アントニオ猪木が生前漏らしていた「生き続けることへの弱音」 | FRIDAYデジタル

アントニオ猪木が生前漏らしていた「生き続けることへの弱音」

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<またひとつの昭和が終わった――。10月1日、プロレスラーのアントニオ猪木さんが亡くなった。享年79。難病「全身性アミロイドーシス」で闘病中だった。

新日本プロレスの旗揚げ。モハメド・アリとの死闘をはじめとする数々の異種格闘技戦。政界進出。藤波・長州らとの闘争――。常に何かと戦い続け、新しいことに挑み続けるその姿は、多くの人々の心をつかんだ。闘魂タオルを巻いたあの姿とともに、その偉業は永遠に語り継がれることだろう。

晩年は病に苦しんだ猪木さんだったが、闘病生活の最中でも、新たな挑戦を始めていた。フライデーデジタルは2020年の年末に猪木さんにインタビューし、その「挑戦」について詳しく話を聞いていた。

取材陣も、体から力を振り絞って新たなチャレンジを行う猪木さんの姿に感銘を受けた。最後の最後まで、戦う姿を見せることを忘れなかった猪木さん。しかし、その一方で、取材中には思わぬ「弱音」も吐いていた。その雄姿ともうひとつの姿を、ここに再掲する――。>

闘病中にもかかわらず、取材陣に元気に「ダー!」をやって見せてくれた
闘病中にもかかわらず、取材陣に元気に「ダー!」をやって見せてくれた

猪木、ユーチューブに挑戦す

いまや芸能人やスポーツ選手など、テレビなどで活躍している著名人が続々と参入しているYouTube。そんなネット動画の世界に、‘20年も大型新人がユーチューバーデビューした。プロレス界の至宝・アントニオ猪木だ。

プロレスファンにとって、YouTubeは選手の素顔を知るツールのひとつになりつつある。そんな中で満を持してスタートしたのが、猪木氏の『闘魂チャンネル』。今年77歳になった猪木氏に、YouTubeデビューの裏側を聞いてみた。

「YouTubeの知識は無いんだけど、ネットなどに詳しい仲間がいてくれて。正直言うと、最初はめんどくさいなって思ったよ(笑)。でも、企画会議なんかでも、オレのやりたいことなんかを一緒になって聞いてくれている。だから、自分も頭を回転させないと。ただただ面白いだけでなく、ひとつのメッセージを発信できればと思ってスタートさせました」

猪木氏といえばプロレスラーとしてだけではなく、‘89年には「スポーツ平和党」を結成し参議院議員としても活動。‘19年6月に政界引退はしたが、彼のポリシーである「世界平和」のため、紛争地帯であったイラクや緊張関係にある北朝鮮などに単身乗り込む姿は、多くの人の記憶に刻み込まれている。

そんな彼が新たに発信の場に選んだのがYouTubeという世界。誰もが映像を世界中に発信できるという環境について、“いい時代だ”と評価する。

「YouTubeは新しいことなんで、深くは考えないんですよ。でも、発信する場があるというのは、有難いなって。自分で作って、自分の思いを発信できるのは本当に有難いです。いい時代ですよ。テレビだと1時間話しても、編集されちゃうしね」

自分の主張を発信できるYouTubeは、猪木氏にとって大きな武器になっているようだ。実際、彼のライフワークのひとつで世界に広めようとしている「水プラズマ」でのごみ処理問題についても、たびたび動画をアップしている。

「長州の方が先にYouTubeやってたでしょ。他のレスラーもみんな頑張ってるよ。オレも元気なうちは、どんどん作っていきたいけどね」

「元気なうち」というのには理由がある。猪木氏は今年の夏、100万人に数人しかいない難病「アミロイドーシス」を患っていることを公表。この病気は心臓の機能が低下して、全身に血液を送ることが難しくなる。重症化すると全身臓器の機能不全や呼吸困難を引き起こしたりするという。そのため、国の指定難病になっている。

「これがやっかいな病気でね。はっきり原因が分からないんですよ。遺伝子なのかそうじゃないのか。その治療薬を出せる医師が、日本で5人しかいないんです。昨年秋に解禁になった『ビンダケル』っていう薬でね。現役時代にさんざんやってきたのに、病気でも“ビンタ”に“蹴る”のかってね(笑)。

この薬は治すんじゃなくって、進行を止めるというもの。医者もまだこの病気をよくわかっていないんで、逆に言えば俺たちがデータになってるんでしょう。ただ、病を公表したことで、いろんな方から反響がありましてね。『有難うございます』っていう手紙はたくさん来ましたね。同じ難病で苦しまれている方も多いんですね。難病指定になっていますからね」

猪木氏を襲うのは病だけではない。‘19年には最愛の妻・田鶴子さんを亡くしている。その悲しみも癒えないままだ。

「死との向き合い方が変わりましたね。生きるってなんだろうってテーマを考えたりして。正直言うと、死というものについてプラスに考えるのは難しいけど、誰もが迎えなくちゃいけない。じゃあ、どう向き合うのかっていう。その向き合い方もあると思うんだよね。

オレはモテたわけじゃないけど、女性に振り向いたことがなかったからね。それが、彼女の病院にずっといて、いろんな感情が湧いてきた。愛情というか、物事には井戸の深さがあるなって…」

そこに追い打ちをかけるようにやってきたのが、新型コロナウイルスの蔓延だ。「元気ですかー!!」と大声で人々と触れ合い、気合を入れてきた猪木氏にとって、この事態は人生で最も想定外の出来事のようだ。

「有難いことに、本当にいろんな人に出会えてきた。でも、新型コロナで一番困るのは、会うことが元気の源だったんだけど、“会っちゃいけない”“大きい声を出しちゃいけない”って。人生で言ってきたことと真逆になっちゃった。これじゃ、世界中が病気になっちゃうよね。

いろんな人から『猪木さんは100歳まで頑張ってください』って言われるんだけど、そういうのはもうイヤなんだよ。100歳まで生きて何ができるんだよ…。今はいろんな人に世話になりながら、みんなが気を遣ってくれて。人の手を借りずに自分で何もかもやっていきたいと思っているんですが、そういうワケにいかないもんね」

そう静かに語る猪木氏。「みんなが勝手にイメージを作っているから。有難い反面、迷惑だなって(笑)」と語る優しい笑顔は、リングの内外で常に闘って男とは思えないほど温かい。

「弱音をはいてもしょうがないけど、強気ばかりも違うからね。こういう商売ですから“いい面しか見せない”と周りが気を遣ってくれて。でも、実際には弱さを持っていて、それと向き合って戦って。自分の弱さっていうものをね、この1年ちょっと見つめながら生きてきたね。

現役時代はどんなに調子が悪くても、テーマ曲が流れれば切り替えられました。コロナも切り替えられればいいんだけど。もうちょっと整理ができれば、向き合うというか。それが暗いんじゃなくて、明るい向き合い方を見つけたいですけどね」

最後の最後に、スーパースター・アントニオ猪木ではなく、“猪木寛至”という男の素顔を垣間見た気がした。人前でときに弱音を吐くことも、猪木さんの魅力のひとつだったのかもしれない。ありがとう、アントニオ猪木――。

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