平成の紅白に足りないのは視聴率ではなく、熱狂である | FRIDAYデジタル

平成の紅白に足りないのは視聴率ではなく、熱狂である

指南役のエンタメのミカタ 第6回

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NHKは最後まで話題作りに熱心だった。平成最後の紅白はどれほどの視聴者を掴むことができるのだろう(撮影:川上孝夫)
NHKは最後まで話題作りに熱心だった。平成最後の紅白はどれほどの視聴者を掴むことができるのだろう(撮影:川上孝夫)

今夜、平成最後の紅白――『第69回NHK紅白歌合戦』が放送される。ユーミンとサザンが初めて揃い踏みで出場したり(サザンが特別枠なのが惜しい)、サブちゃんが復活したり(こちらも特別枠)、テレビに出ないはずの米津玄師サンの出場が急遽決まったり(NHKがんばった)と、それなりに話題があるにはあるが――多分、世間の関心はさほど高くない。

それでも、視聴率は例年通り、40%前後は稼ぐと思う。ちなみに、昨年は1部が35.8%で、2部が39.4%(ビデオリサーチ社・関東地区調べ/以下同)。紅白の視聴率は2部をメインに語られるので、この数字は歴代ワースト3位らしいが――いえいえ、十分高いでしょう。昨今、“若者のテレビ離れ”が叫ばれる中、40%近い視聴率は大いに誇っていい。

そう、紅白は、視聴率は特に問題はない。実際、この平成の30年間を振り返っても、平成元年は1部が38.5%で、2部が47.0%と、今とそんなに変わらない。その間のテレビの相対的地位の低下や音楽市場の縮小を思えば、むしろ頑張っている。

紅白が抱える問題は視聴率じゃない。中身の方だ。ここ数年、紅白に対する世間の評価は正直、微妙である。中継で出場する歌手たちがちょっと格上に見られる風潮は、あれでいいのだろうか。「この一曲」に賭けるから聴衆を感動させられるのに、年々メドレーが増える傾向は、どうなのだろうか。

SNS時代の今――視聴率はさておき、お茶の間が熱狂する類いの番組がある。例えば、ドラマ『おっさんずラブ』(テレビ朝日系)は、平均視聴率は4.0%と今ひとつだったけど、回を数える毎にSNSは盛り上がり、最終回はツイッターのトレンド世界一位に。放送終了後も人気は衰えず、公式ブックやBlue-ray&DVD-BOXはバカ売れ。遂には来年夏公開の映画化まで発表された。

今、民放のスポンサーは従来の世帯視聴率に捉われず、個人視聴率やSNSで可視化される、いわゆる“視聴熱”を重視する方向へシフトを始めている。ならばNHKも、もう紅白の視聴率にこだわるのはやめて(そもそも公共放送に視聴率は関係ない)、その中身――いかにお茶の間を熱狂させられるか、いわゆる視聴熱が高まるかを考える時期に来ているのではないだろうか。そう、今の紅白に決定的に欠けているもの――それは“熱狂”だ。

その昔、紅白の視聴率は80%近くもあった。意外なのは、最後に70%台を記録したのが昭和59年で、なんと78.1%もあったこと。昭和30~40年代の高度経済成長期の話じゃない。もはや娯楽が多様化した現代の話だ。それが、昭和61年に初めて60%を切ると、ずるずると下げ、平成元年には40%台へ。たった5年間で30%以上も急落してしまった。一体、昭和の終わりの5年間に何があったのか。

考えられる要因としては、いわゆる“歌謡曲”の終焉と、それと表裏一体をなす、歌手やアイドルの“アーティスト”化ですね。

アーティストとは生き方、スタイルであり、彼らは型にハメられることを嫌った。ランキング形式の歌番組への出演を控え、ライブを重視した。その結果、『ザ・ベストテン』(TBS系)を始めとする歌番組は視聴率を落とし、姿を消した。

紅白も同じだった。もはやアーティスト化した歌手やアイドルたちは紅白を敬遠し始めた。出場しても、彼らは冷めていた。他の歌手たちと群れるのを嫌い、昭和の紅白の様式美でもあった“他の歌手のバックダンサー”になるのを拒否した。仕舞いには、中継でしか出ないと言い出す者も――。

同じ時期、長年、紅白と歩調を合わせてきた、あの歴史的音楽祭も視聴率が急落する。TBSの『輝く!日本レコード大賞』である。昭和61年に30%を切ると、63年には21.7%まで降下し、更に平成元年には14.0%に。わずか5年で視聴率が半分以下となった原因の一つは、平成元年から紅白が2部制になり、19時台のスタートへ繰り上げたことによる出場歌手のバッティングだった。

思い返せば、昭和の時代、レコード大賞の会場(帝国劇場or武道館)から紅白のNHKホールへ人気歌手たちが移動する様子は、大晦日の風物詩だった。今ならSNSで実況されているかもしれない。

そう、今の紅白に必要なのは、NHKホールの聖地化かもしれない。大晦日に歌手たちがあの“聖地”を目指して移動し、ステージに立つことに意味を持たせるのだ。なんだったら、TBSと手を組み、レコード大賞を再び大晦日に戻してもらい、紅白を昭和と同じ夜9時からに下げるのもいい。そして、歌手たちが武道館からNHKホールへ向かうところから番組を始めるのだ。

早い話が、紅白を“フェス”にするのだ。そう、フェス――。

かつてアーティストたちは迎合するのを嫌ったが、時代は変わった。今やフェスの時代。彼らは聖地に集い、打ち解け合い、同じステージでセッションを楽しむ。それは、見方を変えれば、古き良き昭和の紅白を彷彿させる。かつて紅白の歌手たちは互いにバックダンサーを務め、和気あいあいと盛り上がった。中継はなく、皆が1つのステージで歌うことに喜びを感じた。逆に言えば、昭和の紅白の様式美が、今で言うフェスに近かった。

アメリカでは、毎年大晦日にニューヨークのタイムズスクエアで、米ABCが中継する「ディック・クラークのニュー・イヤーズ・ロッキン・イブ」なる恒例の音楽番組がある。言わば、アメリカ版紅白。レディー・ガガやマライア・キャリー、テイラー・スウィフトら人気アーティストたちが次々とステージに立ち、パフォーマンスを披露する。アメリカ全域はもちろん、全世界に中継される一大ショーだ。特筆すべきは現地の観衆の数――およそ100万人。当日はエリア一帯がバリケードで封鎖され、入退場が管理される。そう、これは大晦日のフェスでもあるのだ。

同番組のクライマックスは、世界最大と言われる新年を祝うカウントダウンイベント、タイムズスクエアのボールドロップである。このスイッチを押す役目を担うのが、同番組のゲストの最大の栄誉。紅白で言えば、大トリを任せられた歌手みたいなもの――。

提案がある。大晦日の渋谷もニューヨークのタイムズスクエア同様、例年、100万人の群衆が集うと言われる。ならば、いっそ紅白と渋谷のカウントダウンの群衆を結び付け、紅白を新年の0時まで番組を延ばし、カウントダウンで番組を終えるのはどうだろう。新年の瞬間、紅白の勝者のキャプテン(司会者)が花火のスイッチを押す。つまり――渋谷に集う100万人を、紅白の“観客”に変えてしまうのだ。

平成の次の時代――NHKホールが聖地化し、紅白が熱狂で覆われていることを期待します。皆さん、良いお年を!

  • 草場滋(くさば・しげる)

    メディアプランナー。「指南役」代表。1998年「フジテレビ・バラエティプランナー大賞」グランプリ。現在、日経エンタテインメント!に「テレビ証券」、日経MJに「CM裏表」ほか連載多数。ホイチョイ・プロダクションズのブレーンも務める。代表作に、テレビ番組「逃走中」(フジテレビ)の企画原案、映画「バブルへGO!」(馬場康夫監督)の原作協力など。主な著書に、『テレビは余命7年』(大和書房)、『「朝ドラ」一人勝ちの法則』(光文社)、『情報は集めるな!」(マガジンハウス)、『「考え方」の考え方』(大和書房)、『キミがこの本を買ったワケ』(扶桑社)、『タイムウォーカー~時間旅行代理店』(ダイヤモンド社)、『幻の1940年計画』(アスペクト)、『買う5秒前』(宣伝会議)、『絶滅企業に学べ!』(大和書房)などがある

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