追悼・ゴルバチョフ氏の青春…年上恋人との「密接2ショット」写真
ソビエト連邦最後の指導者、ミハイル・ゴルバチョフ氏が8月30日に入院していたモスクワの病院で亡くなった。91歳だった。
ゴルバチョフ氏は、31年にロシア南部スタブロポリ地方の農家に生まれた。55年にモスクワ大学法学部を卒業後、地元の共産党官僚として社会人生活をスタート。85年に、54歳の若さでソ連の最高指導者である共産党書記長に最年少で就任している。
「ゴルバチョフ氏は豊かな西側諸国と広がる一方の経済格差に危機感を覚え、大改革が必要だと考えていました。対外的には米国のレーガン大統領(当時)との首脳会談やアフガニスタンからの撤退に着手し、核兵器の制限と冷戦終結に乗り出します。
対国内向けには言論の自由を認める『グラスノスチ(情報公開)』や、経済の効率化をはかる『ペレストロイカ(改革)』を断行しました。さらに共産党一党独裁体制を捨て、民主化政策や直接選挙制度をとり入れたんです。こうした改革は西側諸国からは歓迎されましたが、国内では大不評。ソ連の弱体化を招きます。91年8月には大規模なクーデターが起き、失脚することになりました」(全国紙国際部記者)
ゴルバチョフ氏は親日家としても知られる。ライサ夫人との初デートは、日本のコーラスグループ「ロイヤルナイツ」のコンサートだったことは有名な話。皇室とも関係を深め、政治家として第一線を退いてからもたびたび来日し東京ディズニーランドや浅草寺(東京都台東区)に姿を見せていた。
グラスノスチで明らかになった淡い恋
ゴルバチョフ氏が推し進めた「グラスノスチ」によって、ソ連時代の大静粛や西側諸国への軍事配備状況など、ベールに包まれていた内部情報が次々に明らかになった。さらに、ゴルバチョフ氏自身のプライベートも白日の下に。高校時代、茶色い髪の毛の大きな目をした年上の女子高生に恋をしていたことが判明したのだーー。
情報をキャッチしたのは、90年1月に発行された米国紙『ワシントン・ポスト』。同紙にはゴルバチョフ氏の初恋の人、1年先輩ユリア・カラゴディナさんの肉声を掲載している。
〈彼が高校に入学してから、2~3ヵ月して親しくなったんです。たまに彼が私の肩を抱く……。そんな程度のね〉
ゴルバチョフ氏とカラゴディナさんの2ショット写真も公開された。カラゴディナさんのコメント引用を続ける。
〈(作家)レールモントフの戯曲『仮面舞踏会』で、共演した時の写真です。校長先生の前でのリハーサルでした。私が『愛しているか何度でも尋ねてください』というセリフを言うと、彼は耳元でこうささやいたんです。『本当?』ってね。もう恥ずかしくて、お芝居が続けられませんでした〉
だが2人の関係は、長く続かなかった。貧しい家庭で育ったカラゴディナさんは高校卒業後モスクワに出るが、都会の生活についていけず実家に戻る。一方のゴルバチョフ氏は名門モスクワ大学に進み、共産党幹部としての道を歩んだ。2人はしばらく手紙のやり取りをしたが、やがて疎遠に。お互い別々の伴侶を見つけ、幸せな家庭を築いている。
偉大な指導者の淡い青春ーー。高校時代のエピソードからは、ゴルバチョフ氏の人間味あふれる一面がうかがえる。
- 撮影:益田周一 日本雑誌協会