寺地・京口の世界戦でセコンドについた「もう一人の王者」の視点
同期の桜として
「会場も大きかったですし、割れんばかりの大歓声でしたね。流石は統一戦だ、そこに上がる京口って、改めて凄い男だなと感じました」

WBOミニマム級チャンピオン・谷口将隆はセコンドとして11月1日に行われたWBC/WBA統一ライトフライ級タイトルマッチ、寺地拳四朗vs.京口紘人のリングに上がった。谷口と京口は同じ歳であり、2016年3月に大学を卒業した後、揃って上京し、ワタナベジムの寮に入った同期の桜だ。
デビューから1年3カ月後、プロ8戦目で世界タイトルを獲得した京口に対し、谷口は5年7カ月を掛けてWBOのベルトを巻いた。その間に3敗している。どんな時も京口は「俺以上に練習しているお前が世界チャンプになれん訳がない」と励ました。
「正直、京口にジェラシーを感じていた時期もあります。でも、自分が世界タイトルに初めて挑戦した時、彼がどれほど大きなプレッシャーを感じていたのかが分かったんです。以来、心から尊敬していますし、京口のアドバイスをありがたく聞けるようになりました」
16戦全勝11KOと負け知らずで、ここ2試合は海外での防衛戦をクリアしていた京口だが、今回の統一戦は7ラウンド2分36秒でKO負けし、WBAタイトルを失った。
「京口はもちろんですが、僕は寺地さんとも何度かスパーリングをしています。最初はタコ殴りにされましたね。2度目は多少マシでしたが、全てのラウンドでポイントを取られたような内容でした。距離を取るのが巧みで、中に入れなかったです。ジャブが上手く、威力もありました。強引に詰めようとすると、右アッパー、右ストレートが飛んできました。
今回、京口もジャブ対策はしていました。ただ、ブロックは出来ていたのですが、次の瞬間に手を出す、パンチを返さなければいけなかった。1ラウンド終了後のインターバルで、そう声を掛けました。『当たらなくてもいいから、リターンを返そうぜ』と。2ラウンドは、それが直ぐに修正出来たのですが…」
とはいえ、ペースを握ったのが寺地だったことに変わりはない。谷口は、京口がジャブを受けてからパンチを出していた点が気になった。そこで、「ブロックの時間が長い。もうワンテンポ、リターンを速く」と助言して送り出した。
「3ラウンドを終えて戻って来た時は、無理にジャブを刺し合わなくていいから、右から入ったり、下から、フックからと、自由にやってみよう。バランスが崩れてもいいから、と言いました」
それでも、寺地の距離で試合が続く。
「4回目は、またリターンが減り、ブロックする時間が長くなってしまったので、そこを注意したんです」

今回の統一戦の山場は第5ラウンドだった。34秒。寺地の右ストレートを浴びた京口がダウン。その後、WBC王者のラッシュを凌いだ京口が猛然と打って出る。残り30秒の攻防で寺地はよろめき、京口はダウンを奪い返せるのではないか、という局面を作る。
谷口は振り返った。
「5回終了後のインターバルでは『効いていると思うから、行けるんだったら行け!』と話しました」
しかし、6ラウンドは両者共にペースダウンし、寺地に回復時間を与えてしまう。
「やっぱり京口には、ダメージがあったんじゃないですかね。寺地さんも入らせないようにしていました。あそこでセコンドが別の言葉を掛けていたら、違う展開もあったのかなと感じます」
同ラウンドを終えてコーナーに戻って来た京口に谷口は言った。
「相手が来てくれるだろうから、無理に打つよりも力を抜いてパンチを置けばいい」
第7ラウンド、京口の右ストレートが寺地の顔面を捉えた局面もあったが、左アッパーをアクセントとした得意のコンビネーションが出せない。そしてWBC王者のダブルの右ストレートを喰らってロープに飛ばされたところで、レフェリーが試合を止めた。

「僕もずっと無我夢中だったので、何が敗因かは分からないです。ただ、最初のダウンをとった寺地さんのワンツーは、敵ながら見事でした。京口は今回、相手のジャブに合わせた右クロスを練習していました。効いたか効いていないかは分かりませんが、何度かヒットしたんですよ。タラレバですが、そこから左アッパーや、左ストレートを繋げることが出来たらなぁ……という思いですね。
寺地さんは京口のパンチをもらっても止まらずに、一歩下がったり首を振ったりと、接近戦を許さない巧さがありました。もっとやれたことがあったんじゃないかな、とは感じます。本人は『5ラウンドのダウン後、記憶が飛んでいるので覚えていない』と話していますが、その状態で男らしく前に出た姿は、練習の賜物でしょう」
京口の練習を同じ空間で目の当たりにしていた谷口は語る。
「僕が世界チャンピオンになれたのは、京口の存在があってこそです。田口良一さん(元WBA/IBFライトフライ級王者)が引退してからは、ジム頭として選手を引っ張ってくれている。常に、世界チャンピオンとしてあるべき姿を考えて行動しています。練習だけじゃなく、リングを離れてからの一挙手一投足においてそうです。今回の試合も世界チャンピオンとして、WBC王者を迎え撃つんだ、という覚悟を見た気がします」
倒れた京口をケアするべく谷口もリングに飛び込んだ。京口がリング上で四方にお辞儀をしてからタラップを降り、控室に移動する際、谷口も共に歩いた。
「会場から『ありがとう』『よくやった』『感動した』『また頑張れよ!』なんていう温かい言葉と拍手が送られてきました。京口の闘志が見る人の心を動かしたんでしょう」
ドレッシングルームに着いた京口は周囲への感謝、そして「色々サポートしてくれたのに、勝てなくてごめんな」という言葉を口にした。
「『違うやろ。むしろ、こっちがありがとうだよ。お疲れ様。ゆっくりしようぜ』って言い返しましたが、やっぱりグッときましたね。彼と一緒にボクシングがやれて、幸せだなと心底感じました。京口が尻を叩いてくれることもあるし、手本とするところも沢山あるし、自分を追い込める要素にもなっています」
数分後、進行スタッフがやって来て「京口選手、記者会見に行きますか?」と訊ねる。京口は即座に応じ、プレスルームに歩を進めた。そして、記者の前に現れるなり、「ありがとうございました」という言葉を繰り返した。

悔しさを滲ませながらも、記者の質問に丁寧に応対する京口を真後ろで見詰めていた谷口は、感動を覚えていた。
「友として誇らしかったです。勝ったのは寺地さんでしたが、京口の人柄が出た試合ですよね。同期ですが、本当に恰好良かった。『自分は器用な人間ではないが、人よりも努力して、“出来るまでやる”というスタイルでここまで上って来た。ひたむきに頑張れば必ず結果が出るっていう事を、子供たちに証明したかった。勇気を与えるような選手になりたいという思いで頑張ってきた。応援してくれた皆様に、感謝の気持ちを述べたいです』といった内容の発言も、男らしい姿でした。
周囲を敬い、後輩に示しを付けられるっていうのが世界チャンピオンだと思うんですよ。そのことを学ばせてもらいました。まだ負けた実感は、そこまで無いんじゃないですかね。これからジワジワ感じるような気がします。
23歳で世界チャンピオンになり、2階級制覇、海外防衛とずっと突っ走ってきた京口ですから、一度立ち止まってゆっくりするのも悪くないんじゃないかな。色んな葛藤もあったはずだし、背負うものも大きかったでしょうから。僕は次の防衛戦に向け、火を点けてもらいました。いい内容で圧勝しますよ」
米国で最も権威のあるスポーツ総合誌『スポーツ・イラストレイテッド』の1979年11月26日号には、OJ・シンプソンが口にした「名声とは蒸気のようだ。人気も幻に過ぎない。金は羽根が生えたように消え失せる。確かなものは一つのみ。アスリートの人間としての姿だ」という一文が載った。
スポーツ取材をしながら、折に触れて私はこの言葉を思い出す。京口紘人は試合には敗れたが、人間としての姿を確かに見せた。
取材・文:林壮一
ノンフィクション作家
写真:山口裕朗