統一教会と昭和裏面史 岸信介&笹川良一と国際反共コネクション | FRIDAYデジタル

統一教会と昭和裏面史 岸信介&笹川良一と国際反共コネクション

黒井文太郎が追った「反共ゲリラ」日本人部隊も!?

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<旧統一教会と政界の密接な関係が次々と露呈している。が、これは昨日今日に始まったことではない。昭和の時代から続く「関係」の源流を、軍事ジャーナリスト・黒井文太郎氏が取材。自身が目撃した衝撃の事実とともに明らかにする>

軍事ジャーナリスト・黒井文太郎氏が取材した、中米ニカラグアのインディオ系ゲリラ。ここに合流していた日本人グループが統一教会系ではないかと筆者は推測している 撮影:黒井文太郎
軍事ジャーナリスト・黒井文太郎氏が取材した、中米ニカラグアのインディオ系ゲリラ。ここに合流していた日本人グループが統一教会系ではないかと筆者は推測している 撮影:黒井文太郎

政界人脈の「原点」

昭和期に統一教会が日本で勢力を拡大した背景に、有力者の庇護があった。自民党右派政治家の岸信介と、大物右翼の笹川良一である。現在の自民党の一部議員などと繋がる政界人脈は、この時期の深い関係を起源としている。

統一教会は教祖・文鮮明が1954年に韓国で起こした教団だが、1961年にクーデターで韓国の全権を掴んだ朴正熙政権、とくに金鍾泌初代長官率いる秘密警察「韓国中央情報部」(KCIA)と手を組み、反共産主義を前面に押し出していった。当時の力関係からすると、反共運動を強化するためにKCIAが統一教会を手駒として使ったという図式になる。

当時は冷戦が激化していた時代だ。東アジア地域での反共陣営は当然ながら連携する。統一教会が最初に日本に入ってきたのは1958年だが、前述したように1961年に韓国で朴正熙が権力を握ると、その反共フロント組織として政治運動にシフトし、それにともなって日本の右翼陣営にも接近していった。日本で宗教法人として認定されるのは1964年、日韓で右翼団体「国際勝共連合」が設立されたのは1968年である。

そしてこの時、日本で統一教会の後ろ盾となったのが岸信介と笹川良一で、そこから自民党や民社党(当時)ら右派系政治家に人脈を築いていった。実力者の岸と笹川が任侠界の用語でいうところの“ケツ持ち”だったということは、昭和の日本では最強といってよかった。元首相の岸はもちろん自民党の実力者で、行政にも大きな発言力があったが、笹川の影響力はさらに抜きん出ていた。

笹川良一は公営ギャンブル「競艇」の巨大な寺銭利権を手にしており、さらに超大物右翼として右翼界から地下人脈にまで影響力を持った。ちなみに笹川と文鮮明は、やはり大物右翼の児玉誉士夫の代理らとともに1967年に山梨県本栖湖畔で会合を持ち、翌年の国際勝共連合創設時に笹川は同組織の名誉会長に就任している。

こうしたケツ持ちがいたことで、統一教会は日本での活動を進めていったのである。

その勢力は、世界に広まった

こうして統一教会は韓国ではKCIA、日本では自民党や右翼陣営と手を組んで勢力を拡大したが、その活動域は東アジアに留まらなかった。世界、とくに米国にも進出したのだ。

もっとも、そのコネクションには下地があった。冷戦初期の1954年にCIAの肝入りで日台韓で結成されていた反共団体「アジア人民反共連盟」(APACLE)という組織で、さらにその世界規模のコネクションとして1966年に結成された「世界反共連盟」(WACL)という組織もあった。WACLには世界中の反共組織が参加したが、いずれもCIAと米共和党右派を中心とする反共人脈だった。日本での事実上の世話人が笹川良一、台湾では蒋介石政権、韓国ではKCIAと統一教会だった。

統一教会はこうしたコネクションを使って、世界中の反共人脈と繋がった。とくにワシントンの米共和党右派、さらにそこに繋がるWACL米国支部との深い関係を築いた。このネットワークはCIAと連携し、東南アジア、中南米、中東、アフリカなどで反共ゲリラ支援を活発に行っていた。

ニカラグアの「武装ゲリラ」組織に日本人が

日本の統一教会・国際勝共連合も人脈的にそうしたネットワークにいたが、その1グループが80年代に中米で反共ゲリラ闘争に実際に参加していたのではないかと、筆者は推測している。当時、CIAの支援を受けて、中米ニカラグアのサンディニスタ左翼政権と戦っていた現地インディオ系武装ゲリラ「KISAN(ニカラグア沿岸先住民連合)」への参加である。

実は筆者は80年代後期にKISANの後継組織である「YATAMA」という反共ゲリラを長期従軍取材したことがあるのだが、そこで80年代中期に日本人のグループが来ていたという確かな情報を得た。

このグループは全体で十数人。基本的にはゲリラたちに空手を教える教官として来ていたが、うち何人かは現地でゲリラに従軍し、実戦に参加したこともあったという。とくに指揮官の「ムラタ大尉」は小火器の扱いに習熟していたことに加え、小隊規模の戦術にも豊富な知識があり、日本の元自衛官だったのだろうと現地のゲリラ幹部の間では信じられていた。

隊員の多くは短期滞在で帰国したとのことだが、唯一、「タケダ大尉」と名乗る人物だけは、半年以上もの長期間、現地に滞在し、ゲリラ兵だけでなく一般住民とも深く交流していた。かなり人懐こい人物だったらしく、タケダ大尉を慕う兵士や住民は多かった。

それ以外は短期滞在のためあまり強い印象は残していないが、女性も1人いた。名前はおそらく「カトウ」である。また、「ムトウ」と思しき名前の若手の人物が「自分は以前、アンゴラで戦った経験がある」と語っていたとの証言もあった。

完全に秘匿された存在だが

この日本人グループは、CIAやWACLと密接な関係にあった当時のステッドマン・ファゴットKISAN司令官が、ワシントンでのコネクションから招聘したとのことだった。反共ゲリラ支援なので、右翼団体であることは疑いないが、実はこのグループはこれまで一切、自らの情報を外部に漏らしていない。今日に至るまで完全な秘匿を守っており、その存在を確認したのは、筆者だけだ。

筆者はアフガニスタンやビルマ(現・ミャンマー)で反共ゲリラ支援をした日本人義勇兵のネットワークを知っているが、その主流は民族派系右翼周辺の人脈であり、自らの信念として行った反共ゲリラ支援活動を秘匿していない。その点、完全秘匿を貫いているこのニカラグア組のグループはかなり異質だ。

また、YATAMA司令官(当時)によると、この日本人グループは現地入りに際し、日本円換算で数百万円規模の支援金を持参したという。これもアフガニスタンやミャンマーでの個人単位での義勇兵参加とは違い、資金力のある組織的な背景が推測される。

当時、ワシントン政界の右翼陣営と強いコネクションがあった日本人の右翼人脈といえば、その筆頭は統一教会だ。仮にもキリスト教を名乗る教団であれば、イスラム社会のアフガニスタンなどではなく、キリスト教系が主流の中米という地域選定にも符合する。

また、このグループとは直接は関係ないが、赤報隊事件の際に元統一教会信者の元自衛官グループの存在が浮上したことがあり、その中の「イトウ」という人物にはアフリカでの義勇兵経験があったとの有力情報も未確認ながらある。

こうした人脈的な背景は、やはりワシントン右派を中心とする反共コネクションの介在を伺わせる。これらのことから、筆者はこの中米ゲリラ参加組の日本人グループが、統一教会·国際勝共連合に関係していた可能性を強く疑っている。

その後、90年代初期に冷戦構造は崩壊した。統一教会も北朝鮮と接近し、もはや国際的な反共ネットワークの要という存在でもない。日本でも1995年に後ろ盾だった笹川良一は死去している。

だが、この「教団」は昭和の冷戦期にこうした凄まじい国際的謀略の世界にいた。そしてそれは、この教団の特殊性を物語ってもいる。

黒井文太郎:1963年生まれ。軍事ジャーナリスト。モスクワ、ニューヨーク、カイロを拠点に紛争地を多数取材。特務機関、情報史も研究対象とし、昭和史関係の執筆も多い。「笹川良一と統一教会のタブー」を収録した新装版「謀略の昭和裏面史」(宝島社新書)が9月9日、発売になった。

 

  • 取材・文・撮影黒井文太郎

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