思います。メイリッシュが合わないと思ったら、他のメイドカフェを試してみて、自分に合うお店を探すこともできます。アキバのメイドカフェは多様化していますので、そのときの気分に合わせてメイドカフェを選ぶこともできます。ぜひ、アキバに来たら、メイドカフェで楽しい時間を過ごして頂けたら幸いです。
気さくにインタビューに応えてくれたまほれ店長とまゆみ副店長だが、2人が語るメイドカフェの歴史がそのまま、平成時代のアキバの歴史になっていた。ひとくちに「メイドカフェ」といっても、様々なタイプのお店があり、中には、メイリッシュのように「ご主人様」がNGの店舗もあるそうだ。平成が終わり、新元号とともに幕を開ける新時代に、メイドカフェがどんな未来をたどっていくのか。それをご自身の目で確かめるためにも、アキバに行ったらぜひ、メイドカフェをのぞいてみてほしい。
- 取材・撮影・構成:竹内みちまろ