夫人とのデートや木梨と会食…殿堂入りイチロー「偉大な足跡」写真
「What`s up,Seattle?(シアトル、元気かい)」
8月28日(日本時間)にマリナーズの本拠地「Tモバイルパーク」(シアトル)で行われた球団殿堂入りのセレモニーで、イチロー(48)は4万5000人の観衆に向かいこう切り出した。マリナーズでは10人目の栄誉。日米通算で4367本のヒットを放ったレジェンドは、メジャー入りを決めた00年11月を英語で振り返った。
「22年前にマリナーズの一員になった時、ボクの人生は一転しました。27歳でシアトルに来て、アメリカでの現役生活が19年も続くとは想像できませんでした。まだ、こうしてシアトルにいることも含めてです」
イチローのコメントに、球場が爆笑に包まれる場面もあった。
「マリナーズに入って最初に勝利した時、彼(当時の監督ルー・ピネラ氏)はボクの頬にキスをしてきました。ショックでした……。正直恐かったです。アメリカでこれが当たり前なら、ボクはここでやっていけないかもしれないと強い不安を感じました」
セレモニーには弓子夫人(56)も出席。イチローは愛妻に対しても「彼女がいなければ今日このような栄誉を受けることは不可能だったと思います」と、感謝の言葉を述べた。
19年に引退してからも、イチローはファンに愛され続けている。オリックスでブレイクした94年から取材していた『FRIDAY』の秘蔵写真で、偉大な足跡を振り返りたいーー。
試合前は「ユンケル黄帝液」
イチローの名前が日本中に知れわたったのは、94年のシーズンだ。入団3年目のイチローは1軍に定着すると、いきなり210安打を放ち打率.385で首位打者、最多安打、最高出塁率などのタイトルを獲得する。
「イチローは、当時から頑固で好みが偏っていましたね。独特の振り子打法を変えさせようとするコーチもいましたが断固拒否。当時監督だった仰木彬さんが、変則フォームに理解があったのが幸いしました。イチローは周囲のアドバイスではなく自分の感覚を重視し、毎年フォームを自己流で微調整したんです。
食事は極度の野菜嫌いで、開幕前に必ず顔を出すのは神戸の牛タン専門店と決まっていました。愛飲しているのは、自身がCM出演している佐藤製薬の『ユンケル黄帝液』だったとか。オリックス時代は、試合前によく飲んでいたそうです。イチローは大のゲーム好き。寮の部屋では『ドラゴンクエスト』に熱中していたと聞いています」(当時のスポーツ紙担当記者)
イチローは家族思いでもある。マリナーズ入りする前年の99年9月には、父親の鈴木宣之氏へ地元・愛知県に不動産をプレゼントしている。土地面積約826㎡の大豪邸だ。弓子夫人との、シアトルでの生活も優雅だったという。中心部から車で40分ほどの郊外に、推定2億円の豪邸を購入し住んでいたのだ。
「湖や森に囲まれた静かな環境で、敷地内にはバスケットコートが併設されていました。イタリア製の大理石を使ったバスルームや、展望デッキのついた主寝室もあるんです。1階にある木製のワインセラーは、アルコールは赤ワインしか口にしないイチローの特注。
弓子さんが料理を作っていたキッチンは、花崗岩でできていました。この豪邸は09年3月に売却されます。ロサンゼルスやアリゾナ、ニューヨークにも邸宅を持っているんです」(前出・記者)
現在でもイチローは球団会長付特別補佐兼インストラクターとして、マリナーズに籍を置く。日米で年間最多安打を記録すること12回、首位打者を獲得したのは9回……。イチローは、球団殿堂入りセレモニーを「シアトル・マリナーズの一員として皆さんのためにプレーできたことは最高の名誉です。これからもファン、マリナーズのためにベストを尽くします」と締めた。
(文中一部敬称略)
- 画像:朝井豊 神崎龍 島颯太 等々力純生 中井川俊洋 西圭介 原一平 Tina Paul/Camera Press/アフロ、日刊スポーツ/アフロ