元自衛隊員の日本人義勇兵が語る「なぜ私がロシアと闘うのか」 | FRIDAYデジタル

元自衛隊員の日本人義勇兵が語る「なぜ私がロシアと闘うのか」

フォトルポルタージュ ウクライナ東部の最前線にて

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「忍者小隊」と名付けた部隊で戦闘を繰り広げた
潤沢な装備で攻めてくる敵兵にライフルで応戦

「留学中にロシアのウクライナ侵攻が起きました。最初は傍観していましたが、多くの同級生が義勇兵としてウクライナへと向かいました。ロシア国内に住む友達も反戦デモに参加していた。自衛官として軍事訓練を受けた経験がある自分も、ウクライナのために何かしないといけないという気持ちになったんです」

義勇兵の山田大樹氏(仮名)。礼儀正しく風貌も穏やかだが、戦場での体験談は想像を絶するものだった 撮影・文:横田 徹
義勇兵の山田大樹氏(仮名)。礼儀正しく風貌も穏やかだが、戦場での体験談は想像を絶するものだった 撮影・文:横田 徹

山田大樹氏(仮名)が陸路で国境を越えてウクライナに向かったのは、3月12日のことだった。まず国境近くにある外国人部隊募集所で義勇兵として登録し、西部のヤヴォリウにある基地に配属される。ここには欧米諸国を中心に南米やアジアなどさまざまな国籍の義勇兵が集まっていた。配属された日の夜は「夜間の空襲に対する訓練がある」と告知されていた。

「爆音がしてガラスが割れたので『ウクライナ軍の訓練は本格的だな』と呑気(のんき)に構えていました。しかし、周囲の様子が慌ただしく、ミサイルが基地に30発ほども着弾して『本当の攻撃なんだ!』と慌てて建物から逃げ出しました。この時、死亡したり、腕がもげたりした人も多く見かけました」

現実のミサイル攻撃で多くの義勇兵が怯(おび)えて逃げ出したが、山田氏は不思議と恐怖感を抱くことはなかったという。そのまま部隊に留(とど)まり、東部の最前線に配属された。

「義勇兵の中にはゲーム感覚で参加する人がいて、そういう人たちは長続きしませんでした。ここでは砲兵戦が多くて元米軍兵士も今まで経験したことのない戦いに自信をなくして帰国します。本当にウクライナを助けたいという者だけしか残りませんでした」

4月24日、山田氏は敵陣の偵察と狙撃という任務を任せられ、東部ハルキウ州のモロドバ村という激戦地に投入される。ロシア軍の榴弾砲や迫撃砲といった潤沢な武器に対して山田氏らはライフルやマシンガン、せいぜいグレネードランチャーのみという装備で戦った。

「最初からロシア軍に包囲されて、次から次へと攻め込まれ、散々な目に遭(あ)いました。部隊が後退することになり、私を含む3人が撤退を援護するために最後まで戦いました。そんな危機的な状況下でなぜか『麻婆豆腐』が頭に浮かび、そのことだけを考えていました」

それだけ尋常ではない心理状態だったということだろう。ロシア軍からの砲撃は想像を超え、山田氏たちは地面に掘った塹壕(ざんごう)に身を隠した。

「自衛隊にいた時は『こんな時代遅れの訓練をして実戦で役に立つのか?』と思っていました。しかし、今回の戦争はアフガニスタンやイラクのような対テロ戦ではなく、正規軍同士の砲撃を中心とした、まるで第二次大戦中のような戦い方でした。なので、陣地の構築など、自衛隊で訓練したことが役に立ったんです」

ウクライナ軍から支給されたライフルでロシア兵を狙撃したという山田氏。遠距離からの砲撃とは違い、スコープで相手の顔を目視し、ライフルの引き金を引く。その心境、そしてウクライナ人を助けるためとはいえ、ロシア人を殺すことに葛藤はなかったのだろうか。

「忍者小隊」の創設秘話

「敵とはいえ、彼らにも親や友達がいて、さまざまな人生を送ってきた者をたった一発の銃弾で命を奪ってしまいます。それは敵も同様で、それを承知でこちらを攻撃してくるのだと意識しています。戦場で敵を殺すことについて、モラルを考えては駄目だと思います」

その後、外国人部隊に日本人の義勇兵も参加するようになり、山田氏は広報目的で小隊長に「忍者」という部隊名はどうかと提案したところ承諾された。10月現在、「忍者小隊」には2人の元自衛官の日本人義勇兵が在籍しており、ハルキウ州東部の最前線で戦っているという。

山田氏は5月下旬に留学先の卒業手続きで、一度ウクライナを離れたが、すぐに前線に舞い戻った。その頃、EU圏でビジネスを展開する民間企業から仕事のオファーを受けた。

「その仕事は私以外に適任者がおらず、もし私がオファーを断ると30人のウクライナ難民が職を失うことになるので就職を決めました。今は前線を離れましたが、外国人部隊との連絡は密に取り続けています。個人装備や活動費の不足を補うために個人的に支援をしたり、募金活動を行うなど忍者小隊を支えています」

8月中旬に民間企業に就職した山田氏は、現在もEU内でウクライナ難民と共に働いている。

山田氏によると、義勇兵としての月給はウクライナ正規軍と同等で、後方勤務だと日本円換算で3万円ほどだが、前線任務をフルで行うと40万円になるという。現在、ウクライナで戦う日本人義勇兵は10人を上回るというが、日本政府はウクライナ全土に退避勧告を発し、渡航を控えるように発表しており、日本人義勇兵に関する情報収集を行っているという。もし判明した場合はパスポートの強制返納の可能性もある。

「日本に帰国したら、パスポート没収や、最悪の場合、逮捕などをされる可能性もある。それを受け入れる覚悟で戦いに参加しています。まずはこの戦争を早く終わらせて、世界に戦争を飛び火させたくないという気持ちで戦っています」

9月にウクライナ軍による反転攻勢が行われ、終わりが見えない情勢だ。山田氏に今後どうするのかを聞いてみた。

「早く戦争が終わって、ウクライナの人々が安心して暮らせるようになってほしいと願っています。もし部隊から人手が足りないから戻ってほしいと頼まれたら、再び前線に行く覚悟はあります」

支給されたZbroyar社製のライフル『Z―10』を手にする山田氏。狙撃と偵察が主な任務だったという
支給されたZbroyar社製のライフル『Z―10』を手にする山田氏。狙撃と偵察が主な任務だったという
前線で戦った”戦友”と。義勇兵にとって、語学力とコミュニケーション能力は軍事知識以上に大切だという
前線で戦った”戦友”と。義勇兵にとって、語学力とコミュニケーション能力は軍事知識以上に大切だという

「FRIDAY」2022年10月28日・11月4日号より

  • 撮影・文横田 徹(報道カメラマン)

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