尾崎豊、hide、裕也&樹木希林がロックの迎賓館で見せた素顔 | FRIDAYデジタル

尾崎豊、hide、裕也&樹木希林がロックの迎賓館で見せた素顔

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<国内外のロックセレブに愛されたロックバーの伝説が、本になった。『レッドシューズ40 ~ ロックの迎賓館の40年』。レッドシューズ代表でこの本の著者、門野久志さんに話を聞いた。>

ロックセレブに愛されている門野久志さん。東京・南青山のロックバー「レッドシューズ」には、今夜も音楽が鳴り響いている
ロックセレブに愛されている門野久志さん。東京・南青山のロックバー「レッドシューズ」には、今夜も音楽が鳴り響いている

「レッドシューズは、尾崎豊のロック人生の中でかけがえのない時を過ごした場所です。  私と豊が出会った日、 4次会で行った朝6時のレッドシューズで口説かれました。そして、入籍した日もレッドシューズでジャックダニエルのロックで乾杯しました。昔、アイルトン・セナ( F1を代表するレーシングドライバー)がレッドシューズに来た時に、豊が「彼はどこのミュージシャン?」と言ったこともありましたっけ……。  尾崎豊は、レッドシューズではいつも無邪気で破天荒で、何をしでかすか分からないロックンローラーでした。あの時の豊は鮮烈なオーラを身にまとい、光り輝いていました」(『レッドシューズ40~ロックの迎賓館の40年』より)

1992年に亡くなった伝説のミュージシャン尾崎豊。その妻、繁美さんがこう回想する眩しい思い出の場所「レッドシューズ」は、東京・南青山にあるロックバーだ。

「レッドシューズは、2021年に40周年を迎えました。以前から自分の人生経験を文章にしたらという勧めがあって、コロナ禍でお店を閉めていたとき、時間ができたので思い切って書き始めました。お店のこと、縁のあったミュージシャンたちのこと……関係の方々に協力を求めるなかで、尾崎繁美さんが思い出を寄せてくれたんです」

そう語るのは、門野(かどの)久志さん。「モンちゃん」と呼ばれ、多くのミュージシャンに愛されている「レッドシューズ」の代表だ。

「初めてレッドシューズで見た尾崎豊さんは、泥酔状態でした。女性と楽しそうに飲んでいることもあったし、僕がまだ店のスタッフだったころから常連のお客さんでした。けど、亡くなるちょうど1週間前に店で見かけたときは……。覇気のない魂の抜け殻みたいな表情でした」

1992年4月25日の早朝、足立区の民家の庭で発見された彼は、救急車で運ばれた病院から自宅に戻り、容態が急変して命を閉じた。尾崎が亡くなって30年経つ今も、店にはたくさんの尾崎ファンがやってくるのだという。

けんかの絶えないロッカー、hide

1980年代、バブルに沸いた東京で、音楽ファンの憧れだったレッドシューズ。門野さんは、地元福井から安定した大企業を辞めて上京、ここで働くことになった。

「レッドシューズに面接に行ったら、もう、かっこよくて。翌日から働きました。お店には、東京中のおしゃれな人が集まってる感じでしたね。内田裕也さん、YMOの坂本龍一、高橋幸宏、シーナ&ロケッツの鮎川誠&シーナ、ザ・ モッズ、ジョニー大倉、桑名正博、石橋凌……あこがれだった人が続々やってきました。当時はバンドブームで、XやBUCK-TICK、レピッシュ、ユニコーン、ジュン・スカイ・ウォーカーズ、レッド・ウォーリアーズといった、同世代のバンドマンも活躍し初めていました」

そんななかでもとくに、門野さんが親しかったのは、「X」のhideだった。

「初めて会ったころのhideは、ことあるごとにけんかをしている印象。でも、陽気なときはすごく陽気で、次第に仲良くなりました。彼の買ったばかりの愛車ジャガーに乗って出かけたりして。

あの日、『hide with Spread Beaver』のメンバーと、西麻布の私の『ラリー』という店で遅くまで飲んでいたんです。そこでhideが、メンバーの一人ともめ出した。『お前、そんなだからダメなんだよ!』って。そのうちメンバーが次々と帰ってしまって、最後はふたりきりになった。hideは階段の上に座り込んで、泣きじゃくって。慰めるしかありませんでした」

hideが帰ったあと、門野さんが片付けをして帰ろうとしたとき、電話が鳴った。hideのレコード会社の担当からだった。

「まだ誰か、残ってます?と聞かれて、いや、みなさん帰りましたよ、と。朝の8時半でした。その日の午後、知り合いから『hideちゃん、死んじゃったよ』と連絡がありました。ものすごく晴れた日でした」

今も、あの夜のことをことを思い出してしまう、と門野さんは言う。

内田裕也と樹木希林

もうひとり、伝説のロッカー、内田裕也さんとも忘れ難い思い出がある。

「初めて会ったのは、尾崎が亡くなって数ヶ月後でした。それまで音楽業界では、裕也さんのことをよく言う人はあまりいなくて。緊張しましたよ。でも、当時20代の若造だった僕にも礼儀正しくて。かっこいいなあと思いました。

よく、レッドシューズに電話もかけてきて『誠志堂書店の前に12時な』とか。あるとき、電話で呼ばれてすっとんで行くと、六本木の交差点近くの居酒屋に入って、そこで和田アキ子さんと合流したんです。一緒に飲んでいるうちに『裕也さん、あんたを連れて行きたいところがあるんや。付き合うて』と言って、裕也さんと僕は、和田さんの大きなメルセデスベンツに乗りました」

後部座席にふたりで座り、連れて行かれた先は「内田邸」だった。

「樹木希林さんが住む家でした。びっくりした。裕也さんも居心地が悪かったみたいで、ちょっと飲んで、早々にレッドシューズに戻りました。後日、裕也さんが希林さんを連れて店に来てくれて。希林さんは裕也さんを褒めちぎるんです。愛情があふれている感じがしましたね」

そんな元祖「ロックなふたり」も、今はともに鬼籍に入った。

最強のロックンロールカップル! シーナと鮎川誠

レッドシューズに入店して間もないころ、

「鮎川誠さんとシーナさんが現れたんです。震えるくらいかっこよかった。やさしくて、丁寧で、偉ぶったりするところがなくて、知れば知るほど好きになりました。公私ともによくしてもらった。

2014年の9月に、日比谷野外音楽堂でシーナ&ロケッツの35周年を祝うライブがあって、それが、シーナさんの最後の野音ライブになりました。最高のステージでした。翌年の2月14日にシーナさんは天国に旅立ちました。ふたりは最高のロックンロールカップルです」

最強のロックンロールカップル鮎川誠さんとシーナさんも、ここでたくさんの夜を過ごした。「シーナ&ロケッツ」は、シーナさん亡きあとも活動中だ 写真提供:ピーター・マクドネル
最強のロックンロールカップル鮎川誠さんとシーナさんも、ここでたくさんの夜を過ごした。「シーナ&ロケッツ」は、シーナさん亡きあとも活動中だ 写真提供:ピーター・マクドネル

シーナさん亡き後も、バンドは「シーナ&ロケッツ」として活動している。10月28日に開催される「レッドシューズ生誕40周年スペシャルライブ『レッドシューズ40』 」には、鮎川誠&LUCY MIRRORをはじめ、奥田民生、土屋アンナ、GLAYのHISASHIなど、ロックの迎賓館「レッドシューズ」ゆかりのミュージシャンがセッション、華やかなライブを見せてくれるという。

「コロナでライブもお店も休みになってしまった2年間ですが、少しずつ日常が戻り始めています。音楽は、ロックは終わらない。最近また、若い音楽ファンが来てくれたり、長年の音楽ファンが還暦ライブに使ってくれたり、新しい動きも感じます。

ローリング・ストーンズが初来日した1990年、ロン・ウッドが来店しました。ストーンズにあこがれ、ストーンズがすべてだった僕にとって強烈すぎる体験だった。レッドシューズはこれからも、多くの音楽ファンにとってそんな強烈な場所であり続けたいと願っています」

『レッドシューズ40 ~ ロックの迎賓館の40年』(10月28日発売・ぴあ)には、ロックセレブたちとのエピソードやメッセージも
『レッドシューズ40 ~ ロックの迎賓館の40年』(10月28日発売・ぴあ)には、ロックセレブたちとのエピソードやメッセージも

門野久志さんが書いた『レッドシューズ40 ~ ロックの迎賓館の40年』(ぴあ)には、ロックセレブたちとのエピソードやメッセージも。10月28日には『レッドシューズ40』と題したロックンロールパーティ(東京・EX THEATER ROPPONGI)が開かれる!

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