「ドムドムバーガー」をV字回復させた女社長の”意外すぎる経歴”
前職は居酒屋の女将!?
「ドムドムハンバーガーに入社する前は、新橋で居酒屋をやっていました」
こう言うのは、ドムドムハンバーガー社長の藤﨑忍さん。
入社したのは2017年。9ヵ月後に社長に就任し、ソフトシェルクラブを1匹まるまるはさんだ「丸ごとカニバーガー」、台湾屋台で人気の「ジーパイ」という巨大な唐揚げをはさんだ「ジーパイバーガー」など、これまで見たこともない斬新な商品を次々と販売。イベントへの出店、キャラクターグッズの開発など、次々に策を打ち出し、コロナ禍で飲食業が苦戦するなか、7月には銀座に「ドムドムハンバーガーPLUS銀座店」、8月には「イオン海浜幕張店」をオープン。減るばかりだった店舗も増え、赤字続きだった業績も黒字計上に。まさにV字回復といったところだ。
最盛期は400店舗近く展開していたが、多くのバーガーチェーンが出店することで30店舗を切るほど業績が悪化し、ハンバーガー界の“絶滅危惧種”とまで言われていたが、快進撃が止まらない。
こんな凄腕社長が前職は居酒屋の女将だったとは! さらに驚くことに、その前は渋谷109で店長をやっていたというのだ。
109の店長から居酒屋の女将に
109の店長になったのは、今から17年前。藤﨑さん39歳のときだ。ご主人が倒れて、藤﨑さんが働かなければならなかったからだ。
「どうしようと思っていたら、お友だちのお母様にご紹介いただいて」
それが109の中のお店。しかし、当時はギャル全盛時代。そこで働くことに抵抗はなかったのか。しかも、藤﨑さんはそれまで就職経験ゼロ。
「だから、エクセルの使い方もわからないし、時間ごとの来店客数や売り上げがレジの操作で出てくることも知らなかった。手作業で集計していたんです(笑)」
こんな素人店長だったが、「試着室のカーテンが汚れていたので、布を買ってきて自分で縫って」「ギャル系の雑誌を買ってファッションを勉強して」と、気がついたことを一つ一つ積み重ねていった結果、5年で年商を倍に。しかし、経営方針が変わったことで店にいられなくなってしまった。
このとき藤﨑さんは夢を持った。それは起業して、109の中にお店をもつこと。
「でも、準備も必要だし、それまで生活費を稼がなくてはならない。
私に何ができるかなと考えたとき、お料理だと。調理師の免許を持っていなくても居酒屋さんなら働けるかなと、居酒屋でアルバイトすることにしたんです。
夜のお仕事だから、安心安全なところがいい。新橋はサラリーマンの聖地だし、安心安全だろうと思って、新橋の居酒屋さんで働き始めました」
109に出店したいと思っても、出店希望者は列をなしていて、いつ出店できるかわからない。そうこうしているうちに、近くに空き店舗が出たので、そこで居酒屋を始めることにしたという。なんたる行動力!
「いえいえ、切羽詰まっていただけです。そのころ息子は私立の中学校に通っていて、主人が109をやめる直前に脳梗塞になってしまった。糖尿病のせいで目も悪くなっていたし、片方の耳も聞こえない状態。身体障がい者に認定されるほどでした。
44歳で、なんのスキルもない私が就職しても、そんなにお給料はもらえない。生活を守るためには起業がいちばん適していたんです」
そうはいっても、お店を出すには資金が必要。実は藤﨑さんのご主人は倒れるまで政治家だった。ああ、だからお金はあったのかと思ってしまうが、
「とんでもない。そう思う方が多いようですけど、全然そんなことはないんです。当時は実家の稼業も厳しい状況で、実家からの援助もあてにできませんでした。本当に切羽詰まっていたんです」
出店するための資金は109時代の退職金。あとは事業計画書を書いて、信用保証協会の保証付き資金を調達したという。
それにしても、居酒屋をやるためには、料理だけではない。接客だってたいへんだ。ご主人は反対しなかったのだろうか。
「賛成してくれました。私ならできると思ったみたいです。主人も飲み歩くのが好きな人でしたから」
赤いウィンナーを入れたほうがいい、ポテトサラダは必ず置くようになど、アドバイスもしてくれたという。
「来客の多い家でしたし、選挙のときは無償で手伝ってくださるボランティアの方も大勢いる。実家の父も政治家で、そういう環境で育ってきたので、コミュニケーション能力は培われたのかもしれません」
おいしいお料理と、人をそらさない女将の接客で1年ほどで予約しないと入れないほどの人気店に。1年半後には2店舗目を出すほどになった。
予想した結果が得られなくても、それは失敗じゃない。次の手を考えればいいだけ
そのお店の常連の一人が、ドムドムハンバーガーの役員だった。商品開発を頼まれて、厚焼きたまごバーガーを提案したところ、大ヒットに。それを機に顧問として商品開発に参加することになり、5年前社員として迎えられたのだ。
まるで漫画のようにトントン拍子。しかし、仕事と同時に、藤﨑さんには夫の介護があった。ヘルパーさんに助けてもらったとは言うが、介護をしながら働くのは並大抵のことではない。しかも、商品を提案するためには、客層やお店の雰囲気を知らなければと、お店が休みの日には店舗の視察に出かけ、レポートを提出したという。関東は自分で車を運転して。関西も日帰りで。
「関西のお店を回るときは、交通費を出してもらいましたから、それなりのことをしないといけないと思ったんです」
それにしても、好調だった居酒屋経営から、なぜ絶滅危惧種とまで言われているハンバーガーチェーンに転職したのか。
「当時、ホテル経営や企業再生を手がける『レンブラントホールディングス』のグループ会社がドムドムハンバーガーを譲り受け、これから立て直していこうという熱意が感じられたんです。それにお誘いを受けた2年前に主人が亡くなって、息子も社会人になった。身軽になって、新しいことにチャレンジすることが可能だったんです」
店長から東日本エリアのスーパーバイザーに。社長に就任したのは入社9ヵ月後のことだった。
それからは新製品の開発、キャラクター「どむぞうくん」のグッズ販売、イベント出店など次々と手がけ、SNSで話題に。講演依頼も殺到しているというのもわかる。
「やっと会社として当たり前の姿になったところです」
ここまで来るのに苦労もあったし、失敗だってあったと思うが、
「私、そういう感覚がないんです。何をするにしても苦労はあると思うけど、それを苦労ととらえない。発展する途上だと考えています。
失敗という考えもありません。たとえば新商品を100個売ろうと思って、80個しか売れなかったら、失敗ととる人が大多数だと思うんですけど、私はそうではなくて、『あと何をしたら110個売れたんだろう』と考える。だから、予想したような結果が得られなくても、それは失敗ではないんです」
こんな考え方が快進撃を実現させたのだろう。「前例がない」などというセリフは藤﨑さんには無縁だ。
「ジーパイバーガー」「ゴーヤチャンプルーバーガー」など、他社が考えつかないような商品を期間限定で毎月販売しているのも、“前例”にとらわれないからだろう。そんな新商品を考えているのは、商品開発担当者の2人だけだとか。
「人数が多くなって、いろいろな人の意見を取り入れると、とがった商品にならない。だから、2人でやっています」
仕事をするのは楽しい。109で働いていたときも、居酒屋のときも楽しかったと藤﨑さんは言う。
「これからもいろいろなことにチャレンジしていきたい。お客様にとってオンリーワンのハンバーガーチェーンになれればいいなと思っています」
- 取材・文:中川いづみ
- 撮影:各務あゆみ
ライター
東京都生まれ。フリーライターとして講談社、小学館、PHP研究所などの雑誌や書籍を手がける。携わった書籍は『近藤典子の片づく』寸法図鑑』(講談社)、『片付けが生んだ奇跡』(小学館)、『車いすのダンサー』(PHP研究所)など。