稲盛和夫、盛田昭夫…秘蔵写真で振り返る”日本のカリスマ経営者” | FRIDAYデジタル

稲盛和夫、盛田昭夫…秘蔵写真で振り返る”日本のカリスマ経営者”

時代を支えた風格満点の素顔 自宅豪邸で3000匹の鮎釣りパーティ、安倍晋三の兄の結婚式で媒酌人、料亭で大接待

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経済ジャーナリストの松崎隆司氏は、経営破綻した日本航空(JAL)を取材して驚いた。「京セラ」を創業した稲盛和夫氏が、再建に携わっていた’10年初頭のことだ。松崎氏が振り返る。

京セラ 稲盛和夫

’97年9月に出家した稲盛氏。わずか8人の仲間とスタートさせた京セラを従業員8万人(連結)以上の大企業に育てた
’97年9月に出家した稲盛氏。わずか8人の仲間とスタートさせた京セラを従業員8万人(連結)以上の大企業に育てた

「広報担当の女性が言うんです。『稲盛さんは朝からマクドナルドのハンバーガーや𠮷野家の牛丼を、もりもり食べるんですよ』と。当時、稲盛さんは80歳近かった。それだけ稲盛さんがパワフルで、気迫に満ちていたという証拠でしょう

8月30日、稲盛氏が亡くなったことが明らかになった。享年90。かつては稲盛氏のように、自身が率いる企業だけでなく日本の経済成長にも情熱を注いだカリスマ経営者が大勢いた。彼らの風格満点の素顔を秘蔵写真で紹介したい――。

稲盛氏は苦労人として知られる。

「太平洋戦争中に、旧制・鹿児島第一中学の入試にチャレンジしますが2年連続で失敗しています。大学受験では大阪大学医学部に受からず、新設の鹿児島県立大学(現・鹿児島大学)へ進学。卒業後は京都の碍子(がいし)メーカーで技術者として働き始めますが、部品の開発をめぐり上司と衝突しました。退社して27歳の時に設立したのが、京都セラミック(現・京セラ)です」(全国紙経済部記者)

稲盛氏が仏門に入ったのは’97年9月、65歳の時だ。京都府八幡市にある臨済宗圓福寺で得度(とくど)を受ける。松崎氏が語る。

「祖母の影響で、子供の頃から仏教に関心を持っていたようです。経営でも大切にしていたのが『自利利他』という仏教の言葉。『他人の利益を考えることが自分の幸せになる』という意味です。多くの人が敬遠したJALの再建を無報酬で引き受けたのも、『人のために役立とう』という経営哲学があったからでしょう」

「本田技研工業(以下、ホンダ)」の創業者・本田宗一郎氏も、人を大切にした経営者だ。毎年、東京・西落合の自宅に作った人工の川で約3000匹の鮎(あゆ)を養殖。夏になると国内外の要人を招き鮎パーティを開き、参加者の喜ぶ顔を楽しみにしていたという。松崎氏が続ける。

「本田さんは、会社=公器と考えていました。そのため、ホンダに親族を入社させようとしなかった。公器である組織に、同族経営は向かないと考えたからです」

’87年5月に行われた安倍晋三元首相の兄・寛信氏(現・ABコミュニケーション代表取締役)の結婚式で媒酌人を務めた、「ソニー」の創業者・盛田昭夫氏も独自の信念を持った人物だった。

「常々『会社は大人の遊園地ではない』と話していました。甘えていてはダメ。個々人が意識を高く持ち学び、組織を支えるべきだという考えです」(松崎氏)

なぜ今では、彼らのような骨太の経営者が少なくなってしまったのだろう。

「’00年代以降、目先の利益を優先させる風潮が蔓延し、経営者が大局的視野に立てなくなってしまったからです。人を育てることは短期的にはコストがかかりますが、長期的には組織へ大きなメリットをもたらします。社会に余裕がなくなってしまったのでしょう」(同前)

一時代を築いた経営者の哲学には、現代人も学ぶところが大きいだろう。

ソニー 盛田昭夫

’87年1月に行われた安倍元首相の兄・寛信氏の結納式。左から母・洋子氏、父・晋太郎氏、盛田氏、寛信氏、幸子夫人、盛田氏夫人、ウシオ電機会長(当時)の牛尾治朗氏、牛尾氏夫人。

’87年1月に行われた安倍元首相の兄・寛信氏の結納式。左から母・洋子氏、父・晋太郎氏、盛田氏、寛信氏、幸子夫人、盛田氏夫人、ウシオ電機会長(当時)の牛尾治朗氏、牛尾氏夫人
’87年1月に行われた安倍元首相の兄・寛信氏の結納式。左から母・洋子氏、父・晋太郎氏、盛田氏、寛信氏、幸子夫人、盛田氏夫人、ウシオ電機会長(当時)の牛尾治朗氏、牛尾氏夫人

本田技研工業 本田宗一郎

’85年8月。本田氏は東京・西落合の自宅に約70人の要人を招き鮎パーティを開く。鮎を人工の川で釣り食す。

’85年8月。本田氏(中央)は東京・西落合の自宅に約70人の要人を招き鮎パーティを開く。鮎を人工の川で釣り食す
’85年8月。本田氏(中央)は東京・西落合の自宅に約70人の要人を招き鮎パーティを開く。鮎を人工の川で釣り食す

西武鉄道グループ 堤 義明

’91年1月。当時、開催地に立候補していた長野に冬季五輪を誘致するためIOC関係者を高級料亭で接待していた。

’91年1月。当時、開催地に立候補していた長野に冬季五輪を誘致するためIOC関係者を高級料亭で接待していた
’91年1月。当時、開催地に立候補していた長野に冬季五輪を誘致するためIOC関係者を高級料亭で接待していた

リクルート 江副浩正

’85年頃、居並ぶリクルートの社員を前に全日本社交ダンスのチャンピオンだった女性を相手に得意気に踊る江副氏。

’85年頃、居並ぶリクルートの社員を前に全日本社交ダンスのチャンピオンだった女性を相手に得意気に踊る江副氏
’85年頃、居並ぶリクルートの社員を前に全日本社交ダンスのチャンピオンだった女性を相手に得意気に踊る江副氏

『FRIDAY』2022年9月23日号

  • PHOTO上本正春 霜越春樹 田村泰人 長谷川美子 宮嶋茂樹

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