優勝候補に完敗…でも下を向かなかった進学校明八野球部の夏 | FRIDAYデジタル

優勝候補に完敗…でも下を向かなかった進学校明八野球部の夏

明八野球部物語最終回

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〈憧れの地にあと一歩届かない。都内でも指折りの進学校ゆえ、制約された環境ながら、それでも本気で甲子園を狙う男がいる。明大中野八王子野球部監督・椙原貴文。彼の葛藤と苦悩、生徒たちの心身の成長を追った、密着300日のドキュメント〉

熱戦が続く第104回全国高校野球選手権大会。地方大会を勝ち抜いた、わずか49の高校だけに許される夢の聖地。私学の競合がひしめく西東京で切願の甲子園初出場を目指した明大中野八王子高校は、プロ注目のエース・鈴木泰成を擁するなど、総合力では東東京も含めて東京一と評価されていた東海大菅生高校の前に5回コールド負けという、力の差を見せつけられる形で22年の夏を終えた。

監督の椙原貴文にとって、指揮を任されてから7度目の夏。球児たちが最高に輝ける舞台で、明八ナインはどんな野球、成長した姿を見せたのか。

いざ初戦!

初戦の穎明館戦直前の選手たち
初戦の穎明館戦直前の選手たち

夏の初戦、2回戦の穎明館高校との試合を2日後に控えた7月8日。八王子市にある明大中野八王子球場からは、活気のある声が幾重にもなって響いていた。期間中の睡眠時間は3時間ほどで、定期試験が午前中に終わったばかり。だが、このチームが結成された21年秋とは比べものにならない、勢いのある、かつ実戦に即した言葉たちが、生徒の成長と、決戦が迫っていることを報せてくる。

「1点、1点、この1点だぞ!」

「それ、試合でやるぞ!気持ち、緩めるな!」

6月に入ったあたりから、椙原が生徒を叱責する回数も減っていった。

「生徒個々とやりとりしている野球ノートを見ても、こっちが言っている意味がわかってきたなと感じさせる内容になってきました。キャプテンの保坂修也も不器用ながら、なんとかしようとしてくれています」

練習内容も試合で勝ち切るために必要な考え、プレーに重きを置いたものに切り替わり、オープン戦でも神奈川の強豪私学なども含め、勝利を重ねるようになってきた。

椙原も夏の心構えを説いていく。

練習でナイスプレーが出ると、すかさず言葉を飛ばす。

「今の仲間のプレーを自分のことのように喜べたか!誰かにミスが出たら、どれだけ強く取り返してやろうと思えるかだぞ。夏はこの繰り返しだからな!」

チームメイトのプレーに反応できていない生徒がいれば語気を強めた。

「自分のことで精一杯か!傍観者になるな!」

そして、自分から表現することを求めるのだ。

7月8日の締めに行ったのは、ランナー1、3塁でのセーフティスクイズの練習。メンバー入りした野手全員が一発で決めて終わるようにとプレッシャーをかけた。

成功するごとに、まわりの仲間も声を上げて盛り上がる。四方悠介も重圧をはねのけて期待に応え、1塁ベースに達すると安堵する。しかし、椙原は声を張り上げる。

「自分で発信しろ!なにもつかめないぞ!」

仲間を巻き込んで感情を出せ。一緒に喜べ。明八は全員が束になって相手に向かっていくんだろ。

全員成功とはならずに椙原は練習終了を告げたが、失敗した菅原瑞紀が一歩前に出る。

「椙原先生、もう1回やらせてください!」

その心意気を買った。菅原も今度は決めてみせた。キャプテンの保坂もミスをしていた。

「自分もお願いします!」

「おまえの姿勢が、チームの姿勢を決める!この一球が夏を決めると思うぜ!」

「ハイッ‼」

21年夏、チーム始動当初、自分はキャプテンに向いていないと話し、悩み続けてきた保坂がチームの命運を背負う覚悟で打席に入る。

1球で見事なバントを成功させると、ナインが集まり、輪になって歓喜する。

夏の大会でも、生徒たちは「どんなときも盛り上がろう」と決めて、臨んだ。

練習を重ねた積極的な走塁が突破口を開いた

初戦から応援席にはブラスバンドも入った
初戦から応援席にはブラスバンドも入った

穎明館高校との一戦、先発ピッチャーの渡辺晴登が4者連続三振という好スタートを切ったが、次打者にヒットを許すと二死後にタイムリースリーベースヒットで1点を先制される。直後の2回裏に同点に追いつくが、続く3回裏の攻撃では先頭の小薗卓也がヒットで出塁、次打者の初球に盗塁を試みるも緊張からかスピードに乗れずにタッチアウト。やはり、これが夏なのだ。生徒たちの硬さは思うように取れていかない。

そんな中、仲間を引っ張ったのは四方だった。

4回裏、ヒットで1塁に出ると、椙原のサインに呼応してスタートを切る。バッターの進藤正太郎はバットを寝かせる。バンドエンドラン。進藤はきっちりピッチャー前に転がすと、四方は走りながらピッチャーの動きを確認、スピードを落とさず2塁ベースを蹴る。

四方が、夏を駆ける―――。

懸命な形相で一気に3塁を狙う四方に気づいたスタンドの観客が、歓声を上げる。

四方が3塁に滑り込む。ファーストが投げた球をサードがタッチ。タイミングは際どい。判定はセーフ。四方がチームを鼓舞する。ベンチの仲間が、ブラスバンドも駆け付けた明八応援席が、一気に湧き上がる。

練習で培ってきた、明八の積極的走塁。四方は手術した右肩の回復が思わしくなかった。守備での送球不安が拭えず、その苦悩は得意のバッティングにも悪影響を及ぼした。それでも自分がチームのためにできることを臆せず体現した。

ナインに覆いかぶさっていたなにかが吹き飛んだ。続く福丸貴之は初球を打って出る。打球は鋭くレフトへ飛んで勝ち越すと、その後、二死3塁となって篠崎惠友が絶妙のセーフティバントを決めて3点目を奪う。明八らしい攻撃で主導権を握った。6回表には一死からのエラーを起点に同点に追いつかれ、なお2塁にランナーを置いた局面で渡辺に代わって羽田康太郎がマウンドに登る。21年夏に負った大怪我により、そこで高校野球が終わってもおかしくなかった羽田が、エースナンバーを背負って夏のマウンドに立った。スタンドには羽田の中学時代に所属したチーム関係者、後輩の姿が多く見られた。

このチームになって初の公式戦登板。羽田が対する最初の打者はセンターライナーに打ち取るも連続四球で二死満塁。伝令でマウンドに走った中村立希が羽田の体を叩いて気持ちを入れる。羽田は次打者を渾身の一球で見逃し三振に取り、仲間のミスで始まった危機を見事に救った。

そして、最後は篠崎が決勝タイムリーを放って勝ち切った。

優勝候補筆頭との戦いへ

ミスもあった。椙原は「夏の怖さを改めて痛感した」と振り返ったが、生徒たちのコンディションは、ここから上がるのみ。優勝候補筆頭の東海大菅生との次戦に向け、椙原は決断する。大きなリスクがあることを承知の上で、勝負手の断行を。

善戦ではなく、あくまで勝利するために。

決戦は、雨の影響で2日延びた。十分に練習できるわけではないが、少しでも時間が欲しい明八にとっては恵みの雨か。その間、椙原の決心が揺らぐことはなかった。

東海大菅生戦。この日も多数の声援を受けた
東海大菅生戦。この日も多数の声援を受けた

椙原が先発マウンドに送ったのは、公式戦初登板となる右サイドスローの田村響。ストレートの球速は120㎞/hほどだが、変化球のコンビネーションとマウンド度胸の良さで春以降、存在感を発揮してきた。オープン戦では打ち込まれる試合もあったが、ハマったときは強豪校相手に打ち損じの山を築いた。

結果の良し悪しが極端だったが、東海大菅生のような高校が日頃、対峙することが少ないであろうピッチャー。シード校の東海大菅生にとっては夏の初戦であり、平常心でいられるとは限らない。田村で崩して、渡辺らで繋いで、最後は羽田に託す。その継投策は、決して単なる思いつきではない。打力のある高校には、その継投が功を奏するのではないかとにらみ、オープン戦で何度も試してきていた。それが最善との判断だった。

奇襲、実らず

果たして結果は、過酷だった。

田村は普段のように制球ができずに2四死球で交代。継いだ渡邊純真も東海大菅生打線の圧力に耐えられずに、初回から羽田を投入せざるを得なかった。しかし一度、勢いがついた打線は容易に抑えることはできない。東海大菅生のスコアボードには1回裏から7、2、3、3と並んだ。

初回からエース羽田を登板させる苦しい展開に
初回からエース羽田を登板させる苦しい展開に

打線も東海大菅生のエース・鈴木の前に5回1安打と沈黙させられた。1回表に2番の菅原が左中間に弾き返し、2塁を陥れてチャンスを作ったが、3番の渡辺が三振。4番に入った進藤に東海大菅生バッテリーはインコースを厳しく攻めてくる。進藤も引くことなく踏み込んでいく。鈴木の手元が狂い、デッドボール。5番の四方に期待が集まる。

だが、三振。主導権を奪うことができなかった。

その後は大量得点で楽になった鈴木に圧倒された。この試合でも最速で145㎞/hを記録するなど、昨秋以来の公式戦の登板であることを感じさせない140㎞/h前後の快速球、効果的に混ぜるフォークに対応できなかった。

完敗でも、下は向かない

5回コールドで夏が終わった
5回コールドで夏が終わった

0対15、5回コールド負け。

完敗だった。

だが、明八ナインの中に下を向く生徒はいなかった。最後まで、誰一人、目を伏せることなく、明八のユニフォームの誇りを守った。

険しい状況でも頼もしかったのは、やはり3年生だった。椙原の教えを見事に披露した。菅原は初回に2ベースヒットを放った後、塁上で腰を何度かクネらせて、ベンチを盛り上げた。

相手がどんなに強くたって、俺たちがやってきたことをやろうぜ。

そんなメッセージに映った。

菅原は1年生の秋にレギュラーを獲得したものの、その後は出番を減らし、今チームでもずっとスタメンから外れていた。冬場の椙原との面談で自分の取り柄について聞かれても「自分にはありません。打率がいいわけでもないですし、足が速いわけでも、守備がうまいわけでもないです」と否定的な言葉しか出てこなかった。それでも「人には個性がある。野球にも個性がある。バントができるでもいい。元気があるだけでも違うぞ。それがチームにとって必要になるぞ。下手でも歯を食いしばってやることで、まわりが動くんだろ」と背中を押され、腐ることなくやってきたことで、この夏の2番セカンドのスタメンを勝ち取っていた。

2回裏、二死2塁のピンチの守備でも、ピッチャー強襲の当たりをすくい上げると間髪入れずにサードへ送球。3塁をオーバーランしていた2塁ランナーを刺して羽田を、チームを救った。ワンサイドゲームになっても気持ちを切らさず、自分を信じて積極的なプレーを貫いた。

四方もチームへの強い想いを抑えきれなかった。2回裏、相手先頭打者の打球はサード進藤へのボテボテのゴロ。進藤は素早い処理でファーストの四方に球を送った。が、右に逸れる。四方は捕りに行くのを一瞬、躊躇したように見えた。バッターランナーと交錯する可能性が高いのがわかったのだろう。それでも体を左に寄せてファーストミットを持つ左手を伸ばした、みんなの1つのアウトを取りたくて。

打者と激しくぶつかり、その勢いのまま後頭部をグラウンドに強く打った四方の高校野球は、ここで終わりを迎えた。後遺症の心配などはないというが、その前後の記憶が戻らない四方には区切りの実感が、わいてこない。だがしかし、その姿を仲間は忘れないし、その想いを後輩たちが受け継いでいく。

この試合ではスタメンを外れた保坂、副キャプテンの中村も「大丈夫だ!」「ここから!」と支え続けた。

代打・キャプテン保坂のフルスイング
代打・キャプテン保坂のフルスイング

最後の攻撃となった5回表。一死から中村、保坂が続けて代打に送られたが、快音を鳴り響かせることはできなかった。それでも保坂は言い切った。

「悔いの残らいないスイングをしようと思って打席に入り、それができました。僕らは挑戦者で『やってやる』という思いでしたし、やってきたことをやろうと焦ることもありませんでした。初回に7点を取られてもチームに諦める雰囲気はなかったですし、戦う姿勢は変わらず前を向いていました。もちろん負けたことは悔しいんですが、菅生の選手は技術だけでなく、野球にかける熱量もすごい。負けた相手がそういうチームで良かったとも思います。

結果で応えることはできませんでしたが、最後まで一生懸命、泥臭くやる。先輩たちから受け継いだ伝統は守れたと思います」

椙原の喜びと後悔

椙原も生徒たちをこう評価する。

「勝ち負けのあるスポーツで、これで良かったという人はいないかもしれませんけど、最後まで向かっていってくれたことが1番、嬉しかったです。あれだけの劣勢になっても最後まで笑顔でやり切る。それが伝わってきました。やっぱり3年生なんだなと感じました。1、2年生は、自分たちも同じようにやれるかなと思ったはずです。

この1年の途中ではどん底の状態もありました。でも、私に厳しいことを言われても、彼らは耐えた。不器用で表現が下手でも一生懸命やってくれた。どんなことがあってもひたむきに前に進んでいこう、自分たちがやってきたことを出そうという意地を見せてくれた。この野球部に、新しく残してくれた財産です」

3年生たちに感謝する一方で、心残りを晴らすことはできないままなのかもしれない。

「教えたいことのうち、伝えることができたのは2割程度です。なんのために明八に来たんだと思っている生徒もいるかもしれません」

まさにコロナに苦しめられた1年だった。もともと練習時間が限られる中、じっくりと指導できる休み期間も夏は生徒を半分に分けての半日練習。冬は「完結」をテーマにキツいフィジカルトレーニングを乗り越えたが、直後に部活動停止。その成果を先に繋げることができなかった。椙原が「うちは夏に強い」と言い切る最大の根拠となる、春の大会以降に行う、学校施設を使っての毎週末の合宿も22年は断念せざるを得なかった。

夏の大会が近づいたころ、椙原がフッと漏らした。

「あと1ヵ月あったらな」

どの監督も、気づけばそんなことを考えているのかもしれない。コロナ禍で練習時間が制限され続けてきた、この3年生世代にとっては、なおのことだろう。

「やっと1つ光明が見えてきたところだったので。もう少し野球をやらせてあげたかったし、いいところを出させてあげたかった。ここまで頑張ってきた3年生を見てきただけに、乗り越える経験をさせたかった。例年のように一気に伸びる時期を味わわせてあげられなかった。悔いが残ります」

特に椙原のように、野球以上に人間形成に重きを置く監督には苦しい期間だったに違いない。

椙原にとって譲れないもの

「もちろん勝ちたくて野球をやっていますし、勝つのが目標です。でも、目的ではありません。真剣にやるから人は動く、応援してくれる。こいつのためにと思ってくれる。それは社会でも、どんな組織でも同じだと思うんです。自分がしたことで人が喜んでくれる。助けることができたと感じられる。

人前に立ったり、責任を取ったり、本当の意味での格好良さとはなにか。そういうことを感じて、わかってもらいたいんです。人間力を土台にして、また次に輝ける場所で勝負してほしい。そんなことをやっていても勝てないじゃんと言われる方もいるでしょうが、そこだけは譲りたくありません」

椙原の想いは生徒たちに、確かに届いている。保坂は敗戦の数日後、1つ年上の先輩・河野壮希に食事に誘われた話とともに、椙原ヘの感謝の気持ちを次のように話した。

「河野さんが『おまえ、人として成長したよな。スタンドは、みんな、おまえが打席に立つのを待っていたよ』と言ってくれたんです。関わりの深い先輩に、野球の技術よりもわかりづらい、人間的な成長を認めていただいたことが本当に嬉しかったです。椙原先生には本当にたくさんのことを教えていただきましたが、野球の技術以上に、人として大切なこと、生きていく中で必要なことを学んで、自信を持てるようになりました。

人前で話せるようになりましたし、新しいことを始めるとき、これまでは失敗したらどうしようだったんですが、今は自分の力でやれると考えられるようになりました。野球を通して人間的に成長できました」

困難の尽きない高校野球生活だったかもしれない。そんな中でも、一瞬、一瞬をかけがえのないものとして生きたから、手にできた財産がある。3年生は次のステージを歩くために、胸を張って明八球場を去る。

1、2年生は敗戦の翌日から新チームを始動させた。なにも知らない太陽は容赦なく、生徒たちを照らす。大粒の汗が滴る。厳しいトレーニングに足元がおぼつかない。しかし、この程度で下を向いていられない。そのことを、後輩たちは知っている。

明八野球部と、椙原の物語は続いている。

  • 取材協力鷲崎文彦

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