中村芝翫 三田寛子と別居「女遊びは芸の肥やし」はもう許されない
芸能リポーター・石川敏男の芸能界”あの出来事のウラ側は……”
また、また、また歌舞伎俳優・中村芝翫さんの不倫だという――。
今回は、妻・三田寛子さんとは別居中とも伝えられる。
二人が出会ったのは’88年。映画『男はつらいよ・寅次郎サラダ記念日』の撮影中のことだ。
三田さんが共演していた俳優・尾美としのりさんの陣中見舞いに行った。そこで、当時の“橋之助”さんと出会う。
前から熱烈なファンだった橋之助さんは、三田さんに強烈にプロポーズ。雑誌の対談を申し込んだり、ドライブデートも。
三田さんは、車の中で歌舞伎演目のテープを聴く姿に“熱心な人”という印象を持ち交際に発展。取材に夢中だったオレは、橋之助の父・芝翫さんを歌舞伎座から東京・銀座数寄屋橋までマイクを出して、約10分“橋之助さんと三田さんの結婚について”質問し続けたこともあった。
もちろん芝翫さんは一言も答えなかった。これは即日、松竹から
「人間国宝の人に何てことするんだ」
とクレームが来て放送はできなかった。
その直後の’91年6月に婚約発表。11月28日に都内のホテルで盛大な結婚披露宴が開かれることになった。
ウェディングケーキも80センチの三段重ね。三田さんの手作りだと言われた。
「女優が歌舞伎役者の妻は務まらない」
なんて声もあったが、三田さんは歌舞伎役者の妻としてご贔屓さんとの対応、ご挨拶などなど、見事にやってのけた。跡継ぎだって立派に3人の男の子を出産した。
長男は四代目橋之助さん、次男は三代目福之助さん、3男は4代目歌之助さんが歌舞伎役者として育っている。
そんな芝翫さんに初めて女性問題が明らかになったのは、結婚15年目のこと。’16年だった。
「妻からはきつくきつく叱られました。私の不徳の致すところです」
と謝罪した芝翫さん。三田さんは雨の中、自宅に詰めかけたマスコミに
「7代目の父が雨男として有名でございまして、『もっと気を引き締めて頑張らねばならんぞ』と、見守ってくれている雨だと思っています。雨降って地固まるですね」
と神対応。しかも雨の中取材に来た記者に対して
「ずぶぬれになって気の毒。ごめんなさいね」
と、記者に気を遣う場面も。三田さんの妻として対応も大きな話題になった。
まさに不倫した芝翫さんが救われた会見だった。しかし、襲名を目前に2度目の不倫報道が出た。
東京で出会った一般人だった。2度目の不倫だったために、「ついに離婚」なんて話も出回ったが
「深く夫婦で反省しています」
と芝翫さん。ここでも夫との不倫離婚を
「ないで~す」
と三田さんも明るく否定した。妻の持ち前の明るさに芝翫さんは何度助けられていたことか。
「妻としての仕事は、襲名をきちっとさせること。客席を満員にすること。これが父親の遺言」
と、言い続ける三田さんに、芝翫さんは3度目の不倫だ。ましてや、今回は別居報道。三田さんは
「私も主人も大人ですし、本当に主人は主人、私は私で。皆さんにご迷惑をかけないようにちゃんと仕事をさせていただこうという認識です。それ以上は、本人に聞いていただいたほうがいいと思います」
と、達観している三田さん。
「女遊びは芸の肥やし」
と、歌舞伎俳優が花柳界で芸妓さんをあげて大騒ぎしたのは昔の話。あくまで遊びというなら済まされることも、三田さんのようにたびたび重なったら、さすがに対応ができなくなるというのが本音かも。
大阪USJで、『襲名披露リ・ボーン・パレード』が行われ、取材に行ったことがあった。そのとき三田さんは
「(夫婦仲は)大丈夫ですから」
と、話しかけてきた。
3人のお子さんを立派に歌舞伎役者に育て上げ、「成駒屋」を支えてきたのは間違いなく三田さんのおかげでもある。別居ということになると、今後どんな影響が出るのか心配だ。
文:石川敏男(芸能レポーター)
‘46年生まれ、東京都出身。松竹宣伝部→女性誌記者→芸能レポーターという異色の経歴の持ち主。『ザ・ワイド』『情報ライブ ミヤネ屋』(ともに日本テレビ系)などで活躍後、現在は『めんたいワイド』(福岡放送)、『す・またん』(読売テレビ)、レインボータウンFMにレギュラー出演中
写真:Motoo Naka/アフロ