土門拳賞受賞カメラマンが撮った「テキヤと祭」のある風景 | FRIDAYデジタル

土門拳賞受賞カメラマンが撮った「テキヤと祭」のある風景

密着ルポルタージュ 11月はお酉様の季節 10年間焼きそばやお好み焼きを作りながら"縁日の華"を撮り続けた

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新型コロナ拡大前は、大賑わいだった花園神社の酉の市
新型コロナ拡大前は、大賑わいだった花園神社の酉の市

「お客さんとかけ合いできるのが、テキヤの面白いところですね。『アナタのそばに、焼きそばだよ〜。いらっしゃい!』『紅しょうが抜きで!? しょうがないな〜』。そんな冗談を言いながらバイ(商売)をしていると、お客さんが笑ってくれる。映画『男はつらいよ』の寅さんのような雰囲気が、たまらなく好きなんです」

こう語るのは、韓国出身のカメラマンの梁丞佑(ヤンスンウー)氏(56)だ。

’17年に東京・新宿の花園神社で行われた酉の市で。男性が鮮やかな入れ墨を見せる
’17年に東京・新宿の花園神社で行われた酉の市で。男性が鮮やかな入れ墨を見せる

「テキヤ」とは、祭りや縁日で簡単な料理や玩具などを売る露天商のこと。古くから、仕切り役のヤクザに仕事を斡旋された人たちが商売をするのが慣例だ。梁氏は街ぐるみで盛り上がる日本の祭りに魅了され、のべ10年にわたりテキヤを続けている。作っているのは唐揚げ、焼きそば、広島風お好み焼き……。’17年に写真集『新宿迷子』で土門拳賞を受賞した梁氏が、テキヤを始めたキッカケを語る。

「当時、留学生だった私のビザでは、できる仕事の種類は限られていました。求人サイトを眺めていて、たまたま見つけたのがテキヤです。仕切っているヤクザの事務所に行くと、関東圏内で行われる花火大会を指定された。そこで生まれて初めて唐揚げを作ったんですが、よく売れてね。天職だと思いました」

商売を続けているうちに、梁氏は縁日の華であるテキヤを作品にしたいと感じるようになる。仕事を斡旋していた組長に「写真を撮らせてください」と頼むと、二つ返事で了承された。

「撮影を続けていると、徐々にテキヤ仲間からもカメラマンとして認められるようになりました。『お〜、ヤン! オレの店の写真も撮ってくれよ』とね」

冗談を言いながら商売をする梁氏の口上は人気を博し、多い時には一日で50万円ほど売り上げたこともあるという。だが、良いことばかりではない。

「眠る時間が少なく、けっこうキツいですね。朝4時には起きて、倉庫から道具を運び出さなければなりません。7時頃には世話人によって屋台を出す場所が決められ、午前中にバイを開始。祭りによっては夜中まで売り続け、そのまま次の場所に移動することもあるんです。忙しい時の睡眠は、2〜3時間ですね」

季節によって問題も起きる。

「夏は大変ですよ。熱い鉄板の前でずっと立ち続けるので、熱中症で倒れる人も大勢います。冬は、大雪が降ったら商売あがったりです。客足が極端に少なくなり、お好み焼きが3つしか売れなかったこともあります」

売り手同士のトラブルも多い。

「私の屋台で買った焼きそばを、お客さんが茶屋(大きなテントで複数の席が用意された店)で食べたことがあるんです。茶屋では、そこで売っている物しか食べられません。茶屋の売り手は、私に文句をつけてきました。『バイの邪魔をする気か!』と。お世話になっている組長が『うちの若い衆にケンカを売るな』と間に入り、幸い大事にはなりませんでした」

11月はお酉(とり)様の季節。梁氏の写真からは、祭りの裏側の人間模様がうかがえる。

梁氏が仕事を斡旋されているヤクザの事務所で、その日の売り上げを数える
梁氏が仕事を斡旋されているヤクザの事務所で、その日の売り上げを数える
テキヤの一日は忙しい。商売の合間に育児をする家族
テキヤの一日は忙しい。商売の合間に育児をする家族
テキヤには仕切り役から宿泊場所が提供されるケースも
テキヤには仕切り役から宿泊場所が提供されるケースも

ヤン・スンウー/’66年、韓国南西部・全羅北道出身。’96年、30歳の時に来日。東京工芸大学芸術学部卒業。新宿・歌舞伎町を中心に写真を撮り続けている。『人』など写真集多数

『FRIDAY』2022年11月18日号より

  • 撮影梁丞佑

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