小野進也氏が激白!力強く駆け抜けた島田陽子さん「本当の最期」 | FRIDAYデジタル

小野進也氏が激白!力強く駆け抜けた島田陽子さん「本当の最期」

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つくば市で上演予定だった朗読劇『ガラシヤ』に備え、劇場の下見に行った際の一コマ。後列左が小野氏で隣が大久保氏。島田さんの隣は舞台関係者の古平氏
つくば市で上演予定だった朗読劇『ガラシヤ』に備え、劇場の下見に行った際の一コマ。後列左が小野氏で隣が大久保氏。島田さんの隣は舞台関係者の古平氏

島田陽子さん(享年69)が7月25日、大腸がんによる多臓器不全で逝去した。

困窮、遺体の放置、一家断絶……女優としての輝かしい実績に比して、彼女の最期にまつわるニュースは暗く寂しいものだった――のだが、

「あまりにも事実とかけ離れている!」

と、二人の男が本誌に明かしてくれた。

’77年に『おおヒバリ!』(TBS系)で共演して以来、半世紀近く交流した俳優で演出家の小野進也氏(73)。もう一人は、小野氏が演出した朗読劇『ガラシヤ』で島田さんと共演したのを機に、引っ越しの手伝いを頼まれるほど親しくなった俳優の大久保千代太夫(ちよだゆう)氏(60)である。

二人は「寂しい最期どころか、ストーカー被害に遭うほど彼女はモテモテだった」と言うのである。どういうことか。

「出演したドラマの演出家Aに、つきまとわれていたのです。Aはギャラが未払いになっているのを口実に、『精算して、早く、陽子さんに会いたいです』などと、しつこくLINEを送ってきていた。スクショが残っていますよ。『××(島田さんの行きつけの店)に、今度一人でも行きます。たまたまでも、会えたら嬉しいです』とか、山ほどあります。既読スルーしていたら、『好きです』『他の女と、やれません。やりたくありません』なんてエスカレートして、島田さんは『もうギャラなんていらない!』と警察に相談していました」(大久保氏)

逝去後、遺体の引き取り手がなく、放置されていたかのような報道もあったが、小野氏は静かに首を振る。

「すぐに遺族と連絡がつかず、少しの間、渋谷区の保管所に預けることになっただけ。その後、連絡がついて荼毘(だび)に付され、いまは大好きだったお母さんの遺骨の隣にいますよ。陽子さんの死後、いろんな人が『自分が窓口だ』『マネージャーをしていた』と名乗り出て、情報が錯綜。『7月27日に告別式が行われた』なんて誤報まで流れた。メディアで彼女の最期についてしゃべっている人たちのなかで、現場に帯同して陽子さんのお世話をしていた人は、僕が知る限りゼロです」

缶ジュースを買うカネにも困っていたかのような報道もあったが、大久保氏は「たまたま財布に小銭がなかった場面を切り取っただけ」とキッパリ否定。実際、島田さんは死の直前まで、プロデュース予定の映画製作に向けて様々な業種の人たちと意欲的に会っており「忙しくしていた」と小野氏は言う。

「陽子さんの憧れのヒーローであるチェ・ゲバラを題材にしたドキュメンタリー映画や、小劇場での舞台の企画など同時進行で進めていました。病気のことも、僕たちにはギリギリまで伏せていた」

大久保氏が続ける。

「がんの影響か晩年の島田さんは喉の調子がよくなく、息苦しそうでした。それでもね、舞台に立つと彼女はガラリと変わる。細川ガラシヤその人になる。その凄みを間近で見た共演者が、舞台上で号泣したこともありました。今年1月の僕の一座の公演が彼女の最後の舞台になったのですが、小劇場でやるアングラな世界観の芝居なのに、僕のダメ元のオファーを島田さんは『いいですよ』って……。何度も『本当ですか?』と聞き返しました。人生で一番嬉しかった瞬間です」

「芝居を離れれば気さくな女性だった。カウンターだけの小さなバーにフラリと現れ、ラム酒を飲むのが好きだった。初対面の客とも気軽に話し、内田裕也さんとの恋について聞かれれば、『ハワイに行くときに空港のイミグレーションで後ろから蹴られて、振り向いたら樹木希林さんがいた』なんて笑い話を披露する。つくづく、カッコいい女性でした」(小野氏)

終活どころか、「命が尽きるその瞬間まで、島田さんはエネルギッシュに走り続けた」。それが、役者仲間が見届けた彼女の本当の最期だった。

朗読劇『ガラシヤ』東京公演初日(昨年11月)を記念してパチリ。島田さんの左は俳優の小林幹氏(52)、右端は女優の睡蓮みどり氏(34)
朗読劇『ガラシヤ』東京公演初日(昨年11月)を記念してパチリ。島田さんの左は俳優の小林幹氏(52)、右端は女優の睡蓮みどり氏(34)
島田さんが最期を過ごした日赤広尾病院の病室。「医者に止められて出られなくなったら迷惑がかかるから」と極力、入院を避けていた
島田さんが最期を過ごした日赤広尾病院の病室。「医者に止められて出られなくなったら迷惑がかかるから」と極力、入院を避けていた

『FRIDAY』2022年9月9日号より

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