「がん免疫療法」にすべてをかける 妻をがんで喪った名医の結論

新宿ビオセラクリニック・谷川啓司院長

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ベッドで成分採血を行う患者の傍らに座り、雑談を交えながら患者家族の疑問に答える谷川啓司医師

「ウチへ来る患者さんは、半分以上が進行がんで、かなり差し迫っている状況にあります。ですが、進行がんも『ステージⅣ』も、そのまま”死”を意味するものではありません。患者さんは『がん=死』という思い込みと恐怖心が強いことで、誤解をされていることが少なくないんです。そこを理解してもらうと、心に少し余裕ができて、治療の選択も変わってくるはずなんです」

そう語るのは、「ビオセラクリニック」院長・谷川啓司(けいし)医師(54)だ。

谷川医師ががん免疫治療専門の同医院を構えるのは、大都会・新宿の一角。同氏はそこで様々ながん患者やその家族と向き合いながら、最先端の医療を行っている。免疫療法に望みをつなぎ、日々多くの患者がここを訪れているのだ。

冒頭の言葉からも窺(うかが)えるように、谷川医師のモットーは患者との徹底的な会話。免疫のメカニズムは専門家でも難しいため、治療を理解するにはまず”がんという病気の本質”をわかってもらう必要がある。そこで、各患者の理解に合わせたレベルで対話を重ねるのだという。

さらに、谷川医師が重要視しているのは患者家族とのコミュニケーションだ。がんの闘病では、家族の協力とサポートが不可欠。病気や治療に対する理解を深めてもらいながら、家族とともに患者の心身をサポートし、免疫治療をやっていくことが、谷川医師の信念だという。

そんな谷川医師がドクターを目指し、その後に免疫療法を学んだのは、父親と最愛の妻の存在が大きい。

谷川医師は男3人兄弟の末っ子で、親戚に医師が多い環境で育った。医学の道を志したのは、サラリーマンとして医療とは無関係な仕事に従事していた父から「兄弟のうち、一人くらい医者になったらどうだ」と勧められたのがキッカケだったという。

父の関心を引きたかった三男坊は「僕がなる!」と手を挙げた。谷川医師のその誓い通り、防衛医大に進学し、医師への道を歩み始める。だが、大学3年に進級する直前、思ってもいなかった事態に直面した。医学部に入ったことを誰より喜んでくれた父に、肝臓がんが見つかったのだ。病状は深刻で、すでに手術はできず、治療の選択肢は限られていた。

「なんとか父に治って欲しいと兄弟で協力して様々な治療法を探し、免疫療法というものがあると初めて知ったんです。家族にがん患者がいるとわかると、怪しいダイレクトメールも届くようになった。医学生といっても、まだまだ勉強中の身。免疫治療の善し悪しの判断もつかなかった。専門家に指南してもらうべきだと思い、大学内の免疫専門の教授に話を聞きに行ったんです。結局、ウチに届いた怪しいダイレクトメールで紹介されていた免疫療法は、いかがわしいものだとわかった。父にはできる限りのことをしましたが、わずか5ヵ月で亡くなってしまった。ですが、父の闘病が免疫治療を知る原体験となったんです」

その後、紆余曲折を経て谷川医師は免疫治療の世界へと進んでいくことになる。当初は父親と同じ末期の肝がん患者を救いたいと、肝移植を学ぶために防衛医大から東京女子医大へ所属を変えた。だが、東京女子医大の消化器外科は伝統的に米国ミシガン大学での免疫細胞や遺伝子治療研究を続けており、その後任スタッフに指名された。そこで3年8ヵ月にわたる研究留学を経験したことで、帰国後、専門を免疫治療に絞ることに決めたのだ。

「その当時研究していた免疫治療が話題となってマスコミにも取り上げられ、患者さんが全国から来てくれた。でも、僕たちが行っていたのは、消化器外科の臨床研究。対象とする疾患は限定されていました。患者さんは肺がんや子宮がんなど、様々な病状を抱えて相談に来る。しかし、治療対象となるのは消化器のがん患者だけだと説明しなければならなかったんです。それは本当に心苦しく申し訳ない思いになりました。当時、免疫療法はまだ研究途上ではありましたが、僕はきっとがん患者の助けになると信じてやっていました。消化器がんでなければ治療できないというのは、患者さんの気持ちを思うと耐えられなくなった。それで『がんの垣根がなく患者さんに来てもらえるように、大学の外でやりたい』と教授に相談し、最終的にクリニックを立ち上げて独立したんです」

新宿にビオセラクリニックを開業し、軌道に乗った3年目の秋。またしても思いがけない事態が起きた。最愛の妻にステージⅣの直腸がんが見つかったのだ。念願の長男が産まれ、離乳のタイミングで受けた人間ドッグで発見されただけに、夫婦のショックは計り知れなかった。

「それからというもの、ビオセラクリニックでは進行がんや末期の患者さんを診療し、自宅に帰ると妻を診るという生活が始まりました。そこで、『もう治らないかもしれない』という闘病が続く患者の心理と、それを支える家族の心情がどんなものであるか身をもって痛感したんです。がんの種類や病気の進行に違いはあっても、抱える不安や恐怖、家族が直面する状況はみな同じ。そう思うと、どの患者さんを診ても妻を診ているのと同じ気持ちになりました」

2年間の闘病生活も虚しく、妻は’03年に他界。だが、医師として、そして患者家族として過ごした時間の中で、谷川医師の現在の治療スタイルが形づくられた。免疫療法を駆使しながら、できるだけ心と身体の痛みを減らせるように患者に寄り添う――。どんなに名医と言われる医師も、一人の人間だ。「父と妻の闘病経験がなければ、ここまで踏み込んだ診療スタイルにはならなかったかもしれない」と谷川医師は振り返る。

では、そんなビオセラクリニックで行われている治療はどのようなものなのか。本誌は、同医院に通う患者から”生の声”を聞いた。

神奈川県で看護師をしている宮本未希さん(39・仮名)は、2年前に突然強い腹痛を発症。病院へと駆け込むと、「大腸の上部(上行結腸)にがんがある」と診断された。腫瘍の大きさは3㎝。リンパ節への転移はなく、進行度はステージⅡだった。だが、がんは大腸の外側に飛び出るほど深くもぐり込み、主治医から「手術はできたが、大腸から飛び出していた部分からがん細胞がこぼれていたら、再発する可能性がある」と告げられた。

「実は4年ほど前、父を悪性リンパ腫で亡くしているんです。最期の約1ヵ月前ほどお世話になっていたのが、ビオセラクリニックの谷川先生でした。末期になってから主治医の先生に紹介されたんですが、体内のリンパ球を元気にする免疫療法を受けると目に見えて顔色が良くなっていったんです。本人も『体が楽になった』と喜んでいました。ただ、同時に悔しそうにつぶやいたんです。『もっと早く谷川先生の治療を受けたかった』って。まさか父の他界後、こんなに早く自分自身ががんになるとは思いもしませんでしたが、ふと父の言葉を思い出しました。夫とも相談し、再発リスクを減らすためにできることは全部したいと。それで術後すぐに谷川先生に相談に乗ってもらったんです。その結果、通常はステージⅡではやらない抗がん剤と免疫療法を並行して受けることに決めました」(宮本さん)

だが、手術から1年が経った今年1月、十二指腸にくっつく形で腹膜にがんの再発が見つかった。一度は腹腔鏡手術でアプローチしたが腫瘍を取りきれず、抗がん剤を投与してから改めて開腹手術で再手術をすることになったのだ。

「ちょうど手術をするタイミングで、『ネオアンチゲン療法』という新しいオーダーメイドがんワクチンを受けられるようになったんです。たまたま自分の遺伝子型が珍しいタイプだったので、従来の免疫治療では使えるワクチンの種類が少なかった。このままでは強い効果が期待できないと思い、ネオアンチゲンに切り替えることにしました」(前出・宮本さん)

ネオアンチゲン療法とは、最先端のがん治療で、患者自身のがん細胞の遺伝子解析をするところから始まる。

そもそも、がん組織の中にはがんを敵と見なして攻撃するリンパ球が存在している。ネオアンチゲン療法では、遺伝子変異によってがん細胞の表面に現れる目印を、特殊な教育細胞(樹状細胞)を使うことでリンパ球に敵として覚えさせるのだ。そして、がんへの攻撃力を高めたワクチンとして注射する。できたワクチンを患者の鼠径部のリンパ節に注射し、うまく免疫反応が起きれば、がんを攻撃するリンパ球によって一斉攻撃が仕掛けられる。宮本さんは、このオーダーメイドがんワクチン(注射)と、体内のリンパ球を活性化させる免疫治療(点滴)を組み合わせて治療している。

本誌が取材したこの日、彼女は夫と子ども二人を連れて神奈川の自宅から2時間かけ谷川医師の元へ来院した。週1回、体内に投与するがんワクチンを作るため、まず「成分採血」という特殊な採血を行う(上写真)。採血から点滴治療、がんワクチンの注射まで、1時間45分で終了した。

「オーダーメイドがんワクチンを行えるようになるまで、準備に3ヵ月がかかりました。ワクチンが投与されたのは、今日で3回目。あと数回行って、免疫反応を調べてもらうことになっています。これまでは看護師として医療従事者の目線で患者さんに接してきましたが、自分が患者になったことで関わり方が少し変わりました。患者心理がわかるというのは働く上でプラスになります。がん治療を受けながら仕事が続けられることがどれほど恵まれているか。家族と一緒にいられて、これまでと変わらない生活を送れることのありがたさを実感しています。患者の心理がわかると、躊躇なく患者さんに声をかけ、悩みを聞くことができる。本当に、貴重な経験をさせてもらっていると思いますね」(前出・宮本さん)

本格的な免疫療法(ネオアンチゲン)は始まったばかり。副作用がなく、標準療法と組み合わせることで、治療の相乗効果も期待されている。こうしたエビデンスの積み重ねが、多くの患者にとっての新たな希望となっていることは間違いないのだ。

2階の受付。壁も絵画も淡い色調で患者家族がリラックスできる空間だ
患者の鼠径部にネオアンチゲン療法のオーダーメイドがんワクチンを注射する谷川医師
がんワクチンには患者の新鮮ながん組織が必要。手術や生検で採った2~3㎜の切片が常温保存できる専用容器に入れられ、遺伝子解析に使われる
患者の血液から白血球と血漿だけを採り、もう一度患者の体内に戻す成分採血機
採取した患者の血液からはリンパ球とワクチンと樹状細胞が培養されている
新鮮ながん細胞が採れなくても、過去に手術を受けた人はその組織を調べれば別のワクチンができることも
手術で摘出した臓器の組織をスライスして、プレパラートに乗せる。その後、顕微鏡を使って詳細な検査が行われるのだ

 

  • 取材・構成青木直美(医療ジャーナリスト)写真浜村菜月

Photo Gallary8

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