仙台育英・須江監督「試合経験ない裏方が全国制覇できた」涙の背景
「オレがやる……」
泣きながら手をあげた。東北勢として甲子園で初優勝を成し遂げた仙台育英(宮城県)の須江航(すえ・わたる)監督(39)が、同校2年の時だ。仙台育英では各学年から1人、選手を辞めて学生コーチにならなければならない。誰も立候補する人間がいないので、須江氏が手をあげたのだ。
優勝決定後のインタビューで、須江氏は報道陣に当時をこう振り返っている。
「(高校時代)1試合も出たことがないどころか、練習(に参加)したこともほとんどありません。私の実力が足りなかっただけですが。でも、どうすれば試合に出られるのか、方法や目的を知りたかった」
当時の悔しい思いが、須江氏を一流の指導者に育てあげた。高校時代の恩師・佐々木順一郎監督に誘われ、06年に系列の秀光中の軟式野球部監督に就任。部員の飲酒や喫煙が発覚し佐々木氏が辞任し、急きょ母校の監督となったのは17年だ。
「『補欠中の補欠』を自認する須江さんは、情報科の教師でもあります。あらゆる角度からデータを収集。どうすれば実力が劣る選手が試合に出られるのか、どうやったら勝てるのか、徹底的に分析したんです」(同校関係者)
ローテーションは1ヵ月先まで……

須江氏は、定期的に選手たちのプレーを細かく計測した。球速、スイングスピード、初球ストライク率、変化球ストライク率……。結果はPDFにしてチーム内で共有。現状を一人ひとりに説明し、目標を設定した。
「医師や理学療法士などの意見も聞き、各自のトレーニング方法も効率的に計画しました。『肩やヒジは消耗品』という考えから、練習試合では1ヵ月先まで先発ローテーションが決まっています。連投させることはない。
出場メンバーは固定されていません。『誰にでもチャンスを与えたい』と頻繁に紅白戦を行い、結果をもとに選手を選んでいるんです。起用の意図を試合前に伝えるため、選手たちはなんの不安もなくプレーしています」(同前)
だが、須江氏はデータだけを信奉する合理主義者ではない。
「素顔は熱い人です。昨年の夏、全国制覇を狙いながら宮城県大会4回戦で敗れると『監督の私の責任だ』と涙を流しながら選手に謝罪。今夏の県大会準決勝で対戦するはずだった仙台南が新型コロナの蔓延で出場辞退すれば、『一緒に戦いたい』と同校のスクールカラーであるオレンジの腕時計をはめて甲子園入りしたんですよ。相手チームを含め、常に選手のことを考えている監督です」(スポーツ紙担当記者)
座右の銘は「人生は敗者復活戦」。悲願の初優勝を達成し、「全国の高校生に拍手を贈ってください」と目をうるませた。

写真:時事通信社